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78年4月8日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングに登場した藤波はエル・ゴリアスを相手にWWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を行いました。ゴリアスはブラック・ゴールドマンとの「赤い悪魔」レッド・デビルスの片割れとして知られ、新

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藤波辰巳のWWWFジュニア・ヘビー級王座獲得を契機に海外からの中継が増加したテレビ朝日のワールドプロレスリングですが、レギュラー番組の枠に収まらないものは別建予算を組んで特番の水曜スペシャルで放送するなど攻めの姿勢を見せ、ファンを喜ばせまし

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78年のビッグ・ファイト・シリーズが終わると、猪木とストロング小林はニューヨークへ、藤波辰巳はロサンゼルスへと遠征に出発しました。4月4日、ペンシルバニア州フィラデルフィア・スポーツアリーナのWWWFの興行に出た猪木、S小林は、先シリーズを欠

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藤波が敵前逃亡したカネックの代打、イワン・コロフを2分25秒、ドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で倒した後のメインイベントは猪木のNWFヘビー級王座にマスクド・スーパースターが挑戦。猪木の東京でのNWF王座防衛戦は前77年3月31日、

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「なんちゃってマスカラ戦」と言えば、新日本プロレスが藤波vsカネックの試合を「なんちゃってマスカラ戦」にしてお茶を濁そうとしていたか?は十分に考えられます。新日本のリングでこの後行われることになる81年8月6日、蔵前国技館での猪木vsマスクド・ス

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カネック敵前逃亡事件の中で最も私が主たる原因だと考えられるのが、藤波とカネックのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合が「途中から」マスカラ・コントラ・カベジェラ(敗者覆面剥ぎ&髪切りマッチ)とすることが新日本プロレスから発表されたことです。マ

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カネックの膝の負傷は本当でしたが、カネックは「敵前逃亡などではない。殺されそうになったから逃げただけだ」と語っています。これはロン・スターを始めとした他の外国人に控室でリンチに遭わされたことを指すかと思いますが、新間の言うカネックは「藤波の

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日本プロレスの歴史上においても珍しいカネック敵前逃亡事件ですが、時間が経つにつれその内容が判明して来ました。私は2011年3月に書いた別連載「猪木とビンス」(90)と(91)で当時のカネックの置かれていた状況やDEEPに来日した時のカネックのインタビュ

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藤波とタイトルマッチ前哨戦で好試合を展開し本番への期待が強まったカネックでしたが、シリーズ後半は藤波戦で膝を痛めて試合を欠場。前日まで試合を欠場したまま、シリーズ最終戦の3月30日、蔵前国技館大会を迎えるに至りました。タイトル戦の前に新間がリ

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MSG遠征からすぐさま日本に戻った藤波はシリーズに合流、78年3月24日、和歌山県立体育館では山本小鉄と組んでイワン・コロフ、マスクド・カナディアン組を2-1で撃破。この日のメインイベントは度重なる無法乱入を繰り返す悪のマネージャー、グレート・

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藤波は大垣でのカネック戦を終えるとビッグ・ファイト・シリーズを一時欠場してアメリカに出発、78年3月20日、ニューヨークMSGのリングに3度登場しました。以前にも書きましたが、全日本プロレスと全日本プロレスのファンに「新間がビンス(シニア)に頼ん

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78年3月17日、大垣市スポーツセンターではシリーズ最終戦の3月30日、蔵前国技館においてWWWFジュニア・ヘビー級王座を賭けて対戦する藤波とカネックが前哨戦でシングル対決。カネックの表記についてですが、メキシコではカネックだけであり、日本に来る

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78年3月10日、郡山市総合体育館では藤波はロン・スターとのシングルマッチ。ロン・スターもイワン・コロフ同様、今年17年6月8日に亡くなっています。80年2月には王座決定トーナメントで優勝、オクラホマ版NWA世界ジュニア・ヘビー級王者となり、同時期

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78年3月3日、高崎市体育館大会メインイベントはシリーズ最終戦の3月30日、蔵前国技館でNWFヘビー級王座を賭けて対戦が決まっている猪木とマスクド・スーパースターが前哨戦で一騎討ち。スーパースターとしてはこれが2度目の来日となり、イワン・コロフ

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78年3月3日、高崎市体育館大会セミファイナルは長州力、木戸修組vsイワン・コロフと藤波のメキシコ時代のライバル、カネック組の45分3本勝負。カネックはこれが初来日第1戦となり、前77年辺りから、メキシコ修行中であった藤波のライバルとして、藤波との

