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日記一覧

73年4月20日、群馬県吉井町体育館大会を最後にに日本プロレスが興行活動を停止し、日本プロレスリングコミッショナーもその役割を終えました。日本プロレスリングコミッショナーと言っても傘下に入っていたのは日本プロレスだけで、豊登、猪木によって66年に

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79年2月5日、新日本プロレスの新間寿マネージャーと国際プロレスの吉原功社長が出席して記者会見が行われ、衆議院議員の二階堂進氏(後の自民党幹事長)を日本プロレスリング・コミッショナーとして擁立することを発表しています。立ち上げは、新日本と国際2

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79年1月29日、国際プロレスの新春パイオニア・シリーズ最終戦の勝田市(現ひたちなか市)総合体育館ではグレート草津の代わりにマイティ井上がアニマル浜口と組んで、新日本プロレスの星野勘太郎、山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズに奪われたIWA世界タッグ王

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79年1月26日、岡山武道館で坂口はジョニー・パワーズのNWF北米ヘビー級王座に挑戦。北米ヘビー級王座の出土、変遷については私の過去作品「新日本プロレス北米選手権考察」に詳細に書いてありますのでそちらをご参照頂くと幸甚です。いずれにしてもパワー

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79年1月19日は唐津市体育館からのテレビ生中継。セミファイナルは翌週の1月26日、岡山武道館でジョニー・パワーズのNWF北米ヘビー級王座に挑む坂口がクルト・フォン・ヘスとシングルで対戦しています。豪快なアトミック・ドロップ、ジャンピング・ニーア

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79年1月12日、川崎市体育館でのテレビ生中継でボブ・ループが猪木のNWFヘビー級王座に挑戦しています。観客発表は3700人と満員とは成らず。1週間前の1月5日に全日本プロレスが鶴田vsフリッツ・フォン・エリックの試練の十番勝負最終戦をメインに興行を

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79年1月7日は新日本プロレスにとって初の日曜日昼興行且つノーテレビの後楽園ホール大会でした。後楽園ホールの日曜日昼興行はすでに日本テレビ、後楽園球場(現(株)東京ドーム)の関連で全日本プロレスが一早く定着させており、国際プロレスも追随して定期的

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再浮上のきっかけとなる79年の新日本プロレスは1月5日、大田区体育館での新春黄金シリーズ開幕戦からスタート。ボブ・ループ、ジョニー・パワーズ、クルト・フォン・ヘス、トニー・ロコ、カルロス・ホセ・エストラーダ、ヘクター・ゲレロ、トニー・セントク

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77年4月1日、蔵前国技館大会2日目は左腕を負傷して欠場中のストロング小林に代わって猪木が坂口との黄金コンビでタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組の北米タッグ王座に挑戦しています。1本目は上田が坂口を体固め。2本目は坂口が上田を片エビ固め。

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76年後半からモハメド・アリ戦で作った負債返済の為、NET(テレビ朝日)主導の元、借金完済路線がスタートします。路線は2本立てで、猪木、坂口らの格闘技世界一決定戦シリーズと、海外遠征における外貨稼ぎが主なものでした。格闘技世界一決定戦をシリーズ

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75年の後半は馬場が5月まで新日本プロレスに上がっていた大木金太郎の引き抜き、オープン選手権の開催に伴う猪木への参加呼び掛け、力道山13回忌追善興行開催にあたっての力道山家を使った嫌がらせとこれまでマスコミを使って猪木に挑発され続けて来た逆襲に

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現在は医学も発達し、リング上の抗菌処理も進歩、蜂窩織炎も09年にノアの杉浦貴がかかった時は短期に復帰出来、その後も支障なく試合をしていますが、やはり75年ともなると大病には違いなく、猪木は4週に亘ってシリーズを欠場。9月19日、千葉公園体育館でジ

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75年4月の第2回ワールド・リーグ戦は初の参加全選手による総当たりリーグ戦形式で行われ、猪木、坂口にフリーのストロング小林、大木金太郎の4すくみによる激闘を展開してファンを熱狂させました。中でも坂口と大木の日本プロレス崩壊を起点とした遺恨試合

