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2021年09月21日05:09

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幕府を批判した学者


幕府を批判した学者・画家と言えば、渡辺崋山でしょう。江戸時代後期の学者で画家です。田原藩の家老を務めました。江戸に出て蘭学者たちと交わり、幕府の外交政策を批判したために謹慎となり、藩への迷惑を恐れて自殺しました。

渡辺崋山は、三河国田原藩(今の愛知県田原市)の武士の子にうまれました。絵の得意な崋山は、画家の谷文晁に学び、才能を開花させ、すぐれた肖像画を残しました。学問もよく学んだ崋山は、藩の産業を伸ばすために力を尽くしました。

そして天保の大飢饉でも、備えてあった食料を使い、藩から餓死者を出しませんでした。崋山のそうした政治能力がみとめられ、崋山は家老に出世しました。江戸に出て、蘭学に関心をもった崋山は、高野長英ら蘭学者たちとも交わり、尚歯会(蛮社とよばれた)という研究会をつくりました。

この研究会は、幕府の中で蘭学をこころよく思わない人びとから、危険集団として目をつけられるようになりました。1837年、アメリカの商船モリソン号が、日本人の漂流民をともなって浦賀(神奈川県)にきました。

幕府は、この船を異国船打払令によって、追いはらいました。崋山は1837年、幕府の異国船打払令を批判し、海防をとなえる「慎機論」をひそかに書きました。また、長英たちも幕府を批判する本を書きました。

それが幕府に見つかり、崋山は、長英ら他の蘭学者とともに捕えられてしまいました。これを「蛮社の獄」といいます。崋山は謹慎となり、やがて藩に迷惑がかかることをおそれて自殺しました。ちなみに渡辺崋山の代表作品が愛知県の豊川稲荷の近くのお食事何処に飾られていました。

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