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78年3月3日、高崎市体育館での藤波辰巳凱旋マッチ、vsマスクド・カナディアン。この試合の映像は2012年に藤波のデビュー40周年を記念して発売されたDVD-BOXにダイジェスト映像が収録されています。実況は山崎正アナウンサー、解説は桜井さんですが、映像に

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スーパースター・ビリー・グラハムvsボブ・バックランドのWWWFヘビー級選手権試合は藤波vsテッド・アダムスのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合と一緒に78年2月24日のテレビ朝日、ワールドプロレスリングの中放送されました。海外のタイトル移動劇は

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ボブ・バックランドはミズーリ州ヘビー級王者であった76年10月8日にはセントルイス・キール・オーデトリアムで当時のNWA世界ヘビー級王者だったテリー・ファンクに挑戦。1本目をフォール勝ちし2本目は60分時間切れで1-0で勝利しましたが「3本勝負の

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新WWWFジュニア・ヘビー級王者となり一躍スターダムにのし上がった炎の飛龍藤波辰巳は王座獲得後もアメリカ東部地区をで試合をし、78年2月20日にはニューヨークMSGの定期戦に再び出場しました。テッド・アダムス(未来日)とWWWFジュニア・ヘビー王

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北米タッグ王座を奪取したハリウッド・ブロンドス迎撃に、ついに長期欠場明けの猪木が腰を上げざるを得ない状況になりました。75年9月26日、熊谷市民体育館で猪木は(この時は通常の黒のショートタイツ)星野勘太郎と組んでブロンドスと対戦。しかし結果は1本

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75年9月5日、長岡市厚生会館(現アオーレ長岡)のメインイベント、坂口、柴田勝久(柴田勝頼の父)組vsハリウッド・ブロンドスの試合で1本目にようやく坂口がバディ・ロバーツからペンデュラム・バックブリーカーからフォールを奪いましたが2、3本目をロバー

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78年新春黄金シリーズ最終戦の翌日となった2月9日、東京体育館では新日本プロレスとしては初のファン感謝イベント、「新春プロレスファンの集い」を開催しています。全日本プロレスは旗揚げ2年目の74年から稲城市のよみうりランドを使用してのファン感謝デ

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猪木の腕ひしぎ逆十字固めは上田が懸命にロープに足をかけて逃れました。両者再びスタンドの攻防から一瞬の隙をついて上田はカウンターの急所打ち。不意を突かれた猪木はダウン、上田はチョーク攻撃を見せながら、巧みに猪木の身体をロープに近い方に押し込ん

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猪木は一瞬のタイミングで札幌でのタイガー・ジェット・シン戦でも見せた側頭部へのジャンピング・ハイキック。この技は元々モハメド・アリ戦を前に公開スパーリングで実験的に見せていましたが、前77年10月25日、日本武道館でのチャック・ウェップナー戦でト

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上田馬之助と言えば技もなく、ラフファイト一辺倒のイメージが強いですが、実際に日本プロレス時代はセメント(ガチンコに似た意)の強さでは定評がありました。62年、若手だけのリーグ戦、東スポ賞が欠けられた「関西の牙」に出場、腕固めだけで優勝してしまっ

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78年2月8日、新春黄金シリーズ最終戦、日本武道館大会ダブルメインイベント第2試合、猪木vs上田馬之助のネイル・デスマッチ。舟橋アナ「このような試合は放送する方は反対であったのですが、猪木は敢えてこのルールで上田の挑戦を受けております。この辺り

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WWWFヘビー級王者スーパースター・ビリー・グラハムは2月6日、盛岡・岩手県営体育館から特別参加。来日第1戦では、同じタイプと言えるストロング小林とシングルマッチで対戦し11分18秒、カナディアン・バックブリーカーで勝利を収めました。シリーズ最

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新WWWFジュニア・ヘビー級王者となった藤波は78年1月27日にはロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングに登場。早くもマスクド・カナディアン(ロディ・パイパー)と初防衛戦を行い、30分9秒、飛龍回転固め(前方高角度回転エビ固め、いわゆる

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カルロス・ホセ・エストラーダvs藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合がテレビ朝日で速報としてダイジェスト放送されたのが日本時間で試合から4日後の78年1月27日でしたが(完全版は後日放送)、この日は愛知県体育館からの生放送との二元中継。藤波

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藤波がWWWFジュニア・ヘビー級王座を奪取した78年1月23日、ニューヨークMSGではスーパースター・ビリー・グラハムのWWWFヘビー級王座にミル・マスカラスが挑戦しています。マスカラスは「覆面レスラーは出場禁止」というニューヨーク州アスレチッ

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