「ガッテン!」を観る。耳鳴り特集。
・注意力があり過ぎると悪化する。耳鳴り診療ガイドラインによると、
耳鳴りに注意が向くから耳鳴りになる、酷くなる。
・しかし「気にするな」と言われると当事者はツライ。
・注意力を減らすには、ホワイトノイズ(滝の音)を流しそちらに
注意をそらすと良い。低音から高音までまんべんなく含むことが
重要。あまり大きな音過ぎると、止めた時に耳鳴りが酷くなるので
ほどほどに。
・その他、絵を描く、囲碁将棋、音読、ヨガ、スポーツ、写経、香り
なども効く。
・音源はやや遠めに置くと良い。スピーカーは足元、壁向きに置く。
音量は一定。
・医師の治療が必要なものもあるので、まずは耳鼻科。
→ 音楽が良いのかな?と思っていたら、ノイズの方が良いんだ。私の耳鳴りは、まだそこまで酷くないけど。酷くなった場合には参考になるかな。
「日本人のおなまえっ」を観る。歌舞伎のお名前特集。
・「かぶき」と呼ばれた発祥期、江戸初期ではアウトローへの憧れを
体現する芸能だった。武士の仕事が戦士からサラリーマンに転換した
時代。馴染めない武士たちは暴れ回り「傾(かぶ)き者」と呼ばれた。
その頃、出雲阿国が「かぶき踊り」を流行らせた。当て字で歌舞姫と
か呼ばれたが、色っぽかったので禁止され、男性だけにして復活。
歌舞伎となった。
→ これは有名なので知ってるよっ
・「名跡」。同じ演目でも名跡によって衣装やストーリーが微妙に違う。
「襲名」。初代市川團十郎は不世出の名優だったが役者仲間に刺し殺
された。歌舞伎の人気急落を招きかねなかったので、興行主たちが息
子に團十郎の名を継がせたのが最初。興行的にも役者にも観客にも
メリットがあったし、鎮魂の意味もあった。
→ これは知りませんでした。市川が最初だったのね。
・「屋号」
市川團十郎が成田屋なのは、成田山で祈願したら子を授かったから。
尾上家が音羽屋なのは、清水寺の音羽の滝から。
松本家が高麗屋なのは、元奉公していたから。
市川猿之助家がオモダカ屋なのは、元の仕事の商品名。
・「十八番」
歌舞伎通なら知っている十八の有名な演目があったことから。
幼くして團十郎を継いだ七代目、他家に負けかけていたのを盛り返す
ため、演目十八本を選び「歌舞伎十八番」としてセットでアッピール。
中には上演できないものもあったが、仏教的に縁起の良い数字に合わせた。
この演目を箱に入れて保存していたので「おはこ」と読むように。
・「歌舞伎座」明治期、外国文化に対抗し外人にアッピールしようと
アクを除いてやらせようと政府は画策したが、花道も無く女形も廃止
されるのが庶民から顰蹙を買い、頓挫。当時の文化人・福地がオペラと
合わせた新しい歌舞伎を作り、近代的な劇場も作った。その劇場に、
興行主ではない名前「歌舞伎座」を付けた。歌舞伎という言葉が一般
的になったのはこの頃から。それまでは単に「芝居」と呼ばれていた。
最盛期には全国に歌舞伎座が20以上あった。
→ この辺も全然知らない。歌舞伎って死ぬまでに一度見てみたかったけど、叶わないねぇ。
「チコちゃんに叱られる」を観る。
Q:鼻に水が入ると痛いのはなぜ?
A:塩分が0.9%じゃないから。塩分濃度が体液と同じ0.9%だと痛くない。鼻の粘膜の半透膜を水が通過し痛いという信号を出す。鼻水の塩分濃度は0.9%なので痛くない。
→ 痛い?私、鼻うがいすることあるけど、そんなに痛くない。。。慣れちゃったのかな。
Q:イタリア料理にトマトが欠かせないのはなぜ?
A:庭師が腹ペコだったから。トマトの原産地は南米アンデス山地だが、スペインにより欧州へ。現在のものより小さかった。当時のスペイン領(現イタリア)ナポリにも観賞用として持ち込まれた。外見が似たマンドレイクの実同様、トマトも有毒だと誤解されていたが、空腹に耐え切れず庭師が食べ始めた。ちなみにトマトを生食するのはほとんど日本だけ。イタリア人は煮たりして加熱して食べる。
→ へぇ〜。ナポリから始まったんだ。スペイン領だったなんてビックリ。生で食べるのは日本だけ、というのにもビックリ。
簡易版Q:世界でコメを食べるランキング。国民全体で。
3位:ブラジル。主食は意外にもおコメ。油で炒めてから炊く。フェイジョンなどを添えて。
2位:中国。北部では小麦が主食だから2位止まり。お粥、チャーハン、粽等々。
1位:インドネシア。ナシゴレンなど。コメ料理が多い。
→ ブラジルが意外だわーそうなんだー。
Q:ガラスが割れるのはなぜ?
A:実は傷だらけだから。金属は粒子が粗いため力を加えると力が分散するが、ガラスは大半は均等なもののところどころに傷があるので、そこに力が集中しすぐ割れてしまう。キズの無いガラスは鉄並に頑丈。
→ なんでキズが出来るんだろ?そこ突っ込んで欲しかった。
ログインしてコメントを確認・投稿する