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日記一覧

舟橋アナ「今日のニューヨーク・マジソンスクエアガーデンは超満員22511人の大観衆が詰めかけておりますが、日本からも東京スポーツを初め、雑誌のゴング、週刊ファイトらが取材に来ております。(プロレス誌の名前は呼ばなかった)それだけWWWFジュニア・

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藤波のドロップキック2連発を食らったカルロス・ホセ・エストラーダは両手を後ろに組んで「待て、待て」のジェスチャー。ここから藤波に握手を求めていきました。不審がりながらも握手に応じる藤波。しかしここでエストラーダはキックやパンチなどダーティな

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舟橋アナ「カルロス・ホセ・エストラーダの体重が99kg、ジュニア・ヘビー級の体重はは99.9kgまでが許されるんですが、藤波の体重は98kgであります。上背の方は藤波が187cm、エストラーダが185cmです」藤波の187cmはどう贔屓目にみてもそれはないだろう、とい

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78年1月23日、ニューヨークMSGで行われたカルロス・ホセ・エストラーダvs藤波辰巳のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合。試合開始のゴングが鳴りました。先ずはお互いカラー・アンド・エルボー(ロックアップ)でガッチリと組んでから藤波が鮮やかな巻き

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78年1月23日、ニューヨークMSGの定期戦にヨーロッパ、メキシコ、アメリカで修行を積んだ藤波辰巳が登場、WWWFジュニア・ヘビー級王座戦に挑みました。MSG決戦には、テレビ朝日のワールドプロレスリングの中継が入り、桜井さん、実況の舟橋慶一アナ

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ローカルテリトリー全盛時代のアメリカマット界は移動手段は全て車。試合場まで車を何人かのレスラーでシェアし会場入りし、終わったら同じ車でフリーウェーを運転して帰る。ベビーフェイスもヒールも一緒の時もありますが、同乗するところは観客に見られない

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WWWFヘビー級王者として新日本プロレスのリングに上がることになったスーパースター・ビリー・グラハムを迎え打つことになったのは猪木ではなく坂口征二でした。シリーズ最終戦の2月8日、日本武道館ではグラハムvs坂口のWWWFヘビー級選手権試合、猪

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78年1月6日、川崎市体育館で新春黄金シリーズが開幕。タイガー・ジェット・シン、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドス、ベニー&ビリーのマクガイヤー・ブラザーズ、サイレント・マクニーの外国人選手が参加。当初はガマ・シンが

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猪木はグレート・アントニオを顔面蹴りの連発で僅か3分49秒でKO勝ちしていますが、その表情は冴えたものではありませんでした。猪木の38年に及ぶプロレス人生の中で、リアルファイトと呼ばれる試合の一つに挙げられる試合と言えますが、猪木はアントニオ相

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舟橋アナ「スタミナではアントニオ猪木が遥かに優位です」アントニオは猪木にヘッドロック、しかし形だけで絞めているという感じはしません。桜井さん「何気なくヘッドロックにいっていますがねぇ、力が強いですから猪木君堪えるんじゃないですか!?」舟橋ア

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77年12月8日、蔵前国技館大会メインイベント、猪木vsグレート・アントニオの時間無制限1本勝負。先ずは密林王アントニオがチェーンを首からぶら下げてマネージャーであるディッパー・ゴードに先導されて入場。入場テーマ曲はクールアンド・ザ・ギャングの「

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77年闘魂シリーズ第2弾最終戦12月8日、蔵前国技館大会は9000人発表で満員成らず。3大決戦先ずは柔道ジャケットマッチ。ウィリエム・ルスカvsバッファロー・アレンの一戦。アレンは前回の10月25日、日本武道館での坂口との試合に敗れた後、野毛の新日本プロ

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77年11月18日、松阪市総合体育館からついにグレート・アントニオが試合に参戦。星野勘太郎、木村健吾(この年8月の闘魂シリーズから木村たかし→健吾に改名)、永源遥の3人との1対3変則タッグマッチを行い、2分43秒にフライング・ボディプレスで永源をフォ

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カナダの密林王グレート・アントニオはその存在そのものがファンタジーでした。61年から77年迄の16年間、一体どうやって生活して来たのか、少なくとも私がプロレスを見始めた74年以降、ゴング、プロレス誌、東スポ等でアントニオが試合をしていたというニュー

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77年10月28日、福生市民体育館で開幕した闘魂シリーズ第2弾のセミ前、ちょうどテレビ生中継が始まった頃、坂口vsゴールデン・ファルコン戦の試合中にグレート・アントニオが突如会場に姿を現し、観客席は大きなどよめきに包まれました。アントニオは縞のシャ

