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2021年09月12日07:40

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坂本龍馬の生涯


薩長連合と大政奉還を成功させた志士と言えば坂本龍馬です。江戸時代末の土佐藩の志士です。尊王攘夷をおし進めていましたが、勝海舟に出会い、開国論をとなえました。薩長同盟を結ばせ、新しい政府のあり方をさぐった末、大政奉還に成功したが殺害されました。

坂本龍馬は、土佐藩(今の高知県)で、酒づくりをいとなむ武士の家に生まれました。龍馬は、はじめ尊王攘夷(天皇をうやまい、外国を打ちうはらう考え)をおし進めていました。しかし勝海舟から西洋の事情を聞いた龍馬は、考えを改め、門人になったとされています。

1865年、龍馬は長崎の亀山に社中(会社のようなもの)をつくり、武器などを運ぶ海運局を始めました。これがのちの海援隊ですが、やがて龍馬は幕府を倒すためには、薩摩藩(今の鹿児島県)と長州藩(今の山口県)が手を結ぶことが必要と考えました。そして1866年、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允に薩長同盟を結ばせることに成功しました。

次に龍馬は新しい政府のすがたとして『船中八策』を考えました。これは、幕府が政権を朝廷に返すことをはじめとする8つの案でした。龍馬は前土佐藩主・山内豊信を動かして、徳川慶喜に大政奉還をすすめました。慶喜はこれを決意し、1867年、江戸幕府は終わりました。しかしその1か月後、龍馬は京都で襲われて殺されました。

坂本龍馬の功績はなんと言っても、薩長同盟の実現、大政奉還の発案など、明治維新に果たした役割は大きいです。また、龍馬は海援隊という商社を作ったのも有名です。薩長同盟に関わり政治的な活動をする一方で、起業家でもあったのが、魅力のひとつです。

龍馬は倒幕に対して、その先を見据える視点を持っていたことが他の倒幕の多くの人との違いであったと思います。幕府を倒してその後ということを龍馬は早くから考えていました。それは彼の死後も新政府の中で生かされているのです。

龍馬自身は新政府の中で政治家となることを望まず、幕府を倒して新しい政治形態を作ったら、自分は海援隊の活動に見られるような事業家としての道を歩むはずでした。龍馬が暗殺されていなければ、現在の三菱は違った形だったかもしれません。

龍馬と同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎は土佐藩の貿易業務などをベースに三菱の基礎を築いたが、龍馬が生きていれば当時の土佐藩の重臣、後藤象二郎らとも交流があったので、その役割を担った可能性が高いからです。 だが、龍馬はそこまでの夢を実現できずにこの世を去った。奇しくも龍馬32歳の誕生日に京都・近江屋で暗殺されてしまうのです。

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