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2019年10月13日12:52

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人間の大きさ

私の住む街は昨日、台風19号を迎えて大騒ぎだった。
結論からすると個人的には何の実害もなくてホッとした。
せいぜい、せっかくの行楽シーズンなのに、電車が止まっていて遊びに行けなかったとか、断水を恐れて念のためにお風呂にお水を貯めておいたけれど空振りだったとか、そういうレベルの話である。

朝一で、離れて暮らす実家の母に電話をしてみたら、数回停電はしたけど家としては大丈夫だったという返事。
まあ、良かった。
   
一方、隣町では死者が出たようだし、河川の氾濫で水没した地区もあるという報道がなされている。
更には北関東から東北地方にかけて、まさにいま、大変なことになっているらしい。
警察も消防も自衛隊も役所も自治体も海上保安庁も、頑張っている。
老人ホームや病院の職員、建設重機を操る人々、みんなすごい。

 
mixiの日記で、「九州や北海道の災害の時には上から目線で騒いでいた(東京の)奴が、いざ自分のところの話になると、あたふたしていて実に見苦しい」というような旨の文章を目にした。
 
なるほど、そうだよな。
 
さっき私は「ホッとした」「良かった」と書いたのだけれど、それは自分だけのことを考えて書いた利己主義な感想なのである。
これは”人として美しくない”なぁ。
自分が被害者になったと仮定して物事を捉えろよ、という話だ。

でも、どこまでが自分が考えるべきテリトリーなんだろう?
自分と家族は、まあ自分の範囲だろう。
町内は? 市区内は? 都県内は? 日本全体で考える? 
親戚は? 友人は? 同僚は? 知らない人のことも?

ちょっと話は逸れるが、スポーツでは日本を応援して、海外諸国が「敵」だったりする。
でも日本人選手に知り合いはいなくて、海外の有名選手は名前ぐらいは知っていたりするから、応援するなら知っている方じゃないのかな?
誰かが勝負に勝つということは、誰かが勝負に負けるということで、勝った側の立場になれば嬉しいし、負けた側の立場になれば悲しいということだろう。
その時自分は、どちらの立場になるのが正しいのか。
  
例えば沖縄で通り魔に、誰か殺されたとする。
はっきり言って私は自分には関係ない話だと思ってしまいそうだが、殺された人の家族の気持ちを考えれば、もっと自分のこととして事象を捉えるべきなのかも知れない。
 
全体責任というか、戦前の全体主義の考え方に近い話になってしまうので、このへんは哲学的な視点を含むわけだよな。
 
こんな時に、例えば「被害もなくて、晴れてきたから、さあ私はディズニーランドに行こう!」なんて言うのは果たして不謹慎なのか?
国力の低下を恐れ、経済活動を止めないためには、むしろ行くべきなのか?
こんなことも少し前に議論になっていた。
   

ってな具合に、いろいろ総合的に考えると、むしろ利己主義である方が人生が生きやすくないだろうか。 

嬉しいことがあっても、嬉しくない人のことも念頭に置いたら笑顔を見せてはいけないわけじゃないか。
私が神様で、森羅万象、万人の幸せを願っているのであれば、常に悲しい話はあるのだから、 笑ってちゃいけない。

被災地の皆さん、頑張れ。 
でも私、今回は「自分に」被害がなかったことを、素直に喜ぶことにする。
駄目だろうか。
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