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2019年07月20日00:32

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「天気の子」見てきたよ もしくは 「リアル」を敷き詰めた「荒唐無稽」の果てにある「リアル」 あるいは 雨に濡れながら僕らは大人になっていくよ(ネタバレしまくり)

題名が長くなりすぎ(,,゚Д゚)

で、封切り初日に近所のイオンシネマで見てきました。レイトショーじゃないけど、新しい会員制度のクーポンで1300円。
うん。個人的には面白かったです。万人に勧めるかというと微妙だけど、若い人にこそお勧めかな。うん、劇の終盤で帆高(主人公)を助ける大人たちが帆高に「帆高、走れ!」といっていた、そんな感じ。

封切り初日なので、ネタバレなしで書こうとしたけど、それだと何も書けないと思うので、ここから後は気にせずに書きます。というか、ほぼ後半クライマックスのことしか書きません、たぶん。
一応数行改行して。






長くなったタイトルのうちの「敷き詰めたリアル」というのは、様々な意味がある。
まず、描かれる東京の景色、風景。映画とか実写ならたぶん普通に映しているんだろうけど、それと変わりないような看板とかも含めた光景、でも、その中で田中将賀のキャラクターが動いても違和感のないギリギリの「リアル」。降り続ける雨の滴がミルククラウンのようにはじけるその雨粒の表現といった細部の「リアル」。そして、日の光の差す瞬間や青空の美しさ温かさを描いた「リアル」。そういった、ただ風景映画としてみているだけでも美しいその「リアル」な表現。
そして、別の「リアル」。現実や大人の事情といったものがもたらす、今のままではいられないという「リアル」。須賀は、船上での命や、東京での生活を助けてきた帆高を「微妙な時期で、娘を引き取れなくなる」という理由で、警察に追われる帆高をクビにしてしまう。100%晴れ女、の仕事も、テレビに映されてしまったところで続けていけなくなってしまう。「このまま三人でいさせて下さい。何も足さず、何も引かずに」という帆高の願いは、その時には聞き入れられなかった。その場面、たっかい金(泊まりで28000円のラブホって週末の道玄坂にもないよね(,,゚Д゚))取って泊まらせてくれたラブホに朝警察が来たのも、そういう客が来たら通報することになっているという「リアル」な状況があったりするし。
ファンタジー(ここではハイファンタジーとかではなく、もっと緩やかな意味合いで)にしかならない「祈れば100%、短時間だけど、雨の降り止まない東京の片隅に晴れ間をもたらす」という基本のプロットを、綿密に敷き詰めた「リアル」の上で走らせることで、その「荒唐無稽」に違和感を覚えさせずに進めることができる。ウソをうまくつく1つのやり方が99の本当の中に1つだけウソを混ぜるという奴で、これがうまくいっている。
そしてもう一つ。陽菜が消えた後、陽菜を取り戻しに代々木の廃ビルの屋上の神社に向けて山手線を走り続ける帆高を、誰も止めることなく廃ビルまで走らせる。リアルさを追求するなら、どこかで捕まえようとして(ましてや、警察から逃げているんだし)それを逃れるという演出にするんだろうけど、ここではそれを入れない。廃ビルで須賀が待ち構えていて、それだけで行く手を阻むものは、物語的には十分だから。こういう「荒唐無稽」を不自然に思わせないように、そこまでの「リアル」をじっくりと地面の上に敷き詰めている。

で。
そうやって、神社から繋がった「空の世界」で陽菜を見つけた帆高が、一度は離してしまった陽菜の手をもう一度、そう、冒頭で自分のの命を救ってくれた須賀の、廃ビルで神社に行くのを阻もうとした(これは、大人の帆高が少年の帆高を止めようとすることでもあるんだよね(,,゚Д゚))手を振りほどいた、その手を陽菜ともう一度繋ぐ。伊邪那岐と伊邪那美の国産みの神話のように、そして、DNAの二重螺旋のように軌線を描いて空から落ちながら。帆高は陽菜に叫ぶ。
「東京に二度と晴れ間が来なくても、僕は陽菜がいい」(ごめん、台詞はうろ覚えだ(,,゚Д゚))

You cannot get anything without loosing anything.
人は、何かを失わずに何かを得ることはできない。陽菜は、祈れば100%晴れ間をもたらす力を手に入れた。その代償として、陽菜は人柱となり。東京に幾ばくかの晴れ間をもたらし、そして、この世界から消えた。観測史上最長の雨続きの日々が終わらせ、天気を安定させる代償として。

そして、帆高はその陽菜をこの世に取り戻した。
「東京の晴れ間」を代償にして。

世界中を敵に回してでも、好きな相手を手に入れたい、一緒になりたい。
みんな、とは言わないけど、人を好きになった時、そんな風に思ったことのある人は多いだろう。

「東京の晴れ間」を代償にし、その結果の惨状。その光景そのものは「荒唐無稽」でしかない。
でも、例え世界がそうなったとしても、大切な人を取り戻したい。この世に戻したい。その気持ちは、そういった「荒唐無稽」の果てにある「リアル」だ。

物語の最後、保護観察処分を終えてもう一度大学生として上京してきた帆高が陽菜に会いに行った時。
「100%晴れ女」の時と同じように、雨が止むように、晴れるように祈る陽菜。でも、その祈りが通じることはなく、今日も東京には雨が降る。陽菜はもう空とは繋がっていない。「天気の子」=人柱ではなくなったから。言い換えると、陽菜は、そして帆高は、「大人」になった。「荒唐無稽」な世界の中で、「リアル」を生きていく。だから「大丈夫」なんだよ、ラストシーンは。

青臭い結末なんだよ。確かに。
だが、かつての新海誠なら、こんな青臭い結末を選ぶことはできなかったはずだ。でも、ある意味ベタな展開かも知れないけど、こういう選択をできるようになったと言うことが、裏返すと、新海誠が大人になった、と言うことでもあると思う。須賀=大人になった帆高が、最後に捕獲されかけた少年の帆高を助けたように。

 さよなら夏の日 いつまでも忘れないよ
 雨に濡れながら 僕らは大人になっていくよ  (山下達郎「さよなら夏の日」)

「君の名は。」と同じく、RADWIMPS、というか野田洋次郎の歌詞と声は、この世界を構築するのに欠かせない要素になっていた。本当に、絶妙のタイミングで、あの歌声と、あの歌詞と、あのメロディが流れてくる。
予告編に、「君の名は。」のヒットで動いたであろうアニメ作品が幾つかあって、その中の「HELLO WORLD」は音楽にOKAMOTO'SやOfficial髭男dismといった錚々たる面子が入っていて、「君の名は。」でのRADWIMPSの重要性をわかっているとは思うんだけど、同じレベルまで行けるかなぁ。そのくらい、新海誠とRADWIMPSの相性はいいから。

あと。
本田翼。決して下手じゃなかったよ。ああいう騒動になったのは、たぶん、新海誠は自分の中でいろんなものができあがっていて、たぶんそれにあうものが100%できなかったのかなー、という感じ。「君の名は。」の奥寺先輩をやった長澤まさみだったらまた印象は違っていたかも、とは思うけど、ね(,,゚Д゚)
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