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2019年03月10日22:58

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命が尊いのであれば、死も尊い筈だ

命だけが尊いのではない。
死も命と同じだけ尊い筈だ。

なぜなら

どちらも
自然なことだから。

生きられる可能性がある間は
生きる努力をすればいい。
けれども
生きれないことが判ったなら
そしてそれが自然なことならば
死を受け止められなければならない。

死を受け止められなければ
最後の生が無味乾燥な生になってしまう。

死ぬと判って生きることの意味を
生きている時に真剣に考えられる人が
どれだけいるだろうか。

死ぬための学問
死ぬための行為
死ぬための努力
死ぬための哲学
死ぬための医療
死ぬための宗教
死ぬための思想
死ぬための教育

そういう分野が
必要だと思う。

すべての学問
すべての行為
すべての目的

生きるためだけのものに
なってはいないだろうか。

死ぬための学問
死ぬための教育
死ぬための医療
死ぬための哲学
もまた
死なねばならぬ時には
必要なのだ。

生きることが当然な時に
いったいどれほどの人が
死ぬべき時に必要な知恵と行為を
習得しているだろうか。

人類の進歩と調和を謳(うた)った大阪万博(1970年)で
一人だけ逆らって
進歩と調和の象徴の大屋根に穴を開けて
太陽の塔(退歩と不協和音を謳った?)を建てた
岡本太郎さんは

「進歩と調和」という人類の思い上がりに
「その裏が大事なんだ」と
叫んでいたような気がする。

死の教育
死の医療
死の哲学
死の宗教

といっても
死を賛美しているのではない。

どこまでも
死は荘厳なものだ。

死を勧めるわけではない。

死もまた「自然」なのだ
ということを
踏まえて

死ぬことまで含めた
思想
哲学
行為
目的
宗教

なければならない。

私は
お金のことは
なぜか
何も考えられない。

けれども
死なら
考えられそうだ。

母方の曽祖母
(東京音楽学校(東京藝術大学音楽部の構成母体)教授の長坂好子の
 腹違いのおそらくは姉=志や宇=「しょう」と発音。
 長坂志やうの父は徳川家のお側付きであったと聞いているけれども
 裕福だったようだが、
 志や宇は父の側室(妾)の子であった。

 長坂好子は
 洋画家の長坂春雄(1900〜1973)に嫁(とつ)いだので
 長坂姓となったのだから
 「旧姓」は長坂では無いはず。

 長坂好子の「父」は
 「妾」を持つくらいであるから裕福であろうが
 苗字が不明。

 腹違いのおそらく妹である好子さんは正妻の娘で
 東京音楽学校を卒業し
 文部省派遣留学生として
 大正15年より昭和3年までイタリアに留学し、ソルディーニに師事した。
 昭和9〜10年にもイタリア・ドイツに留学し、
 ソプラノ声楽家、音楽教育者として活躍した。)

母方の祖父(山口 繁市)と祖母(旧姓 三浦 志づ)
父(濱田 耕助)と母(旧姓 山口 保子)の
死を以(も)って
教えてもらったことを
胸に
よくよく
噛み締めて(かみしめて)

これからは
母との約束
(博士号の取得と大学の先生になって自立すること)

果たすために
孝行するのだ。

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最終更新
令和元(2019)年9月22日 午前3時37分
令和3(2021)年2月11日 午前1時58分
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