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さらに74年は国内のシリーズ全日程を終えると猪木ら新日本プロレス一行は猪木が少年時代、移民生活をしていた57〜60年に多感な時期を過ごし、師匠力道山と運命の出会いを果たした第2の故郷ブラジル遠征シリーズを行いました。闘魂シリーズ第2弾に参加したア

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この第1回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦を観戦に、来賓としてニューヨーク地区の大プロモーター、キャピタル・レスリング・コーポレーション、WWWF代表のビンス・マクマホン・シニアが来日。ビンス・シニアは74年2月に契約選手であるアンドレ・ザ・ジ

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新日本プロレスは78年の全日程を終え、79年に入る訳ですが、79年は大躍進の年となりました。新日本プロレス46年の歴史の中においてはやはり興行は水物だけに浮き沈みも激しく、苦しい時期も多々ありました。テレビ中継なし、大物外国人選手は呼べるルートも資

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猪木、藤波はプレ日本選手権が終わるとすぐにニューヨーク遠征に出発。 78年12月18日、ニューヨークMSGの定期戦に出場しています。当初、猪木はテキサス・レッド(レッド・バスチェン)の挑戦を受けてNWFヘビー級王座の防衛戦を行う予定でしたが、WWW

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マツダは猪木の額めがけ、手刀(チョップ)の嵐。猪木はダウンして再び場外にエスケープ。三浦アナ「桜井さんっ、マサ齋藤あたりは勝つためには手段を選ばないというか、そういった物騒なことも言っていますし」桜井さん「そうですねぇ、やはりこれは同じフロリ

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マツダは猪木にストンピングのお返し。ところどころで見せる猪木のダーティな攻撃には相当頭にきているようです。三浦アナ「またようやくロープブレイクですが、マツダの攻勢!」マツダ、シュミット式バックブリーカーからフォールの体勢へ。猪木、カウント2

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三浦アナ「マツダ、スピニング・トーホールドから4の字狙い。そして、4の字に入りました。フィギュア4レッグロック!これはガッチリと決まりました」15分経過。三浦アナ「今、試合開始から15分が経過致しました。ヒロ・マツダの攻勢であります。フィギュア

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マツダ、猪木の左足を取ってトーホールド。1回転してスピニング・トーホールドのような感じで攻めますが、本家ザ・ファンクスのようにスピードもリズム感もありません。猪木はキックで返す。桜井さん「しかしねぇ、今、マツダの左腕が完全な状態だったら後ろ

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ロープブレイクの際、今度はマツダが猪木にエルボー、キックを見舞いました。先程のロープブレイクの時に猪木にヘッドバットを受けたお返しです。三浦アナ「さあ、ヒロ・マツダ、エルボーをかち上げました」猪木はラフファイトを見せたマツダに対し観客席に拳

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猪木はマツダを腕ひしぎ逆十字固めにガッチリと捕らえています。ここで最近、大相撲関連のコメンテーターとして地上波テレビによく出演していた銅谷志朗アナウンサーから猪木陣営のサイドリポートが入りました。銅谷アナ「放送席三浦さん、猪木コーナーですが

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猪木、マツダにスタンディング式のアームロックを極められながらロープに押し込んでロープブレイク。マツダは確かに細かいテクニックは上手いですが、NWA世界ジュニア・ヘビー級王座を2度、戴冠したことでもわかるように軽量であり、力では猪木に負けてし

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猪木の鮮やかな切り返し。館内からは「イノキ、チャ、チャ、チャ」の手拍子入りの連呼が沸き上がっています。これがイノキコールの原点かも知れません。桜井さん「いい動きですねぇ!」三浦アナ「ええ、いい動きですね」桜井さん「マツダがねぇ、身体をピッタ

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三浦アナ「桜井さん、まあ先程の試合(長州力、木戸修組vsアニマル浜口、寺西勇組)はこれからの日本マット界を予兆させるような試合でしたね」桜井さん「そうですねぇ、4人が4人共、持てる力を十分に発揮しましたねぇ、引き分けですがねぇ、満点の引き分けで

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