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2020年05月31日00:18

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清洲城までウォーキング(5月30日)

今日は運動不足解消のため、午前中、自宅から清洲城までウォーキングしました。
今、放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」に出てくる信長と帰蝶を偲んで、清洲城に出かけることとしました。主人公ではないけどね(笑)

頑張って2時間弱歩いて清洲城に到着したら、なんと修繕中で、天主閣の雄姿が見られず残念でした。しかしながら、先ずは国府宮神社(尾張大国霊神社)をお参りして、長光寺(六角堂)経由で清洲城へ歩いたことが、結果的に美濃路を歩くことになり、ちょっと得した気分にさせてもらいました。

ところで、新型コロナの影響で、大河ドラマが6月7日の放送で一時休止になるのは残念だなぁ(>_<)

【コース】
自宅→国府宮神社→長光寺→美濃路公園→亀翁寺→総見院→清洲古城跡/清洲城/清洲公園→新清洲駅⇒国府宮駅→自宅

【写真】
《写真1》美濃路の説明看板。稲沢市の南東の外れにある「美濃路公園」(稲沢市北市場本町)で見つけました。知らぬ間に美濃路を歩いて清洲城に向かっているのでした。

《写真2》修繕中の清洲城。新型コロナにより休館でしたが、6月2日から再開とのこと。

《写真3》清洲公園にある信長と帰蝶の銅像。この信長の像は「信長公出陣の像」と呼ばれ、永禄3年(1560年)、弱冠27歳の時に、清州城より桶狭間へ向かって出陣せんと、意気すでに今川の大軍を呑んでいるところを表現したとのことです。帰蝶は、信長の正室、戦国大名斎藤道三が父です。政略結婚で、美濃から嫁入りしてきた姫として濃姫と呼ばれました。
清洲公園は、夫婦の絆・立身出世・必勝祈願のパワースポットだそうです。

【メモ】
《美濃路について》
美濃路は、東海道の宮宿と中山道の垂井宿とを結んだ脇往還で、五街道に準ずる重要な街道として幕府の道中奉行が管轄した道だったとのこと。道のりは、名古屋城下・清須・稲葉・萩原・起・墨俣・大垣の各宿場を経由する約60km。
このうち稲葉宿は小生が暮らす稲沢市にあります。初めは稲葉村だけで宿場を構成していましたが、後に隣接する小沢村が加宿となりました。後に、稲葉村と小沢村の名から1字ずつとって稲沢村となり、時代と共に、稲沢町、稲沢市となってきました。

《各寺院について》
○興化山 長光寺(稲沢市六角堂東町)
六角堂の通称で親しまれている臨済宗妙心寺派の寺。応保元年(1161年)、尾張守であった平頼盛の寄進で創建されたとのこと。
境内の真ん中に建つ地蔵堂が六角の円堂で、地蔵堂の中には「鉄造地蔵菩薩立像」が納められており、世の中に悪いことが起こる前になると全身に汗をふきだし、人々に知らせるという言い伝えがあり「汗かき地蔵」とも呼ばれている。尾張六地蔵の一つ。
ここは、若かりし日の信長の遊び場であったとか。境内には、信長愛飲の臥松水と呼ばれる井戸があり、茶の湯や膳にその水を汲んだと伝わるとのこと。

○白峰山 亀翁寺(稲沢市北市場町)
曹洞宗の尼僧寺。ここに安置されている「木造虚空蔵菩薩坐像」は、南北朝時代の寄木造で重要文化財に指定されており、25年に1度しか拝むことができないとか。

○興聖山 総見院(清須市大嶋1丁目)
信長公の菩提を弔う臨済宗妙心寺派の寺。
織田信雄が父・信長を弔うために伊勢国桑名郡の安国寺を引き取り、「景陽山総見寺」を建立したのが始まり。その後、慶長15年(1610年)「清須越し」によって名古屋大須に移る。
尾張初代藩主・徳川義直は自らが開基大檀那となって正保元年(1644年)「興聖山総見院」を現在の地に創建し、総見寺の三代住職閩山(みんざん)和尚を開山に迎え、信長公の菩提を弔うよう命じたとのこと。

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