85年IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ、第7戦は5月17日、熊本県立総合体育館(テレビ生中継、観衆4,120人発表)大会。この日のワールドプロレスリングは前々回書いた5月13日、大分県立総合体育館での藤波vsジミー・スヌーカのWWFインターナショナ
85年IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ第5戦は5月15日、長崎国際体育館(観衆3,210人発表)大会。83年の第1回、84年の第2回大会とも満員、超満員の連続でしたが、この年は日本側選手層の手薄さとトーナメント方式の為か、九州地区に強い新日本プロレ
85年IWGPチャンピオン・シリーズ第3戦は5月12日、福岡県中間市体育館(観衆2,690人発表)大会。この日はトーナメント公式戦はなく、メインイベントは猪木&藤波組に高野俊二を加えたトリオがキングコング・バンディ&ディック・マードック&アドリアン・
85年IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ、第2戦は5月11日、佐賀県唐津市文化体育館大会(観衆2,150人発表)。この日予定されていたIWGP挑戦者決定トーナメント1回戦、ストロング・マシン1号vsロン・ミラーはミラーの来日キャンセルによりマシン1
85IWGP挑戦者決定トーナメント、日本側は猪木は前年度優勝者でシード扱い。坂口がIWGP公式戦初参加。83年の第1回はアジア・ゾーン予選落ち。84年の第2回もリーグ戦には出場しておらず。選手大量離脱で層が薄くなった為、坂口が出ない訳にはいかず、
ジミー・スヌーカとボブ・バックランドのWWFヘビー級王座を賭けた攻防は3か月に亘りニューヨークMSGをソールドアウトさせました。82年5月21日の同所での再戦は両者リングアウト。6月25日、ついにケージ(金網)マッチによる決着戦となり、バックランド
注目は序盤戦特別参加となる新日本プロレス初参戦となる"スーパーフライ"飛獣ジミー・スヌーカ。来日自体、82年10月〜11月の全日本プロレス「ジャイアント・シリーズ」以来2年半ぶりの来日。初来日は71年9月の日本プロレス「第2回NWAタッグ・リーグ戦」
特別参加組のプロフィールです。このシリーズは「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」という名称ですが、その看板に偽りなし。ハルク・ホーガン、ボブ・バックランド、ペドロ・モラレスという現・元WWF世界ヘビー級王者が揃い踏みしました。既に引退
鋼鉄男アイアン・マイク・シャープは前84年1〜2月の新春黄金シリーズ以来1年3か月ぶりの来日。 父は日本プロレス史上最も有名な外国人タッグチーム、54年2月19日、蔵前国技館での日本初のプロレス国際試合に来日し、力道山&木村政彦組と対戦したベ
アンドレ・ザ・ジャイアントは前84年11〜12月の第5回MSGタッグ・リーグ戦以来5か月ぶり、IWGP本戦は3年連続の出場。83年はリーグ戦最終日の6月1日、愛知県体育館でキラー・カーンの場外心中作戦に嵌まり、両者リングアウト。84年は6月11日、同じ
85年「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」は5月10日、福岡スポーツセンター(テレビ収録、観衆5,650人満員発表)で開幕。この年のIWGPは過去2年間とはガラリと形態を変えて来ました。前84年の第2回大会は、その前の83年の第1回大会、6月2日、
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾最終戦、4月18日両国国技館大会セミファイナルは藤波vsストロング・マシン1号のシングルマッチ(ノンタイトル60分1本勝負)。前84年8月24日、後楽園ホールに突如として出現して以来、増殖したマシン軍団でしたがやはり
85年4月18日、ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾最終戦、両国国技館初進出(テレビ収録、観衆11,066人超満員発表)、3月9日、全日本プロレスでの同所でのプロレスこけら落とし(鶴田&天龍組vsザ・ロード・ウォリアーズのインターナショナル・タッグ選手権試
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾、最終戦前日は4月17日、古河市立体育館大会(観衆1,364人発表)。メインイベントでは4月14日、美濃加茂市中濃体育館かストロング・マシン2号が復帰、猪木&坂口&木村健吾&星野勘太郎組vsマシン1&2&3&4号組の
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾もいよいよ大詰め。4月16日は愛知・常滑市民体育館大会(テレビ収録、観衆2,467人満員発表)。地方大会は苦戦が続く新日本プロレスですが、東海地区の有力プロモーター、富野徹三氏率いる共同企画の興行だけあって満員マ
