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2020年01月21日06:12

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メンデルの功績


黄色のまめができるエンドウは、豆を黄色くする目に見えない「つぶ」を持っています。緑色のまめができるエンドウも、同じように豆を緑色にする目に見えない粒を持っています。黄色と緑色を掛け合わせると、どの豆にも黄色と緑色のつぶが伝わりますが、黄色のほうが強いので、豆の色はすべて黄色になります。

メンデルは、のちに「メンデルの法則」と呼ばれる研究の成果を1865年に発表して、各国の学者にも詳しく書いて送りました。けれども、この研究は素晴らしいと、価値を認めてくれる人はいませんでした。

「7年間かけて自然に潜む謎を解き明かしたというのに、どうして、わかってくれないのだ。でも、いつか、私の時代がきっとくる。」そして、1668年、思いがけないことが起こります。修道委員長が亡くなり、選挙でメンデルが次の修道委員長に選ばれたのです。

修道院の仕事が忙しくなって、じっくり遺伝の研究をするような時間は無くなりました。1884年、メンデルは病気で亡くなりました。人々はその死を惜しみましたが、遺伝の研究は埋もれたままでした。

研究は光が当てられ、その価値が学者たちに理解されるようになったのは、発表から35年、死後16年もたった1900年のことです。エンドウの実験で、豆の色のもとになる「つぶ」と考えられていたものは、やがて、「遺伝子」と呼ばれるようになり、その正体も明らかになりました。

病気の研究や薬の開発など人や生き物の命に関連する研究は、いまや「遺伝子」ぬきに進めることはできません。メンデルの研究は、生物学や医学を大きく前進させる土台となりました。メンデルは、自分の得意な科学の研究で計り知れない恵みを人々に与えたのです。メンデルの偉大な功績はメンデルが亡くなった後に花開いたのでした。

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