人間の社会は、経済の社会とも言える。
経済とは、簡単に言えば、需要と供給と量だと思います。
だから経済は、あらゆる物に値段を付ける。
神の観点から言えば、命に値段は付けられないのだろうが、人間社会では、あらゆる命に値段が付けられる。
命が、無くなったものにも値段が付けられる。
多くの需要が有り数量が少ないと値段が跳ね上がる。
人間社会で、救われている事は、絶滅危惧種が、経済の枠から外している事かも知れない。
人気画家などの絵は、高値で取引される、しかも亡くなっていると更に破格の値段が付けられる。
しかも一部の人達で値段が跳ね上がっているものも有る。
人間の命も昔、奴隷制度の元値段が付けられていた。
命とは、何か?
身近な命程大切にされる現状。
命で、価値の有る命とは、意識、自我が芽生えているか?が重要なのかも知れない。
だが、人間の命も戦争などでは、非常に軽くなる。
殺し合う行為、そこには命の尊さなど微塵も無い。
悲惨なのは、戦争に巻き込まれる一般の人達。
そこには神は存在しない。
神とは、人間の妄想でしかないのかも知れない。
宗教とは、人間が如何に生きるべきかを示す発明かも。
勿論異論も有るだろうが。
ただ神が存在して居たとしても、神とは本当に無力な存在だと思う。
たとえば、池袋の交通事故に神は関与出来ないのか?
千葉県の屋根から落ちて命を失った人に関与出来なかったのか?
あらゆる災害に神は関与出来ないのか?
結論は、存在していないものは関われないと言う事か。
神とは、人間の願望で有り妄想で、勘違いと思い込みの存在かも知れない。
人類は、恐竜と同じ様にいずれ淘汰されるのかも知れない。
このまま温暖化が進めば、未曾有の災害が起こり、人間が住めなくなるのかも知れない。
温暖化、これを防ぐには、空気より軽い太陽光線を数%防げるガスで地球を覆う事しかないのかも知れない。
または、空気より重くて太陽光線を数%軽減出来るガスで海の温度が上がらない様にするとか。
しかし残念ながら俺に出来る事は、祈る事だけ。
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