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日記一覧

全日本プロレスの85年熱風!サマー・アクション・ウォーズは7月31日、大分県日田玖珠地区産業振興センターで最終戦を迎えましたが、8月1日は移動日で翌2日の札幌中島体育センターからジャパンプロレスの1週間のミニシリーズ第2弾「サマー・ドリーム・フ

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長州がジャパンプロレス社長に就任してから初のシリーズとなる全日本プロレスの85年「熱風!サマー・アクション・ウォーズ」6月28日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2000人発表)で開幕。前に書きましたが、同日、新日本プロレスが品川プリンスホテル・アイス

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85年7月28日、大阪城ホール(テレビ収録、観衆13740人超満員発表)では猪木とブルーザー・ブロディの2度目のシングルマッチが開催されました。 全日本プロレス、ジャパン連合が大阪城ホールを多用していたのに比べ、新日本プロレスは分裂前の84年3月21日以

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新日本プロレス85年バーニングスピリット・イン・サマーも折り返し地点に突入。7月19日、札幌中島体育センター(テレビ生中継、観衆4630人発表)では藤波はスーパー・ストロング・マシンの挑戦を受け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座の防衛戦を行って

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超獣ブルーザー・ブロディ、初の新日本プロレスシリーズ全戦参加となる「バーニングスピリット・イン・サマー」は85年6月28日、品川プリンスホテル・アイスアリーナで開幕しました。シリーズ名の由来はブロディが3月21日、後楽園ホールで新日本プロレスのリ

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一方、理想のプロレスと現実の興行のギャップに苦しんでいたUWFは海外タイムス社をスポンサーに付け、団体名を「海外UWF」に変更。新体制になってからの初のシリーズ「格闘技オリンピア」が85年5月18日、下関市体育館で開幕。下関はスーパー・タイガー

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全日本プロレスのジュニア・ヘビー級戦線も大きく変化してきました。85年6月8日、高松市民文化センターでダイナマイト・キッドがマイティ井上を11分47秒、逆さ押さえ込みで破り、かつての新日本プロレスジュニア時代のライバルである藤波、木村健吾が保持し

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全日本プロレス85年激震!サンダー・ウォーズ第3戦の5月19日、網走市総合体育館から阿修羅・原が試合に出場しています。原は前84年10月18日の高砂市民体育館を最後に試合を欠場。自らプロモーターを務める10月22日、長崎国際体育館大会の宣伝活動も一切され

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ジャパンプロレス初のミニ・シリーズビッグ・ラリアート・フェスティバル第4戦は85年5月14日、広島県立体育館大会観衆4500人発表と満員にはならず。ブーム以前の新日本プロレス、全日本プロレスも満員には出来なかった広島では苦戦を強いられました。メイン

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長州力率いるジャパンプロレスは85年2月21日、大阪城ホールでのワンナイト興行が成功したのを機に、全日本プロレスのシリーズオフに初となる1週間のミニシリーズ「ビッグ・ラリアート・フェスティバル」を5月10日、後楽園ホールで開幕させています。馬場以

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85年6月11日、東京体育館メインイベントは猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントのIWGP優勝決定戦(60分1本勝負)。アンドレにはマネージャーとしてショーグン・KYワカマツがついています。ヒールサイドの為に試合開始前に行われた吉原功氏の追悼セレモニー

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85年IWGPトーナメントは坂口、藤波、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードックがベスト4に残りました。6月4日、盛岡・岩手県営体育館ではアンドレが6分49秒、ヒッププレスからの体固めでマードックを破り決勝進出。6月5日、新潟市体育館で

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85年5月17日、熊本県立総合体育館(テレビ生中継)では藤波はIWGPトーナメントでアイアン・マイク・シャープを破っていますが、試合終了後、4月18日、両国国技館での藤波戦はマネージャーであるショーグン・KYワカマツのパウダー攻撃誤爆によるもので、

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新日本プロレスでは85年5月10日、福岡スポーツセンターから「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」を開幕させました。過去2回とは違い、優勝争い以外にタイトルマッチのラッシュをやることで観客の興味を他にも分散させた苦肉の策となった訳です。この

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ルチャ・リブレにもジャベと呼ばれる関節技がありますがやはりUWFでやっているほど先鋭的ではなく、勿論レガースを着けて蹴るキックはありません。飛び技を封印され、本領発揮出来なくなったUWFのリングでマッハ隼人はそれでもキックやサブミッションか

