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2021年02月24日14:37

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【会津戦争から考える】’魏呂鯤發い董峅馗顛佑郎でも長州人を嫌っている」を考えた。

今年の研究課題は「会津戦争」にしているの。

新潟〜郡山の遠距離恋愛。
そのちょうど真ん中にある会津若松。
白虎隊で象徴される戊辰戦争での悲劇。
調べれば調べるほど悲しいの。
いろんな物語に涙が溢れる。

22日は僕は有給休暇。
タマキはお仕事。
そんなわけで。一人。白河に戊辰戦争の遺跡回りをしてきたの。
白河は小峰城を有する郡山の南にある都市。
フォト
薩摩、長州、土佐、大垣などの新政府軍は北上して。
その会津討伐の最初の拠点が小峰城を奪い合う白河口の戦い。
会津を中心とする奥羽越列藩同盟はここ白河で新政府軍を食い止めようと奮戦するけど、
最新兵器と統率のとれた軍事力で歯が立たないの。
小峰城を新政府に取られた。
城下のいたるところで血が流れ。
新政府軍の板垣退助の活躍で新政府軍は快進撃。
北上し二本松では二本松少年隊の悲劇。
越後は長岡藩。河合継之介の奮戦虚しく会津に敗走。
母成峠を破られ。
白虎隊の悲劇。家臣家族の女子供の集団自決。
老人、農民、猟師、女、子供。会津民総出で城を守るけど。
ついに降伏となった。
その後、会津は下北半島の。。。
そして、西南戦争では志願して「会津の仇!」と。。。
歴史の詳細はここでは書かないけど。
ああ。入力しつつ涙溢れる。


で。この日記で言いたいのはもっと別にあって。
なぜ新政府は会津を攻撃したかと言うと。
会津藩主松平容保は、京都守護職となり、会津から京都へ上って、京都の治安を警備していたわけ。
そこで尊王攘夷から倒幕運動の中心で京都で暴れていたのは長州藩。
途中まで会津と共に長州と戦っていたのは薩摩藩。
でも、土佐、坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結んで。
倒幕に成功。
そして戊辰戦争。
で。長州にしたら会津が憎いわけよ。
禁門の変で会津にやられ。
結果、日本中をまた世界中を敵に回し。戦い続けた長州藩。
その恨みたるや京都守護職であった会津に向けられるわけ。
新政府軍は会津藩主松平容保の首を差し出せというわけ。
会津は好きで京都守護職をやったわけじゃない。
徳川幕府への忠義でやっただけ。
それでも長州を中心とする新政府は会津を頑なに許さない。
仙台、米沢などの東北諸藩が仲介して「会津を許してあげてよ」と新政府に頼むが。
「否、けして許さぬ。仙台よ米沢よ。お前らが会津討伐の先鋒として戦え!」と言う訳。
東北諸藩だって武士だよ。
ついには会津を守る!と東北諸藩。
そして中立を保とうとしていたが足蹴にされた長岡藩が手を組んでの奥羽越列藩同盟がなされ、新政府軍を迎え撃ったわけ。

で。。。
あーーー長くなるな〜。


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で。僕が言いたいのは。ここからが本題。
2021年の今でも。
150年以上たった今でも。
会津人は薩摩、長州人を嫌っている。という事実。
もっと乱暴にいうなら。今でも。会津の人は山口県民を鹿児島県民を嫌っているという事実。
この話を聞いた時は「マジか?150年前の戦争を未だに恨んでいるのか?」と半ば呆れて笑ったくらいだけど。
こうして研究を重ねると。
第三者の新潟市民の僕でも、薩長憎し!という気持ちになる。

フォト
フォト
この写真は通りを挟んで左に奥羽越列藩同盟軍。右に新政府軍の慰霊碑があるんだけど。
先の地震で新政府軍の慰霊碑が倒れていた。
これ。逆だったら凄く憤慨したと思うのね。
正直。新政府軍の方が倒れたのもこの土地の報復なんじゃないか?なんて思ったよ。

つまり。
150年たっても。
そこに戦争があって。
人と人とが殺しあって。
罪深き人も罪なき人も命を落として。
そんな悲しい歴史が事実としてあったという事。
その事実をどう捉えるかは、自分が今どこに立っているかによって違う訳で。
悲劇は変わりなくどちらでも悲劇であるのだけれど。
恨みや、持っていきようのない悲しみは。
自分の立ち位置が決めるの。
論理とか正論とかそういうもんじゃなくて。
悲しいくらいに単純に、自分の立ち位置が決めるの。
冷静でいたいけど。「冷静でいよう」といつも言っている僕ですらそうなんだから。
それはもう、人の情であるから。仕方ない。

つまり。
これを日韓としたら。日中としたら。慰安婦像としたらどうだろう。

80年前の悲劇。
それに対する謝罪や補償。
当然。論理としては終わった事。過去の話し。今さらグダグダ言われても仕方ない。
というのは分るけれども。
その血や涙が染みついた土地で生きていたのなら。。。
その声や文を受け継いで生きていたのなら。。。
僕は、この一片的な情報だけで。この貧弱な知識だけで、中国の韓国の反日のそれを罵倒する事は出来ない。
もちろん。だからといって、これ以上の謝罪や補償が必要だというのではない。
ただもっと。
善悪だけでなく。悲しみを共有する必要があるのではないだろうか。

共に立ち上がるには。共に悲劇を悲劇とし。
勝ち負けや善悪を越えて、共に涙する事でしか浄化されないのではないだろうか。

そんな風に思う白河の探索でした。



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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年03月03日 09:47
    そうよね。戦って勝っても憎しみを
    受けて、負けたら悲しみを背負って
    どちらにも利はない。戦争は人と人を分断する。
    聞いたり知ることはお互いに大事で、
    後の世に伝えることが私たちにできること。
    浄化するには
    わたしも涙しかないと思う。
    相手の気持ちに寄り添い涙することが
    いちばん大切よね。
    泣けなくならないように心を育てましょ。
    となりの誰かと泣きましょう。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年03月03日 10:30
    > mixiユーザー 

    結局はコミュニケーションなんだよね。
    お互いを知らないが故に戦って。
    知らないが故に殺しあって。
    知らないが故に勝者が敗者を従えて。
    それでも、やっぱり
    勝者は敗者の。敗者は勝者を知らない。
    だから。また戦う。
    争いってある意味。一番濃厚なコミュニケーションなのかもしれないという皮肉だね。

    争いを止めるには
    お互いの涙の理由をちゃんと知る事。感じる事。
    それしかないだと思う。

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