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77年10月28日、福生市民体育館で闘魂シリーズ第2弾が開幕。開幕戦から11月9日、室蘭市体育館までアンドレ・ザ・ジャイアントが特別参加。後半戦11月18日、松阪市総合体育館からパット・パターソン、ウィリエム・ルスカが特別参加。69年6月の日本プロレス以

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猪木vsチャック・ウェップナー第4ラウンド、開始のゴングが鳴りました。舟橋アナ「さあ、チャック・ウェップナーのKO予告ラウンドがこの後の第5ラウンドですねぇ!」猪木はウェップナーに組み付いてダウンさせ、腕ひしぎ逆十字固めに移行、しかしグラウン

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猪木vsチャック・ウェップナー格闘技世界一決定戦第2ラウンド開始。ウェップナーとパンチでの殴り合いにこだわる猪木。桜井さん「ちょっと猪木君が冷静になってないような気がするんですよねぇ」ここでサイドリポーターの三浦智和アナからコメントが入りまし

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まずチャック・ウェップナーが映画「ロッキー」のテーマ曲に乗って赤いフード付ガウン姿で入場。このロッキーのテーマはオリジナルサントラではなく、プロレスファンにお馴染みのメイナード・ファーガソンの演奏によるものでした。次いで猪木が「炎のファイタ

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77年10月25日、日本武道館では2大格闘技戦が行われました。まず、セミファイナルに組まれたのが元柔道日本一(65年全日本選手権優勝)の坂口とモントリオール五輪柔道重量級銅メダリスト、アレン・コージ(バッファロー・アレン)による柔道ジャケットマッチ。こ

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モハメド・アリとベロニカ・ポーシェ嬢との結婚式から帰国した猪木は闘魂シリーズ終盤戦に戦列復帰。終盤戦のテレビ収録マッチではシリーズ参戦の大型パワーファイター外国人とシングルマッチで対戦しています。まず、10月2日、山梨県富士急ハイランド大ホー

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77年9月22日、福島県会津体育館でのメインイベントは北米タッグ選手権試合の前哨戦。ブラックジャック・マリガンに代わって挑戦権を得たスタン・ハンセンがザ・ハングマンと組んで坂口、ストロング小林組とノンタイトルで対戦。1-1から両者リングアウトの

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77年闘魂シリーズは実は外国人側のエースに予定されていたのは新日本プロレス初参戦となる黒い猛牛ブラックジャック・マリガンでした。マリガンは70年11月にボブ・ウィンダムのリングネームで国際プロレスに初来日、タッグ職人として知られるラリー・ヘニング

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77年9月2日、愛知県体育館では猪木のNWFヘビー級王座にスタン・ハンセンが初挑戦。この日のワールドプロレスリング生中継より、テレビ朝日の前身であるNETが69年7月2日に同番組をスタートさせてからレギュラー解説を務めていた遠藤幸吉氏が勇退。レ

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猪木vsザ・モンスターマン戦を成功に終わらせた新日本プロレスは例年より長いシリーズオフ(23日間)を経て77年8月26日、桐生市民体育館から闘魂シリーズを開幕させています。1月の新春黄金シリーズで新日本プロレスのリングに初登場しインパクトを残したスタ

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猪木vsザ・モンスターマン格闘技世界一決定戦、試合は中盤の第4ラウンドへ。猪木はモンスターマンをグラウンドに引き込んで腕ひしぎ逆十字固め。モンスターマンは必死にロープへエスケープ、この試合グラウンドの攻撃は3秒のみです。猪木はなかなか離そうと

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猪木vsザ・モンスターマン格闘技世界一決定戦、試合が大きく動いた第2ラウンド、猪木のダブルアーム・スープレックスが決まりましたがモンスターマンは立ち上がります。舟橋アナ「桜井さんっ、モンスターマンは身体が滑るようですね!」桜井さん「滑りますね

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両選手がリングに上がり、立会人である福田宏一衆議院議員が認定宣言を行うと、両国国歌の斉唱、歌うは日本人の女性3人組のボーカルグループ。レフェリーは京都・日本正武館館長、鈴木正文、ジャッジはジャック・ゴードン、遠山甲。試合は3分10ラウンド。舟

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77年8月2日、日本武道館で行われた猪木vs全米プロ空手世界スーパー・ヘビー級王者、ザ・モンスターマン・エベレット・エディの格闘技世界一決定戦は11000人(満員)の観客を集めました。先ずはモンスターマンがジョニー・ペイトの「シャフト・イン・アフリカ

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77年8月19日はシリーズ最終戦の8月1日、越谷市体育館大会を放送。このアジア・チャンピオン・シリーズは先のゴールデン・ファイト・シリーズに次いで2シリーズ連続、東京での興行がありませんでした。新日本プロレスは後楽園ホール初使用は旗揚げして1年

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