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日記一覧

那覇大会の翌日、88年4月23日、宜野湾市体育館大会の試合前に体育館の周りをジョギングしていた猪木が左足の甲を骨折。急遽残りのシリーズを全休して東京に戻り治療に専念することになりました。猪木は保持していたIWGPヘビー級王座を返上、4月27日、大

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散々な試合内容に終わった88年4月22日、沖縄・那覇市奥武山体育館のメインイベント。控室で藤波は猪木の今シリーズ、大阪、有明でのビッグバン・ベイダーとのシングル2連戦は無理、自分にやらせて欲しいと直訴。飛龍革命というとどうしてもあの映像での藤波

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30年前の88年4月は新日テレビ朝日のワールドプロレスリング、日本テレビの全日本プロレス中継の両方が同時にゴールデンタイムから撤退し、新編成となってのスタートでした。ワールドプロレスリングの毎週土曜日午後4時からの放送第1回は4月16日で、4月11

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86年12月12日、日本武道館での世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦(鶴田、天龍組が史上初の同点による優勝決定戦でスタン・ハンセン、テッド・デビアス組にリングアウト勝ちし優勝)に輪島大士が東京初登場。師匠馬場とのタッグでリック・マーテル、トム・ジン

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一度は撤退させられたゴールデンタイムに復帰することが出来たのはテレビ業界では並大抵のことではありません。日本テレビ、全日本プロレス中継のゴールデンタイム復帰は馬場が異分子とも言える長州以下ジャパンプロレス勢を受け入れたのも大きかったです。ま

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ゴールデンタイムから撤退させられたのは新日本プロレスだけではなく、日本テレビの全日本プロレスも同様でした。全日本プロレス中継は88年4月3日より毎週日曜日午後10時33分からに移行しています。72年10月の全日本プロレス旗揚げから毎週土曜日午後8時の

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海賊男、たけしプロレス軍団(TPG)など猪木が提供するギミックやアングルが、感覚が古すぎて時代のニーズに合わなくなっていたのが新日本プロレス低迷の要因かと思います。併せて45歳という年齢と糖尿病から来る体力の衰えで猪木がもはや観客を満足させて帰

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88年2月29日、後楽園ホールで開幕したビッグ・ファイト・シリーズには前年、新日本プロレスのリングに度々乱入していた海賊男がビリー&バリーのガスパーズとしてシリーズに参戦。前年2月、フロリダで武藤敬司を突如襲撃、次期シリーズ3月2日、草加市スポ

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今日は88年4月22日、沖縄・那覇市奥武山(おうのやま)体育館で起きた飛龍革命からちょうど30年。藤波辰巳(当時)と猪木のやり取りは動画を参照して頂くとして、当時の背景について書きたいと思います。前87年5月に84年9月に新日本プロレスを退団し新日本プロ

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ブルーザー・ブロディに去られた全日本プロレスでしたが、参加選手層は厚く、またブロディも地方興行での集客力は乏しく、大きなダメージには繋がりませんでした。3月29日、後楽園ホールから「激烈!スーパーパワー・ウォーズ」が開幕しています。長州らジャ

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85年4月18日、新日本プロレス両国国技館初進出となった大会は11066人(超満員)発表の観客を動員しています。メインイベントは猪木vsブルーザー・ブロディ、運命の初対決。この3日前の4月15日、新日本プロレスは急遽後楽園ホールを借りて猪木とブロディの公

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全日本プロレスのシリーズ最終戦の試合を途中放棄して控室に帰ってしまったブルーザー・ブロディ。85年3月19日放送のテレビ朝日「ニュースステーション」の中で「世界最強のプロレスラー、ブルーザー・ブロディ選手の新日本プロレス参戦が決定しました」と発

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UWFは85年2月18日に後楽園ホールで開幕した「パンクラチオン・ロード」中でも格闘技ロード公式リーグ戦を継続。開幕戦ではセミ前でスーパー・タイガーがマッハ隼人と対戦しましたが、コールされると同時にマスクを脱ぎ素顔で試合を行いました。初代タイガ

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全日本プロレスの85年激闘!エキサイティング・ウォーズの最終戦は3月14日、愛知県体育館。前回の同会場での興行(84年12月8日)は全試合終了後、長州以下ジャパンプロレス勢がリングに乱入。この時は特番「土曜トップスペシャル」の生中継でしたが、ジャパン

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ジャパンプロレス勢の参戦で勢いを増した全日本プロレスは次期85年2月22日、後楽園ホールで開幕する「激闘!エキサイティング・ウォーズ」の終盤1週間(3月8日船橋市総合体育館〜14日愛知県体育館)にアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズの初来日を

