当時、死に体だったエアロスミスの“ウォーク・ディス・ウェイ”を拾い上げたランDMCが、同曲にラップを乗せるだけで世界的なヒットに導いた。これはヒップホップの歴史、あるいはユース・カルチャーの世代交代を促したという意味で、音楽史におけるもっとも象徴的な出来事のひとつだったと思う。
“ウォーク・ディス・ウェイ”が収録されたランDMCの3rdアルバム『レイジング・ヘル』の存在感をなにかに例えるのなら、ロックンロールとR&Bが並列に扱われていた時代の傑作『
オーティス・ブルー』(オーティス・レディング)を思い出すと良い。
黒人のラップ・アルバムが白人のロックを大々的にサンプリングするという行為は未だに議論を呼んでしまう風潮があるけれど、始まりはもっと自然だったことがわかる。原曲をそのまんまトレースしただけのこの曲が、「コロンブスの卵」的なアイディアひとつで新しい価値を帯び始めた瞬間は、いみじくも感動的だ。
さらにタイトル・トラックの“レイジング・ヘル”では、ハード・ロックなマナーに即したギター・ソロにスポットが当てられる。彼らがこれほどまでにロック好きなリスナーに果敢にアピールしていくのは、目配せでもなんでもなく、それが自身の音楽を表現するためのツールだったからに過ぎない。ビジネスとして有効だったという狙いはあったにせよ、あくまで(現在のような)両者の対立構造を前提とした上で、あえて「狙った」ようなあざとさは感じない。
さらに、なんと言ってもプロデュースを手掛けたリック・ルービンの貢献も忘れてはならない。骨太なビートをスッキリと整理させた彼の革新的なミニマリズムが、本作だけでなく、ヒップホップ音楽全体に新たなる進化を促した。86年、『レイジング・ヘル』とビースティ・ボーイズ『ライセンス・トゥ・イル』によって、言ってしまえば「ストリートのインデペンデント」に過ぎなかったヒップホップ音楽が、より一般的なエンターテインメントとして聴かれ、急速に価値を帯び始めた瞬間がちょうどこのころだった。
ビートとがっぷり四つに組んでケミストリーを引き起こす、正統派オールドスクール・ヒップホップ。正しくリズムに溶け込んでいる、シンプルなスクラッチ・プレイ。今で言うところのジェイ・Zのみたいな技巧派ではなく、ところどころぎこちないんだけど、そんな二人のラップがミニマルなビートと絡み合ったとき、なぜだかヒップホップ・ミュージックの根源的な楽しみを我々に思い出させてくれる。
あらゆる文脈や物語を背負ったはずの『レイジング・ヘル』は、それでいて音楽だけ取り出したととしても決して古びていない普遍性が詰まっている。というか後追いの自分にとって、色んな時代背景を気にせず、単純に聴いていて楽しいだけのヒップホップ音楽というのが逆に新鮮(笑)。僕は本作を、真の意味で「クラシック」と呼びたい衝動に駆られている。
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