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日記一覧

83年世界最強タッグ決定リーグ戦第16戦は12月11日、横須賀市総合体育館大会(観衆4500人満員発表) 。これより2年前の81年12月12日、2日前まで新日本プロレスのリングで戦っていたスタン・ハンセンが全日本の控室に姿を現した会場で、全日本は要所要所で横須

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83年世界最強タッグ決定リーグ戦終盤戦最大の山場は12月10日、愛知県体育館大会。この日は土曜日で午後7時30分より特番「土曜トップスペシャル」で90分枠の生中継。集客ではいつも苦労させられている全日本の愛知県体育館には9800人(超満員発表)の観衆が集ま

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83年世界最強タッグ決定リーグ戦も後半戦に突入。1日の移動日を経て第12戦は12月7日、馬場のお膝元である新潟市体育館大会(観衆5300人満員発表)。公式戦は2試合組まれ、鶴田、天龍組が阿修羅・原、マイティ井上組と対戦。鶴田がフライング・ボディシザース

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83年世界最強タッグ決定リーグ戦第11戦は12月5日、福岡国際センター大会(観衆6100人発表、テレビ収録)。メインイベントの公式戦はスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組vsミル・マスカラス、ドスカラス組の一戦。一部ではマスカラスがハンセン、あるいは

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83年世界最強タッグ決定リーグ戦第6戦は11月30日、旭川市総合体育館常盤分館(観衆4500人満員発表)。公式戦はバリー・ウインダム、ロン・フラー組とザ・モンゴリアン、鶴見五郎組が対戦。ウインダムが鶴見を回転エビ固めに丸め込んでリーグ戦初白星の2点。モ

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83年世界最強タッグ決定リーグ戦第2戦は11月26日、土曜日ノーテレビの後楽園ホール大会(観衆3500人発表、超満員)。7月10日、テリー・ファンクさよならシリーズ以来の全日後楽園観客発表タイ記録でした。公式戦は鶴田、天龍組とザ・モンゴリアン、鶴見五郎組

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83年11月25日、世界最強タッグ決定リーグ戦開幕戦、大阪府立体育会館(テレビ収録)は8700人満員発表の観客を動員しました。この年の全日本プロレスは5回(1月13日、4月14日、7月19日、10月20日とこの日)大阪府立体育会館大会を開催、第1位は7月19日、テリ

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スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディは2シリーズ連続参戦。ただし前回は前半ブロディ、後半ハンセンが参戦。中間の1週間のみ2人が一緒に試合をしています。ドリー・ファンク・ジュニアは8月のスーパー・パワー・シリーズ以来3か月ぶりの来日。また引

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全日本プロレス暮れの看板シリーズ、世界最強タッグ決定リーグ戦の期間中はタイトルマッチは開催しない。これは77年12月に世界オープン・タッグ選手権を初めて開催して以来、馬場が一貫して崩さなかったプロモーターとしてのポリシーでした。ドリーとテリーの

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83年悼尾を飾る暮れの祭典、世界最強タッグ決定リーグ戦は以前にも書きましたように、77年の世界オープン・タッグ選手権から数えて6回連続開催された後楽園ホールではなく、11月25日、大阪府立体育会館で開幕。参加チームも大幅に変わりました。8月31日、蔵

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83年11月3日私の人生初のハシゴ観戦はまず昼の新日本プロレスから。タイガーマスク「引退」後の初の蔵前国技館大会でしたが、正規軍vs維新軍の4対4綱引きマッチ(当日、両軍による公開綱引きにより組合せが決定)という斬新な企画が受けたか、13000人(超満員)

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83年ジャイアント・シリーズ最終戦は11月3日、後楽園ホール大会(観衆3000人満員発表、テレビ収録)。私はこの日初の「ハシゴ観戦」をしました。この日は文化の日、木曜日祝日で午後2時から新日本プロレスの蔵前国技館大会、午後6時30分より、全日本プロレス

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83年10月31日、福島・会津体育館(観衆4800人超満員発表、テレビ収録)では2大タイトルマッチが組まれています。会津体育館は会津若松市にあり、会津若松市体育館、会津鶴ケ城体育館と時期によって呼び名が変わっていますがずっと同じ体育館です。ダブルメイン

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83年10月26日、盛岡・岩手県営体育館(観衆5000人発表、テレビ収録)から第63代NWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが特別参加。レイスは6月10日、ミズーリ州セントルイス・キール・オーデトリアムにおいて日本から戻ったばかりのリック・フレアーに2-1

