mixiユーザー(id:21587781)

2019年03月19日05:43

111 view

幸福とは何だろう

戦中、戦後に生まれた方は生きるに精一杯で幸福などを考える余裕は無かったのではないでしょうか。明日をどう生きようと思う時、悩む暇もないので、うつ病などに罹患している方もいなかったのではないだろうか。人は時間に余裕があれば悩みや不安を感じて「幸福とは何だろう」と考えるようになるのだと思います。

少なくとも何かに熱中して取り組んでいる時には無我夢中なので自分の人生に満足していると思うのです。しかし多くの人々は財産や地位もが欲しいものです。この欲望があるから、人はひたすら働き、その結果社会も進歩して行き、自分も向上して行くのだと思います。従って若者は夢や希望、そして欲望を持ち幸福になるよう挑戦していってほしいです。

一方、高齢者は長生きすると欲望も激減して、諦めもあり、今起きている出来ごとに対しても折り合いを付けてしまい、人間が丸くなって怒る事も少なくなります。逆に怒りっぽくなる方もいるでしょうが。今、高齢者に必要なものは子ども達が必要なパソコンやスマホを知ることでしょう。6人子どもを育ててきましたが、子育てもだいぶ変わりました。

私は幼少の頃から我慢する事や他人への情などを躾られてきました。また「継続は力なり」と諦めずに努力を愚直に続けさせるような教育をされました。しかし努力しても報われない時も多々あることでしょう。受験の失敗、病気、災害や事故等に遭遇した時は諦める幸せもあります。諦めないと何時までも不幸になるからです。

今の子ども達は我儘で、精神的に昔より弱いように思えます。人事を尽くして天命をまってなるようにしかならない事もあるので覚悟して生きて行ければと思います。さて幸福とは何だろう、個人の感じかたの相違があるので一概には言えません。登山で頂上に到達した時や受験に合格した時や大きな仕事を成し遂げた一瞬は共通した幸福感を味わえます。

東日本大震災に見舞われた方を考えれば家族が何事もなく無事である事が幸福であり、それ以上に何を望むのですかと思ってしまいます。こんな凄い経験をすれば、日常が平穏無事な事にさえ感謝が出来ます。しかし一歩進んで、金銭的に困らない程度の家庭の安泰と、健康であればそれに感謝しながらも、やりたい事が出てきます。

今、人生を制約しているものは、法律でしょう。法律を守らなければ酷い目にあいますから、自然と生き方に制約がついているはずです。経済的に自立しているかどうかも制約のひとつです。扶養家族のために会社を辞められないということもあるわけで、これは負っている責任という制約もあります。

根源的には、日本に生まれたことは自分の力ではどうしようもない、変えることのできない一種の制約なわけです。運良くいい時代に七光りで生まれた人もいるだろうし、運悪く戦禍の劣化ウラン弾を落とされている国に生まれてしまった人もいます。何が幸福かというと、お金は持っているだけでは幸福ではないと思います。

だが、そのお金を使えばおいしいものを食べられる、いい音楽を聴ける、家族と旅行ができる。結局、五感を満足させること。刹那的です。だが、お金を持っていることで何が起きても大丈夫な状態にはできそうです。幸福とは人それぞれの自分の心の問題でしょうが、私にとっての幸福とは、健康で精神状態が安定していることかな。

11 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る