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日記一覧

84年新日本プロレスのサマー・ファイト・シリーズが開幕する2日前の6月27日、藤原喜明、高田伸彦のUWF移籍記者会見が浦田昇社長、前田日明同席で行われました。藤原は長年前座の鬼としてその強さには定評がありましたが、2月3日、札幌中島体育センター

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84年6月22日、馬場の常駐先と言っても過言ではない永田町のキャピトル東急ホテルで、馬場と新日本プロレス興行(以下、新日本興行)の代表である大塚直樹が同席して記者会見が行われ、全日本プロレスと新日本興行が業務提携を行い、第1弾として8月26日、田園

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84年6月14日、蔵前国技館ではIWGP優勝決定戦、前年度優勝者ハルク・ホーガンに猪木が挑んだ一戦。試合は猪木が連戦の疲れかホーガンのパワーに押され気味。場外乱闘となり、ホーガンが猪木に場外でブレーンバスター。しかしそのまま共倒れとなり、17分15

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84年5月8日、港区南青山の新日本プロレス事務所において、坂口副社長とUWFの新間顧問との間で会見が行われ、UWFを1シリーズのみで活躍休止し、二階堂進日本プロレスリング・コミッショナー裁定により前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬らを新日本プロ

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UWF旗揚げオープニング・シリーズは84年4月11日、大宮スケートセンターで開幕。開幕戦のメインイベントは前田日明がダッチ・マンテルを9分58秒、フライング・ニールキックからジャーマン・スープレックスホールドで破りました。また、高田伸彦は1シリー

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フジテレビの放送見送りを受けたUWFは旗揚げオープニング・シリーズの準備に取りかかりました。オープニング・シリーズは72年3月の新日本プロレスの旗揚げシリーズと同じシリーズ名であり、新日本を意識していたことが伺えます。84年3月25日にニューヨー

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新日本プロレスを退職に追いやられた新間寿が猪木の密命を受けて錯綜し、猪木の「受け皿」として設立した第3団体はユニバーサル・プロレスリング株式会社(通称UWF)。代表取締役には新間の中央大学の先輩で、自身もアマレスの選手であった浦田昇が就任、新

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一方、アメリカWWFでは、84年1月23日、ニューヨークMSGでハルク・ホーガンがアイアン・シークを破りWWF『世界』ヘビー級王座を獲得。ビンスとホーガンによる世界戦略がスタートします。同時にWWFと新日本プロレスの蜜月関係も微妙なものになって

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84年は新日本プロレスが旗揚げ以来の激震に見舞われた年でした。前年暮れ、新日本プロレスを退職し新日本プロレス興行の代表となった大塚直樹は新日本プロレスの興行を年間約50大会主催することで新日本と合意。初の主催大会は1月6日、後楽園ホール大会でメ

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83年闘魂シリーズ最終戦となった11月3日、蔵前国技館は正規軍vs維新軍の4対4綱引きマッチが行われました。(公開綱引きにより対戦組合せが決定)猪木は谷津嘉章を延髄斬りからの体固めで破り、藤波はキラー・カーンと両者リングアウト。前田日明(明)は長州の

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83年8月11日、タイガーマスクが内容証明郵便にて新日本プロレスとの契約解除を通告。引退を発表してファンを驚かせています。8月25日に港区南青山の新日本プロレス事務所で臨時取締役会が行われ、新日本プロレスの運転資金が猪木のブラジルでの個人事業であ

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83年4月3日には蔵前国技館で長州が藤波を16分39秒、リキラリアットからの体固めで破りWWFインターナショナル・ヘビー級王座を奪取。初の藤波戦勝利。長州は時代を味方につけました。首を負傷したタイガーマスクはNWA世界、WWFのジュニア2冠王座を

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83年の新日本プロレスは日本人による軍団抗争が激化し、これが爆発的人気を呼んで観客動員、ワールドプロレスリングの視聴率も上昇。中でも視聴率は20%を常時超える勢いでした。他局に「太陽にほえろ!」(日本テレビ)、「3年B組金八先生」(TBS)を向こう

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82年10月8日、後楽園ホールのメインイベントは長州力凱旋試合、猪木、藤波、長州組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、SDジョーンズ組の6人タッグマッチ。メキシコから帰国しても相変わらず入場では先頭を歩かされ、コールも自分が先

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新日本プロレスの圧勝に終わるかと思われた全日本プロレスとの引き抜き抗争&興行戦争でしたが、81年12月13日、全日本プロレスの蔵前国技館に新日本最強外国人レスラーであったスタン・ハンセンが乱入しました。新日本の強さの象徴でもあったハンセンの全日本

