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2019年01月20日07:34

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三島由紀夫の命日

11月25日は三島由紀夫の命日です。有名小説家が憲法改正のために自衛隊の決起を促した後に割腹自殺した事件です。事件の経緯は、1970年11月25日、作家・三島由紀夫は自らの民兵組織「楯の会」メンバー4人とともに、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に侵入し、総監の益田陸将を人質に立てこもりました。その際、刀で切られ8人の自衛隊が負傷しています。

三島は中庭に集まった自衛官たちに向かい「われわれは自衛隊を愛すればこそ、憲法改正のために決起する事を願ったのに、諸君は自分を否定する憲法を何故守るのだ」と10分間にわたり演説を繰り広げたが、自衛官たちは決起を促す三島の言葉に応じなかった。絶望した三島は、再度総監室に戻り「天皇陛下万歳」を三唱したのち割腹自殺を遂げました。

三島は、日本国憲法第9条第2項がある限り、自衛隊は「違憲の存在」でしかない。自衛隊が治安維持のために決起すれば憲法改正につながると考えていました。その後、時代の寵児とした多方面で活躍した著名作家によるショッキングな事件は、日本のみならず世界中の注目を集め、その後の思想界に影響を与えています。ちなみに三島由紀夫の最後の晩餐は新橋で食べた軍鶏のコース料理です。

「愛することに関しては、女性こそ専門家で男性は永遠に素人である」三島由紀夫。日本とフィリピンの治安を比べているのではないのですが、どちらが若者に夢と希望を与える社会かと問えば、フィリピンではないでしょうか。「犯罪もなく格差もない平和な社会を目指します」。党派問わず、政治家の選挙中に唱える慣用句でしょう。

しかし、完全に犯罪も格差もない社会が、将来実現するとすれば、ご批判承知の上で、無理なことかもしれません。三島由紀夫の言葉の中に、「スウェーデンには、文化がない」という言葉があります。存命中から、同国は、世界に冠たる福祉国家でした。三島氏が言いたいのは、文化や芸術には、ある程度の格差が必要だと言いたいのだと思います。

世界は、ヨーロッパを引き継いだアメリカが世界に君臨している結果、世界中の子供達が英語を勉強しています。侵略者の言葉を学ばなければ生きていけない世界ですから苦しくても学ばなければならないでしょう。もし第二次世界大戦で日本が勝っていたなら、今頃は世界中の子供達が日本語を勉強していたはずです。だが、産業革命はイギリスで起きてしまいました。

アフリカや中南米・中近東・日本を含むアジアには起こりませんでした。それは、白人が優秀で、黒人や黄色人種が劣等であると言うわけではなりません。例えば5世紀から15世紀までは、ヨーロッパも小さな土地を巡って王候間の抗争が続いており、無知と貧困と戦いに彩られていました。「蛮族」の集まりであったわけです。

一方、日本は当時すでに、十分に洗練された文化をもっていました。文化的洗練度の指標たる文学を見ても、万葉集、古今集、枕草子、源氏物語、新古今集、方丈記、徒然草など切りがありません。この10世紀間における文学作品を比べてみると、全ヨーロッパが生んだ文学作品より日本一国が生んだ文学作品のほうが質や量の両面で上だと思います。

45歳の短い生涯を激烈に締めくくった三島由紀夫は、ノーベル文学賞候補に何度も上るほどの天才でした。「アジアに叫ぶ」(土井晩翠)、「航空対談」(菊池寛)、「大東亜戦争私感」(武者小路実篤)、「米国人の観たる満州問題」(新渡戸稲造)など学術的にも文学的にも素晴らしい本もまだまだありましたが、GHQにより没収されたのです。

戦後、連合国軍事総司令部(GHQ)が「軍国主義的」などとして日本政府に没収を命じた図書約7000書籍のリストがあるといいます。この一覧表の中には我々の石原莞爾平和思想研究会の前身である「東亜聯盟」の書籍も掲載されていることでしょう。古い本は、朽ち始めてしまいます。価値のある史料として、恒久平和の礎を築くためにも多くの方と研究を重ねていきたいと思っています。
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