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2019年08月18日09:46

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「ふしぎ発見」「二・二六事件」「拝謁記」

 「世界ふしぎ発見」を観る。アンデス山脈の回。

・標高4000m超、世界最高地点の温泉がある。

・紫トウモロコシからジュースが作られる。

・インカ帝国の農業実験場?が存在した。気温の違いで生育を調べる。

・男性ホルモンのテストステロンを半減させる芋がある。鎮静剤として使われた。

・ジャガイモの原種は直径1cm、ビクーニャ(ラクダとアルパカの中間?)のトイレに育つ。

→ お盆なのに、この番組だけ通常運行。民放だから?







 夕食の支度をしながら、夕食を摂りながら、「全貌 二・二六事件」を観る。内容メモ。

 「天皇は最初、揺れていた、海軍まで反乱に加わることを心配していた」

 「この時期、軍の中で昭和天皇に批判があり、他の皇族に挿げ替えられかねなかった」

 「海軍は陸戦隊を出す準備をしており、市街戦一歩手前だった」

 「決起部隊から海軍軍令部に電話して要望。応えて海軍から中佐が1人交渉に向かった」

 「小笠原・元海軍中将が皇道派寄りで、有力な海軍大将に接触を持っていた」、

 「決起部隊への投降勅令は陸軍上層部でいったん握りつぶされた。対立を恐れたためか」

 「でも決起部隊は様子から察する。追い詰められた決起部隊は近衛師団幹部に接触し
  天皇の意思を確認している」

 「民意の支持を得ようと、決起部隊は街頭で一般人に訴えることもあった」。

 「決起部隊の一般兵士は、何をするのか知らされていなかった」

 「降伏は、部隊ごと、バラバラに行われた」

 「鎮圧で、軍部の力と天皇の権威が高まった」

 「海軍は事件7日前、計画の詳細と犯人の実名まで知っていた」

→ 海軍が事前に計画を知っていた、というのは意外。知っていたなら止めろよなー。







 16日夜のニュース。最近発見された田島長官の昭和天皇拝謁記。昭和天皇は悔恨と反省のメッセージを国民に伝えようとしたが、当時の吉田首相の反対で世に出なかった。

→ 東條を、軍を抑えられる人物と見込んで首相に据えたが時既に遅く軍の下克上の空気は止まらなかったこと、首相の挿げ替えもとても出来なかったこと、なども嘆いているそうな。実際どうか?は分からないけど、天ちゃんにはそう感じられたんでしょう。



 テレビで「初公開 拝謁記」を観る。田島・初代宮内庁長官による、昭和天皇への拝謁の記録。

・49年頃も退位について言及していた。国民と、皇祖皇宗に対する責任。法的には
 責任はないが、道義的には責任がある。辞める方が楽という趣旨の発言もあった。

・お言葉案に、反省という言葉を入れることにこだわった。

・南京事件、薄々事態に気付いていたが、報告するものがおらず、注意を払わなかった。
 市谷裁判を観ると実に酷い、とも。

・張作霖爆殺事件など、下克上の目をつむべきだったとも後悔。二二六以降の軍部の
 勢いは誰でも止められなかったと思う。東條内閣の時には遅かった。

・東條に、英米と袂を分かつことは忍びないと開戦前に伝えてあった。

・お言葉案、「志と違い開戦」はイイワケがましいと削除され、「勢の赴くところ」的な
 文言案となった。

・戦後、軍閥復活を恐れていたとともに、共産勢力の進出も心配していた。

・質問という形で度々吉田茂に意見を伝えようとする天皇を、田島が諌めていた。

・昭和天皇は戦前のような軍隊復活には否定的だったものの、(軍備の点だけの)
 憲法改正や再軍備には前向きだった。ソ連に脅威を感じていたため、防衛的な
 軍備には必要性を感じていた。吉田総理に伝えることは、田島宮内庁の田島
 長官に諌められていた。

・吉田首相は、お言葉案から戦争への悔恨を表した部分の全削除を求めた。天皇
 退位論をまた呼び覚ますことを恐れたと思われる。不満を隠さない昭和天皇。
 総理申し出の通り、田島は説得。象徴天皇制の重み。責任曖昧化の原因。

・1952年5月3日。お言葉。講和発効と新憲法施行。

・田島は、その後ソニーの会長に。

→ 反省していた昭和天皇。最初の意志どおりのお言葉であって欲しかった... 「私は貝になりたい」とか他人事じゃなかったでしょうね。
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