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日記一覧

ジョージア州アトランタのプロモーター、ジム・バーネットは同性愛者として知られており、全日本プロレスにも来賓としてよく来日していました。リングに上がる時は口紅をさした薄化粧をしていたとされる「怪人」ですが日本テレビの倉持隆夫アナウンサーはバー

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82年7月4日、アメリカ独立記念日にジョージ州アトランタ・オムニセンターでNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーとWWFヘビー級王者ボブ・バックランドが夢の対決ともいうべきダブル・タイトルマッチで対戦しています。当時のWWFはNWAの傘下団体

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82年サマー・アクション・シリーズ天王山は7月30日、川崎市体育館大会。馬場vsタイガー・ジェット・シンのPWFヘビー級選手権試合、鶴田vsミル・マスカラスのUNヘビー級選手権試合、大仁田vsチャボ・ゲレロのNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー

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82年7月16日、富山市体育館(テレビ収録)では馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座にタイガー・ジェット・シン、キラー・トーア・カマタ組が挑戦。全日本の1本勝負制移行に伴い、66年9月、日本プロレスに同王座が初めて登場して以来、国内で同タイ

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82年7月7日、永田町のヒルトンホテルにて馬場(当時44歳)が記者会見を行い、河合元子さん(当時42歳)と6月18日付で婚姻届を提出し入籍したことを発表しています。当時の報道は電撃結婚的な書き方をしているマスコミも多かったですが、元子さんの存在は実際に

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82年サマー・アクション・シリーズは7月2日、福生市民体育館で開幕。ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズ、タイガー・ジェット・シン、キラー・トーア・カマタ、チャボ・ゲレロ、ジェリー・オーツ、スティーブ・リーガルの外国人選手がシ

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当時のNWA世界ジュニア・ヘビー級王者はレス・ソントンでソントンは81年7月に王者として新日本プロレスに参戦。当初藤波がソントンの王座に挑戦する予定でしたがこの時は結局NWAのベルトは賭けられず、逆にソントンが藤波のWWFジュニア・ヘビー級王

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実現はしなかったものの、この82年上半期には第2回プロレス夢のオールスター戦の開催に向けた動きがありました。4月22日、港区南青山にあった新日本プロレスの事務所で新間寿営業本部長が記者会見を行い、休眠状態になっていた新日版アジア・ヘビー級とアジ

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新日本プロレスとの興行戦争はこのシリーズでは札幌中島体育センターで全日本が6月1日(馬場vsスタン・ハンセン、大仁田vsジェイ・ヤングブラッドNWAインター・ジュニア戦)が9100人(超満員)、新日本が6月25日(猪木、ハルク・ホーガン組vsアンドレ・ザ・

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82年6月8日、蔵前国技館でのエキサイト・シリーズ最終戦は9800人(満員)発表の観客を動員しました。前年10月からの5シリーズ連続都心の1万人収容規模の大会場での興行は今回1万人を下回る発表でしたが、前回4月22日の東京体育館から6週間スパンと短く、

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82年6月4日、長岡市厚生会館(現アオーレ長岡・テレビ収録)大会よりNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーが特別参加。来日第1戦はノースカロライナを中心とするミッドアトランティックの黄金カードとしてリッキー・スティムボートの挑戦を受けています。

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開幕戦に乱入した上田馬之助は5月19日、松戸市運動公園体育館から試合に出場。クルト・フォン・ヘスと組んでセミ前で馬場、天龍組と対戦、馬場がヘスを片エビ固めで破っています。このシリーズはタイガー・ジェット・シン、上田、ヘスの3人がシン軍団として

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スタン・ハンセンの全日本プロレス参戦は、王道マットを1本勝負主流に変えてみせました。馬場的言い方をすれば「セオリーがない」ハンセンのプロレスはゴングと同時にラッシュしてパンチ、エルボー、ニーアタックを連発、間断なく攻め続け最後はウェスタン・

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82年エキサイト・シリーズは5月14日、後楽園ホールで開幕。例年同シリーズは2月〜3月にかけて開催されますがこの年は馬場、鶴田、天龍のアメリカ遠征があった為、繰り下げ。本来のスーパー・パワー・シリーズを8月下旬からに変更しています。スタン・ハン

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