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ジャパンプロレスの参戦で活況を呈していた全日本プロレスの85年激突!オールスター・ウォーズ。1月16日、熊本・芦北町立体育館からジャパンの首領、マサ齋藤が参戦。長州、谷津嘉章とのアマレス五輪トリオを結成し鶴田、石川敬士、大熊元司組と対戦。鶴田と

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長州力以下ジャパンプロレス勢が参戦し、出場選手が40人以上に膨れ上がった全日本プロレスはメンバーも新日本プロレス化。1月2日、後楽園ホール「激突!オールスター・ウォーズ」が開幕。長年、全日本プロレスのファンに親しまれた新春ジャイアント・シリー

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選手、フロント総勢36人が大量離脱した84年の新日本プロレスでしたが、85年は「新日本プロレス元年」をキャッチフレーズに新たなるスタートを切りました。スタン・ハンセンに去られた後の82年も「ストロングスタイル元年」をスローガンに掲げており、まさに出

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UWFでは84年11月15日、後楽園ホールで年内最終シリーズ、イヤーエンド・センセーションを開幕。新日本プロレスの本物志向のコアなファン層を取り込んで開幕戦は3,000人(超満員)の観客を動員。先シリーズ、ラッシャー木村と剛竜馬が退団、。R木村と剛がブ

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第5回MSGタッグ・リーグ戦はハルク・ホーガンの途中帰国により、ホーガン、ワイルド・サモアン組が1試合やったのみで以後のリーグ戦を棄権。ダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミス組の直前キャンセルで実質的には6チームの争いとなり、興行的に

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参加予定であったダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミスが直前にライバル団体の全日本プロレスに引き抜かれて行ってしまうと言う、屈辱のアクシデントに見舞われた新日本プロレスの第5回MSGタッグ・リーグ戦は84年11月16日、川崎市体育館で開幕。

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新日本プロレスを襲った激震はこれだけに留まらず。84年11月14日、新日本プロレスの第5回MSGタッグ・リーグ戦に参戦が発表されていたダイナマイト・キッドとデービーボーイ・スミスが来日、全日本プロレスへの電撃移籍を発表、同時期開催の世界最強タッグ

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選手大量離脱のあった新日本プロレスは84年10月5日、越谷市体育館で闘魂シリーズを開幕させました。マスクド・スーパースター、カウボーイ・ボブ・オートン、ブライアン・ブレアー、ブラック・タイガーらが参加。日本側はタイガー戸口、ザ・コブラが参戦した

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84年9月14日、駒ヶ根市民体育館のテレビ生中継では猪木、藤波、木村健吾組vs長州、アニマル浜口、谷津嘉章組の正規軍vs維新軍頂上対決が行われ、両チームリングアウトで決着はつかず。9月18日、江南市民体育館にて同一カードによる再戦となり13分31秒、長州

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謎の怪覆面ストロング・マシンは84年9月7日、福岡スポーツセンター、テレビ生中継のメインイベントで猪木とのシングルマッチでデビューしました。猪木がマシンを卍固めに捕えたところ、マシンのマネージャーであるショーグン・KYワカマツが乱入してノーコ

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84年8月29日、高崎市体育館でUWFがシリーズ第2弾「ビクトリー・ウィークス」を開幕させていますが、同シリーズはカール・ゴッチ最高顧問就任記念時と銘打たれて行われました。ゴッチと言えば67年からの日本プロレス「ゴッチ教室」からの猪木との師弟関係

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新日本プロレスの内部分裂騒動を確りと見ていた馬場は新たなるブレーンに大塚直樹をつけ、攻勢に出ました。タイガーマスク(ザ・タイガー)については後見人であるショウジ・コンチャ(曽川昌司)から馬場に対して売り込みがありましたが、ギャラをふっかけて来た

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一方、全日本プロレスと新日本プロレス興行(以下、新日本興行)の業務提携開始に不快感を示したのが新日本プロレスの坂口副社長。坂口は新日本興行の大塚直樹社長に「全日本プロレスの興行を買うならウチの興行は売らない。全日本プロレスを取るかウチを取るか

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札幌大会が終わると猪木はシリーズ中ながらニューヨークへ遠征。7月23日、MSGで行われるビンス・マクマホン・シニアメモリアル興行に参戦。チャーリー・フルトンを破り、またメモリアル・バトルロイヤルではレネ・グレイを降して優勝を果たしています。こ

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84年7月5日、大阪府立体育会館では藤波にカネックが挑戦したWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合が行われ、藤波が10分41秒、バックドロップからの体固めで王座防衛。その後7月20日、札幌中島体育センターで藤波に挑戦が決まっている長州が藤波と

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