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2019年12月07日16:08

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長谷川三千子『神やぶれたまはず』

 長谷川三千子『神やぶれたまはず 昭和二十年八月十五日正午』(中公文庫、2016年)を読了。「国体」という言葉が本格的に日本の政治思想の場に登場してきたのは幕末の頃で、中でもその意味を明快に語っているのが後期水戸学の学者である藤田東湖の『弘道館記述義』だ。東湖はまずヨーロッパの「自然法」の考えに極めて近い「弘道」というものを考え、その「弘道」に基づいて日本には「宝祚無窮」・「国体尊厳」・「蒼生安寧」・「蕃夷戎狄率服」が実現されていると説く。
 彼はこれら四つの事柄は全て一繋がりの循環をなし、日本の国柄を実現していると言う。こうした全体的な循環の構造を持っているのが「国体」で、それを一方向に固定して「イデオロギー」として捉えようとすれば失敗する。これが「国体」の観念を分かりにくいものと捉えさせる。
 「国体」は君民の双方向的な政治道徳の形をなしているが、そのことがぎりぎりの国家存亡の危機においては真に困難なジレンマを生み出してしまう。戦争の末期に昭和天皇は国民を救うとして日本の降伏を選択するが、それは天皇の生命を危険に曝すことで、国民の立場からは降伏は有り得ない選択だった。日本政府はこのジレンマを自らの現実的な政治課題として負わされ、この決断不可能の状態から抜け出すため、「国体」という言葉の意味を立憲君主制に限り、「国体護持の思想」であたかも目下の問題はこの政治体制の維持にあるかのごとく振る舞った。
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