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2019年12月09日05:41

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坂本龍馬に影響を与えた人々

土佐勤王党のリーダー武市半平太(1829〜1865)は、土佐藩市で、坂本龍馬とは遠い親戚です。剣の達人で、妻の叔父と一緒に、120人もの弟子が集まる道場を開いていました。

江戸に出ると、尊王攘夷の考えを持つようになり、ほかの藩の人物と交流し、帰国後、土佐勤王党を結成、リーダーとなります。その後、藩の中で力のあった、公武合体派の吉田東洋を暗殺した罪で、切腹させられました。37歳です。

奇兵隊をひきいた若きカリスマと言えば、高杉晋作(1839〜1867)長州藩士です。吉田松陰をしたって松下村塾に入ります。吉田松陰が安静の大獄で死罪となると、討幕を心に誓います。

身分を問わない騎兵隊を結成、外国船に対抗するとともに、藩内で意見の対立する重臣を倒し、最後は長州を討幕一本にまとめ上げました。しかし、結核に侵され、29歳の若さで世を去りました。坂本龍馬が持ち歩いていたピストルは高杉晋作からもらったものです。

お龍は(1841〜1906)坂本龍馬の妻です。京都の医者の家に生まれました。坂本龍馬と知り合いだった父は、安政の大獄でとらえられ、その後病死してしまいます。長女のお龍は一家を支えるため、20歳ごろから旅館に働きに出ました。本名、楢崎亮です。

横井小楠(1809〜1869)は、熊本藩士です。江戸で学んだあと、熊本に帰って塾を開きます。坂本龍馬の思想の基礎ともいえる「国是三論」を書きました。明治新政府でも参与という役につきますが、1869年、暗殺されました。

後藤象二郎(1838〜1839)は土佐藩士です。山内容堂に信頼され、参政という職に就き、藩の政治の責任者となります。長崎で坂本龍馬と会い、山内容堂が幕府に大政奉還を進めるきっかけをつくりました。明治になってからも政治家として活躍しました。

河田少龍(1824〜1898)は、土佐藩の絵師です。アメリカから帰国したジョン万次郎の話を記録しました。蒸気船や鉄道、電信など、アメリカの進んだ技術についてまとめました。これは坂本龍馬たち志士に伝わり、大きな影響を伝えました。


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