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古舘伊知郎アナ、山本小鉄、桜井さんの3人体制となったワールドプロレスリングでは、実況では古舘アナが目立ち、解説では山本の発言の機会が多くなりました。テレビ朝日解説者としての桜井さんのコメントは減少していき、新日本プロレスは79年6月にモハメド

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ワールドプロレスリングが、古舘アナ、桜井さん、山本小鉄という布陣になったことで、古舘アナは独特の古舘節と言われる比喩を用いた「闘いのワンダーランド」を始めとする名台詞でファンを魅了しました。また、山本小鉄はテレビ解説者としての職責を全うすべ

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79年3月1日は津市体育館大会(テレビ収録)でメインイベントは猪木、長州組がタイガー・ジェット・シン、ジョニー・マンテル組と対戦。(60分1本勝負)13分、猪木がJマンテルをバックドロップから体固め。 セミファイナルは坂口、木戸修組と上田馬之助、マサ

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79年3月1日、新日本プロレスの提携先であるWWWF(ワールドワイド・レスリング・フェデレーション、世界広域レスリング連盟)がワイドを現すWの1字を削除。WWF(ワールド・レスリング・フェデレーション、世界レスリング連盟)に改称しました。また前年

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79年2月23日、千葉公園体育館大会第6試合、長州力vsスタン・スタージャック。スタージャックは私はこの時生で初めて見ましたが筋肉はほとんどなくて足が細く、強そうには見えません。元WWWFヘビー級王者ということを考えるとタイガー・ジェット・シンに

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IWA世界タッグ選手権試合が終わった後、再びリング下の横断幕はワールドプロレスリングのものに取り替えられました。テレビ生中継まではまだ20分近く間がありました。第6試合は長州vs狼男スタン・スタージャックの一騎討ち。スタージャックと言えば、何と

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79年ビッグ・ファイト・シリーズは2月23日、千葉公園体育館で開幕。タイガー・ジェット・シン、スタン・スタージャック、ジョニー・マンテル、ペーロ・アグアヨ、ベビー・フェイス、ハン・リー、サイレント・マクニーの外国人選手が参加。フリー日本人選手も

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猪木vsミスターXのWWWF格闘技世界ヘビー級選手権試合は翌日の79年2月7日、ワールドプロレスリングのレギュラー枠とは別にテレビ朝日の水曜スペシャルにて90分枠で録画中継されました。この頃、猪木とモハメド・アリ戦の実現に向けて尽力したイベンター

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ミスターXを腕ひしぎ逆十字固めで難なく破った猪木に古舘伊知郎アナがリングに上がっての勝利者インタビューです。古舘アナ「猪木さん、完璧な勝利ですね」猪木「いやぁ〜、ビックリしたですね。意外な力を持ってましてですね。最初1ラウンド、面食らったで

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桜井さん「いやぁ〜、惜しかったですねぇ!」三浦アナ「第2ラウンド終了間際の猪木の攻勢、このラウンドは猪木が取ったようですね」桜井さん「そうですねぇ、最後の腕ひしぎは完璧に決まってましたねぇ!」超満員9900人発表の大阪府立体育会館の観客はミスタ

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三浦アナ「ローキック、そして膝蹴りであります」桜井さん「そうですねぇ、今のがねぇ、軽く打ちましたがねぇ、右とねぇ、膝蹴りが効いているみたいですねぇ!」三浦アナ「ちょっとこれが反則ギリギリのですね、いわゆる急所を狙った攻撃じゃないですかね!?

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インターバルの間、コーナーの椅子に座ってしきりに水を飲むX。1ラウンドの3分間で相当バテたようです。三浦アナ「互角という桜井さんの採点であります。コーナーのミスターX、とにかく謎に包まれてまして、ハロウェイトレーナー(セコンドに着いている怪

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ミスターXは赤覆面に黒い縁取り、白の真新しい空手着の上下。空手着の背中には黒で「X」の文字が入っています。第1ラウンド開始のゴング。三浦アナ「さあ、第1ラウンド開始のゴングであります。アントニオ猪木vsミスターX!」桜井さん「そうですねぇ、ミ

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79年2月6日、大阪府立体育会館で行われたWWWF格闘技世界ヘビー級選手権試合、猪木に挑戦するのは謎の覆面空手家、ミスターX。この日から早速、前日に新日本プロレス、国際プロレスの推薦により就任した二階堂進日本プロレスリングコミッショナーがリン

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ミスターX。プロレス業界では謎の人物を形容する表記として長く使われており、これまで日本マット界にも多数のミスターXが来日していますが、その実力差は様々でした。日本に現れたミスターXと言えばビル・ミラーがあまりに印象が強いですが、実はミラーよ

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