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2019年11月17日06:40

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満州国建国の理想

満州国は生まれ、消え去りました。四千年にもおよぶ中国の治乱興亡の歴史からすれば、13年5ヶ月余の歳月などほんの一瞬の光芒に過ぎないでしょうが、しかし、歴史の重さは時の長さによって測ることは出来ないと思います。歴史の重さとして感じること、それは、そこに生きた人々の愛憎の総量としてしか測れないような気がします。

そして、満州国を今ふり返り、論じることに何らかの意識があるとするならば、その理念と現実との双方を鑑み大切なものは、激しい愛憎の層の中から、真に引き継ぐべきものは何であり、批判すべきものは何であるのかを見定めることではないでしょうか。たとえ、言葉として美しく、観念として崇高であろうともその内実を問うことなしには、軽々しくその歴史的意味を批判することは出来ない訳です。

今は年老いた当時の日本青年は、満州の地に民族協和する理想国家を建設しようと情熱を燃やして満州国に馳せ参じ、国づくりに精魂を傾けたのは事実です。民族協和の理想は、歴史の発展と共にますます輝きを増すでしょう。これをなくしては、世界の恒久平和は有りえないと信じます。その意味でも、満州建国の理想は永く生き続けていくのだと思います。

満州国の歴史的意識をよく鑑みると、満州国が掲げた民族協和をもって今後の世界平和を達成するための基礎となりうるものと主張する論者は少なくありません。我々が活動している石原莞爾平和思想研究会同志もその一団です。今なお世界各地で民族紛争が絶えず、日々流血の事態のニュースに接するにつれ、民族が協和する事の必要性はいっそう痛感させられます。

なぜ、民族が違う事がそれほどまでに憎しみの感情を生むのでしょうか。ベルサイユ講和会議で日本国は白人世界に向けて人種差別反対と叫びました。だが、日本が提案した人種平等宣言が受け入れられる余地がなかったのです。

人種問題というのは、あの時代の日本にとって国際秩序の重要問題です。この時の無念さは『昭和天皇独白録』の冒頭に、大東亜戦争の遠因として、「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し」と書かれています。それがアメリカでは排日移民法などに繋がり日本人が差別を受けて辛い仕打ちを食らうのです。

日本が必死で白人支配からアジアを救おうと参画すれば帝国主義国家を中心とする外交の圧力がかかり欧米列強の都合で石油を止められるのです。だが、それでも日本国は人種差別や平和主義を唱えましたが、イギリスやフランスといった列強は自分たちが保持していた植民地は全部保全しています。広大な土地隣国・中国の内乱ばかりしている不安定な情勢は日本にとっては座視できないものでした。

なぜなら、それがロシアをはじめとする列強の植民地支配を誘発し、ひいてはアジアの存亡にも関わる脅威となっていくからです。富国のため日本も中国に経済進出し、勢力を扶植しなければならなかったのは、そのためで、少なくとも石原莞爾は日本と中国の安定、日中の平和的提携関係を求め続けたのは歴史の真実なのです。

この歴史の真実をマインドコントロールされた日本人の呪縛を解く為に語り継がれて欲しいのです。その想いは、今日、満州国を生き抜いた方が亡くなられているのでいよいよ深いのです。満州国の生んだ民族協和という理念が「歴史の発展とともにますます輝きを増す」ことに、直ちに繋げなくてはならないと言うのは祖先を敬う我々の責務ではないでしょうか。
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