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾、ストロング・マシン軍団は今度はマシン2号が4月7日の名取市民体育館大会で負傷。4月8日の大分・宇佐市寿屋駅川店屋上駐車場特設リング大会(観衆1,140人発表)から欠場し、代わりにマシン4号が登場。マシン4号は
ブルーザー・ブロディ獲得で反逆の狼煙を上げた新日本プロレス、85年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾は序盤戦の激闘を展開。開幕戦からストロング・マシン軍団は1&2号だけの参戦でしたが1号が4月1日の山梨・石和町小松パブリックホール大会で負傷。翌
85年3月31日、ニューヨークMSGで行われたプロレスの祭典「レッスルマニア」記念すべき第1回大会、メインイベントはハルク・ホーガン&ミスターT組(Withジミー・スヌーカ)vsロディ・パイパー&ポール・オーンドーフ組(Withカウボーイ・ボブ・オートン)。
85年3月31日、WWFは世界プロレス界の歴史に名を残す一大ビッグイベント「レッスルマニア」をニューヨークMSGで開催しています。今年2019年現在35回目を数えるWWE年間最大の「プロレスの祭典」の記念すべき第1回大会はこの日に行われました。 前84
85年3月29日、ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾開幕戦のメインイベントでは猪木&坂口組の黄金コンビが久しぶりに登場。ディック・マードック&アドリアン・アドニス組のスーパー・バイオレンス・コンビと対戦。この組合せは前84年3月21日、新日本プロレス
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾は3月29日、藤岡市民体育館(観衆1,736人発表)で開幕。ディック・マードック、アドリアン・アドニス、ビリー・ジャック(ヘインズ)、マイク・ミラー、ゲシュタポ(リック・オリバー)、デビッド・テーラーの外国人選手がシ
85年3月21日、ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾最終戦、後楽園ホール大会メインイベント試合開始前、突如、南側最後列に姿を現した超獣ブルーザー・ブロディはリングに上がるや猪木と初対峙。この時テーマ曲というか、BGMにはベートーベンの「運命」が使
85年3月19日のテレビ朝日「ニュースステーション」の中で突然「世界最強のプロレスラー、ブルーザー・ブロディ選手の新日本プロレス移籍が決定致しました」と報じられ、プロレスファンもそうでない人達にも大きなインパクトを与えました。テレ朝が看板番組で
ザ・ロード・ウォリアーズが初来日した全日本プロレスの「激闘!エキサイティング・ウォーズ」最終戦は3月14日、愛知県体育館で最終戦を迎え、集客の厳しい同会場で9,200人(満員発表)の大観衆を集め、前回の84年12月8日、同所の世界最強タッグ決定リーグ戦
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾、3月8日は横浜文化体育館大会(テレビ生中継、観衆2,317人発表)。メインイベントでは猪木が雷神デビッド・シュルツとシングルマッチ。前週の開幕戦で実況の古舘伊知郎アナウンサーがシュルツに襲撃され、その仇討ちと
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾、第3戦となる3月3日、北茨城市体育館大会(観衆1,302人発表)で船木優治(誠勝)が当時では日本最年少の15歳11か月でデビュー。69年3月13日青森県出身の船木は16歳の誕生日を迎える10日前にデビューを飾りました。これ
第1回ヤングライオン杯参加選手は(内は年齢、デビュー年月)小杉俊二(25歳、81年1月)、後藤達俊(28歳、83年2月)、佐野直喜(20歳、84年3月)、山田恵一(20歳、同)、畑浩和(20歳、84年4月)、橋本真也(19歳、84年9月)、武藤敬司(22歳、84年10月)、蝶野正洋(21
85年ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾から第2弾にかけて若手の登竜門である「第1回ヤングライオン杯」が開催されています。 新日本プロレスでは若手の底上げという意味合いから旗揚げ2年後の74年から同趣旨のリーグ戦「カール・ゴッチ杯」(東スポ賞)を10
クレイジー・レロイ・ブラウンは79年7月17日、釧路市厚生年金体育館で坂口が保持していたNWF北米ヘビー級王座に挑戦。13分25秒、ブラウンのマネージャー格だったマサ齊藤が乱入して反則負けとなっています。 「北米二冠王」時代の坂口にフォールは許しま
85年「ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾」は3月1日、後楽園ホールで開幕。この年も81、83、84年に次いでビッグ・ファイト・シリーズを第1弾と第2弾に分けました。第1弾閉幕と第2弾開幕のオフは僅か1週間です。ハックソー・ヒギンズ、デビッド・シュル