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日記一覧

82年第10回チャンピオン・カーニバル最終戦は4月16日、福岡国際センターで行われました。優勝の可能性があるのは26点のブルーザー・ブロディ、25点の馬場、鶴田、24点のテッド・デビアスの4選手。この年も直後にグランド・チャンピオン・シリーズを控えてい

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馬場vsハンセンで沸き返った82年2月4日の東京体育館で鶴田はニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に挑戦。ニックの王座へは日本国内ではこれが初めてでした。王者ニックは前年5月10日、イリノイ州シカゴ・コミスキーパークでバーン・ガニアが

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松根新体制となった全日本プロレスは82年の新春ジャイアント・シリーズからスタン・ハンセン獲得で反転攻勢に出ました。鶴田は1月3日、後楽園ホールでキラー・トーア・カマタに反則含みの2-1で勝ちUNヘビー級王座を防衛。一応、反則勝ちながら1度は馬

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リングに乱入したスタン・ハンセンに対し怒りのドリー・ファンク・ジュニアが立ち向かいましたがスタミナ切れを起こしていたドリーは返り討ちに合ってしまいました。そこへ馬場、鶴田が救援にやって来て馬場がハンセンに脳天チョップを乱打。ハンセンは額から

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81年12月13日、蔵前国技館における世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦は11500人(満員)発表ながら実数では8日の新日本を下回り空席はありました。この日は4大公式戦が組まれ、まず天龍源一郎、阿修羅・原組はバロン・フォン・ラシク、キラー・カール・クラッ

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81年世界最強タッグ決定リーグ戦は11月27日、後楽園ホールで開幕。引き抜き抗争の影響から前年度優勝チームの馬場、鶴田組、ドリーとテリーのザ・ファンクス以外は出場チームが前年とは一変し新鮮な顔ぶれとなりました。ブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌー

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全日本プロレスが総力を結集した創立10周年記念ジャイアント・シリーズは10月2日、後楽園ホールで開幕。開幕戦では天龍源一郎と阿修羅・原が初の一騎討ちを行い両者リングアウトの引き分け。この試合での原の試合ぶりを馬場が気に入り、全日本への入団が決ま

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81年9月7日、福山市体育館で全日本のリングで初のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権試合が行われ、王者チャボ・ゲレロがドスカラスの挑戦を受けて1-1から両者リングアウトの引き分けで王座防衛。この時まだ全日本にはチャボに対抗し得

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81年8月20日、後楽園ホールでスーパー・アイドル・シリーズが開幕。ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズ、リッキー・スティムボート、新日本プロレスから引き抜かれたチャボ・ゲレロがNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級のベル

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タイガー・ジェット・シンは「7月2日(81年)に日本に行く」とマスコミに予告。この時点でまだ全日本プロレスへの移籍は公表されておりません。全日本へ移籍か?新日本へ殴り込みアブドーラ・ザ・ブッチャーを襲撃か?と注目が集まりました。翌日3日は全日本

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アブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍は梶原一騎とユセフ・トルコが共謀して新日本に売り込みをかけたと言われています。80年12月11日、蔵前国技館に姿を現した梶原とトルコはブッチャーに対し新日本への移籍を折衝。梶原と親交のあった千葉真一主

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第9回チャンピオン・カーニバルでの鶴田は馬場、戸口、ジャック・ブリスコと時間切れ引き分け、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディとは両者リングアウトと可もなく不可もない成績で19点と2位。この年はインター・チャンピオン・シリーズが休

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81年3月27日、後楽園ホールで開幕した第9回チャンピオン・カーニバルに鶴田はディフェンディング・チャンピオンとして参加。馬場、タイガー戸口ら日本勢にアブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディに出戻り参戦のジャック・ブリスコらの外国人勢が

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81年新春ジャイアント・シリーズ第2戦の1月3日、後楽園ホールではUNヘビー級王者のアブドーラ・ザ・ブッチャーに序盤戦のみ特別参加のザ・シークが挑戦。(試合は60分1本勝負)両者リングアウトの引き分けでブッチャーは3度目な王座防衛を果たします。1

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80年世界最強タッグ決定リーグ戦は前回挙げたザ・ファンクス、馬場、鶴田組、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・トーア・カマタ組、ザ・シーク、グレート・メフィスト組、リッキー・スティムボート、ディック・スレーター組の他に、ニック・ボックウィンク

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