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85年4月12日、後楽園ホールでUWFが「フロンティア・ロード」を開幕させています。78年4月の新日本プロレス第1回MSGシリーズに来日したレイ・スチール、81年4月に新日本に来日したカズウェル・マーチン、77年6月の新日本、アジア・チャンピオン・シ

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88年8月8日、8が4つ並んだこの日、新日本プロレス横浜文化体育館ではワンナイト興行「スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ」が開催され、超満員6070人の観客を動員しました。メインイベントは王者藤波に挑戦者決定リーグ戦を勝ち上がって来た猪木が

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全日本プロレスに復帰してからのブルーザー・ブロディは88年3月27日日本武道館で、鶴田を17分7秒、キングコング・ニードロップで破り、インターナショナル・ヘビー級王座に4年7か月ぶりに返り咲き。4月4日、愛知県体育館で谷津嘉章を相手に初防衛に成功

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試合に乱入という形で新日本プロレス復帰が実現した長州。(実際はテレビ朝日が日本テレビに対し違約金を支払ったもの)87年5月30日、鹿児島県立体育館から出戻り組の長州、スーパー・ストロング・マシン、小林邦昭、ヒロ齋藤、保永昇男が試合に出場。長州はマ

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87年3月28日、全日本プロレス後楽園ホール、チャンピオン・カーニバル開幕戦、2シリーズ続けて試合に出ない長州はジャパンプロレスを除名処分になり、保持していたPWFヘビー級王座は剥奪されました。実は3月の中旬、長州の新日本プロレス復帰の件で馬場

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新日本プロレスを連続トラブルで去ったブルーザー・ブロディですが、帰国後はアメリカではテキサス州ダラス、そしてプエルトリコを主戦場にしていました。87年、長州と新日本プロレスとの間で復帰話が持ち上がりました。前年後半あたりから長州は雑誌のインタ

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85年IWGPタッグ・リーグ戦、決勝進出が決まっていたブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカは優勝決定戦の行われる12月12日、仙台・宮城県スポーツセンターには行かず、仙台から新幹線を使って東京に帰京。新日本プロレスでは同点2位の猪木、坂口組vs藤

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ところで、この88年7月にはプロレス史に残るような陰惨な事件が起きています。7月16日、プエルトリコ・バイヤモン球場のWWC(ワールド・レスリング・カウンセル、カルロス・コロン代表)主催の試合に出場予定であったブルーザー・ブロディ(本名フランク・

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88年7月25日、青森市民体育館大会(テレビ収録、観衆2690人超満員発表)で猪木は木村健吾とIWGPヘビー級挑戦者決定リーグ戦の2戦目を行いました。この頃の木村健は34歳。肉体的にもピークで、猪木とよく身体つきが似ており、遠くからのカメラアングルでは

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88年7月22日は札幌中島体育センター大会(テレビ収録、観衆4550人満員発表)。前年までの全日本、ジャパン提携時代で87年は同じ7月22日に全日本プロレスが札幌中島で興行を行い、鶴田vsスタン・ハンセンのインターナショナル・ヘビー級選手権試合ががメインイ

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新日本プロレス88年サマー・ファイト・シリーズは7月15日、後楽園ホールで開幕(テレビ収録、観衆2050人満員発表)開幕戦はまだ猪木は欠場の状態。このシリーズ、藤波の保持するIWGPヘビー級王座決定リーグ戦が行われることになりました。猪木はこのリーグ

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88年IWGPチャンピオン・シリーズもいよいよ大詰め。6月24日、大阪府立体育会館(テレビ収録)は6080人(超満員)の観客を集めました。5月27日、仙台・宮城県スポーツセンターで長州の挑戦を受けてIWGPヘビー級王座初防衛戦を行った藤波は試合中に足を負

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88年6月11日には新生UWFが札幌中島体育センターで旗揚げ第2弾興行「STARTING OVER UWF」を開催。テレビ放送のないUWFに取って、会場チケット料金収入は大きく、首都圏でない札幌で果たして満員に出来るのか?という危惧はありました。

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88年5月27日、仙台・宮城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆3620人満員発表)では新IWGPヘビー級王者となった藤波が長州の挑戦を受けて同王座初防衛戦を行いました。試合は藤波が試合中に足を負傷、急に動きが悪くなり、レフェリーのタイガー服部は試合

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スーパー・ファイトシリーズが終わった4日後の88年5月12日には、前田日明率いる新生UWFが後楽園ホールにて旗揚げ興行「STARTING OVER」を開催。まだインターネットによるチケット販売が普及していない時代でしたが、チケット発売初日には渋

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