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日記一覧

77年になると、新日本プロレスのリングにまだら狼上田馬之助が登場し北米タッグ王座は前年までとは流れが一変しています。1月7日越谷市体育館での新春黄金シリーズ開幕戦に乱入した上田はタイガー・ジェット・シンと共闘。セミファイナルの坂口、ストロング

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76年は猪木が格闘技世界一決定戦路線に乗り異種格闘技戦に走ったところからNWF世界ヘビー級王座の防衛戦は年間4回と少なくなりました。3月18日蔵前国技館ではジョニー・パワーズを2-1で撃破。アリ戦を挟んだ8月5日には蔵前国技館でタイガー・ジェッ

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76年の年頭の1月7日、東京日比谷の帝国ホテルで72年ミュンヘン五輪柔道重量級、無差別級金メダリストであるオランダのウィリエム・ルスカがプロ格闘家に転向、猪木に挑戦を表明しました。2月6日、新日本プロレス初使用となる日本武道館で両者が格闘技世界

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北米タッグ王座のベルトは再び猪木、坂口組の腰に戻りました。75年10月24日、水戸市民体育館で開幕した闘魂シリーズ第2弾には新日本初参戦となる人間風車ビル・ロビンソンが終盤1週間に特別参加。シリーズ最終戦12月11日、蔵前国技館では猪木のNWF世界ヘ

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ロサンゼルスでの試合から2日後の75年8月3日、ネバダ州ラスベガスにおいてNWA総会が開催されました。猪木の新日本プロレスが3年連続してNWAに加盟を申請。新日本プロレスは今回の加盟申請に先立ちアメリカの弁護士と相談の上、「今回加盟を却下した

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75年ゴールデン・ファイト・シリーズはアンドレ・ザ・ジャイアントは3週間で帰国し終盤1週間にはNWF世界ヘビー級王者タイガー・ジェット・シンが特別参加。シリーズ最終戦の6月26日、蔵前国技館猪木はシンに3度目の挑戦。シンは試合前に「猪木の挑戦を

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NWFがアメリカにいつまで存在していたのか?には諸説あります。経営不振に喘いでいた団体の共同オーナー兼エースレスラーのジョニー・パワーズが猪木に敗れNWF世界ヘビー級ベルトを失ったのが73年12月。猪木は1回目のストロング小林戦を終えたばかりの

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猪木のNWF世界ヘビー級王座返上問題は新日本プロレスの仕組んだ話題作りに他ありませんでした。長い日米プロレスの歴史においてデビット・ヘルマン(ディック・フェラルドマン)NWF会長、ジェリー・アレン・プラター会長代行の名前が出てくるのはこの時一

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74年は年頭から猪木が日本選手権の開催を訴え続け、馬場に挑戦を執拗に繰り返しました。元国際プロレスのエースだったストロング小林と日本プロレスの先輩大木金太郎を連続して倒した猪木は実力日本一の呼び声も高くなりました。しかし馬場は年末に来てその「

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74年5月24日、足立区体育館で開幕したゴールデン・ファイト・シリーズに初来日したNWA北米タッグ王者チーム、カール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組のナチの戦犯コンビは恐るべき強さを発揮。開幕戦では70年日本プロレスの第1回NWAタッグ

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ジョニー・パワーズ、パット・パターソン組とカール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組の北米タッグ王座をそれぞれ「別物」と見る向きが定説となっています。ベルトが異なっている事が最大の要因かと思います。私はちょっと見解が異なり、「王座は同

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猪木のNWF世界ヘビー級王座奪取は日本のプロレス界には画期的な出来事でした。それまでの長い日本プロレス界の歴史を辿ると、異論のある方もおられるかと思いますが、力道山、馬場のインターナショナル王座、猪木、坂口のUN王座はもちろんのこと、全日本

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もっとも、73年8月のロサンゼルスの大会の時は北米タッグ王座をどこが認定しているか?という事は明確にされていませんでした。これは新日本プロレスのNWA加盟が却下されているという事実が関与してくると思われます。猪木、坂口組がロサンゼルスでパワー

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先日、呟き版「プロレス今日は何の日?」で北米タッグ王座の件を取り上げたところ、読んで下さったマイミクさんより、同王座への質問がありました。新日本プロレスの黎明期に出現した北米タッグ選手権はその出土に不詳な点も多々あり、未だ真相がわからない部

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馬場と鶴田は82年2月23日にはフロリダ州タンパ・フォートフォーマー・ヘスタリーアーモリー大会に出場。前日オーランドでフロリダ州ルールにより不完全燃焼の反則負けを取られたジャックとジェリーのブリスコ兄弟との再戦を行いました。試合は7分49秒、ジャ

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