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83年10月23日は日曜日の後楽園ホール大会(観衆3000人満員発表、テレビ収録)、私はこの興行は観戦しに行きました。メインイベントはUNヘビー級王者、テッド・デビアスに天龍が再度、挑戦。10月14日、佐世保市体育文化会館の初戦ではデビアスが得意の足4の字

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83年10月20日、大阪府立体育会館大会(観衆5000人発表、テレビ収録)ではメインイベントで鶴田、天龍組の鶴龍コンビとスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組の超獣コンビが激突。これまでの一連な流れから、天龍が超獣コンビのどちらかにフォールされて終わ

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83年10月14日、佐世保市体育文化会館大会(観衆3900人発表、テレビ収録)では2大タイトルマッチが開催されています。ダブルメインイベント第2試合はインターナショナル・ヘビー級王者の鶴田に前王者ブルーザー・ブロディがリターンマッチを挑んだ同タイトル戦

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猪木が日本プロレス時代に保持していた3本のベルトのうち、インターナショナル・タッグ王座はザ・ファンクスに奪われておりアジア・タッグ王座は直ちに王座決定戦が行われていますが、UNだけはわざわざカナダのバンクーバーで王座決定トーナメントを開催し

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日本プロレス時代にもあったUN王座決定トーナメント。83年から遡ること12年前の71年12月、時のUN王者猪木は日本テレビとNET(テレビ朝日)2局放映による多額の放映権料と興行収入で儲かって仕方ないはずの日本プロレスでありながら、選手の処遇が良くな

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83年ジャイアント・シリーズもう一つの目玉は、鶴田が6月17日、テキサス州ダラス・リユニオン・アリーナでのテッド・デビアスとの防衛戦(首固めで鶴田の勝利)を最後に「インターナショナル・ヘビー級王座奪取に専念する為」という理由で返上されたUNヘビー

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83年9月30日、後楽園ホールで行われたジャイアント・シリーズ開幕戦(観衆3300人満員発表、テレビ収録)はブルーザー・ブロディ単独エースながらもザ・グレート・カブキ人気もあり上々の入り。馬場にとってはデビュー23周年記念日となりました。(90年の30周年

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全日本プロレス創立満11周年となる83年ジャイアント・シリーズは9月30日、後楽園ホールで開幕。テッド・デビアス、ワンマン・ギャング、サイクロン・ニグロ、フィリックス・ロペスの外国人選手がシリーズ全戦参加。前半戦特別参加がブルーザー・ブロディ、キ

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83年9月8日、千葉公園体育館大会のその他の試合の模様です。鶴田はセミファイナルでバズ・タイラーとシングルで対戦。タイラーの反則をものともせず、ジャンピング・ニーパットからフライング・ボディシザースドロップを決めフォール勝ち。インターナショナ

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83年スーパー・パワー・シリーズ最終戦は9月8日、千葉公園体育館(観衆4200人超満員発表、テレビ収録)で行われています。ブルーザー・ブロディ、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、テリー・ゴディ、チャボ・ゲレロの5選手が8月31日、蔵前国技

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83年8月31日、蔵前国技館大会テリー・ファンク引退試合。兄のドリー・ファンク・ジュニアは青、テリー・ファンクは赤のトランクスで登場。試合はスタン・ハンセン、テリー・ゴディ組がパワーでファンクスを圧倒していきます。テリー・ゴディが140kgの巨体を

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83年8月28日、日曜日の昼間には東京・稲城市にあるよみうりランドで全日本プロレスファン感謝デーが行われています。毎年、7〜8月の夏休みの時期に開催され、74年に第1回大会が行われたのを皮切りにミル・マスカラス、ドスカラスの来日時期に合わせて家族

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83年8月26日は後楽園ホール大会(観衆3400人超満員発表、テレビ収録)。テキサスブロンコ、テリー・ファンク最後の聖地後楽園出場とあって、チケットは早々に完売。私はこの興行は生観戦しています。メインイベントは8月31日、蔵前国技館でテリー・ファンク引

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83年8月25日、岡崎市民体育館(観衆3800人発表)からインターナショナル・ヘビー級王者のブルーザー・ブロディ、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、テリー・ゴディが合流。まさに役者が揃った感じです。岡崎大会はノーテレビでしたが、豪華カード

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