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mixiユーザー(id:21258650)

日記一覧

高千穂はフロリダでタッグを組んでいたマサ齋藤が78年11月のプレ日本選手権から新日本プロレスにレギュラー参戦するようになるとテキサス地区に転戦。佐藤昭夫(昭雄)とタッグを組んで活躍。79年8月のブラック・パワー・シリーズに1年8か月ぶりに佐藤と共に

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77年に入ってからの高千穂は泣かず飛ばずで、アジア・タッグ王座からは転落、11月25日、前橋市群馬県スポーツセンターから開幕した国際プロレスとの全軍対抗戦ではサムソン・クツワダとのタッグで国際のマイティ井上、アニマル浜口組に奪われた(11月6日、国

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76年8月、日本プロレスにあったUN王座が全日本のリングで復活しました。(UNもインターナショナルも「ヘビー級」が付くようになったのは全日本になってから。日本プロレス時代はインターナショナルになぞらえ、ユナイテッドナショナル選手権と呼ばれてい

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オーストラリア遠征に向かった高千穂明久はヒト・トージョーのリングネームでヒロ・トージョー(サムソン・クツワダ)とのトージョー・ブラザーズとして活躍します。初戦である73年10月19日、シドニーにおいてマーク・ルーイン、スパイロス・アリオン組を破って

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73年6月30日、行田市民体育館で行われたサマー・アクション(正式にはシリーズとはついていない)開幕戦から日本プロレスの残党が全日本プロレスに合流。高千穂明久はブラックジャック・スレードを回転エビ固めで破っています。しかし、全日本プロレスでの扱い

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ミラノ最後の来日となったのが85年5月の「激震!サンダーウォーズ」で、実に4年2か月ぶりの参戦となりました。この4年2か月で全日本プロレスのリングは大幅にその景色が変化しています。81年5月、アブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本プロレスへ移籍を発

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ミラノは79年3月3日、横浜文化体育館で開幕した第7回チャンピオン・カーニバルに素顔で参戦しています。リーグ戦参加メンバーは馬場、鶴田、ザ・デストロイヤー、フリー参戦を経て全日本に入団した石川孝志(隆士)、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田、

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ミラノが即席マスクマンのザ・バラクーダとして全日本プロレスに初めて参戦して来たのが75年1月の新春シリーズ。全日本にミラノをブッキングしたのはジム・バーネットからオーストラリアの興行権を買ったマーク・ルーインで、ルーインが全日本でレギュラーで

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72年日本プロレス新春チャンピオン・シリーズでのマリオ・ミラノは1月15日、徳山市(現周南市)体育館で大木金太郎のアジア・ヘビー級王座に挑戦。1本目はミラノが体固め、2本目は大木が足4の字固め、3本目は大木が逆エビ固めで連取して2-1で大木が王座

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ミラノの初来日は68年5月、日本プロレスのゴールデン・シリーズでした。当時のプロレス人気の異常な高さを現していたのが、このシリーズの開幕戦、5月18日、徳島市体育館大会の前日、5月17日の大阪府立体育会館が第10回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦でし

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翌77年に開催された第5回チャンピオン・カーニバルは、似たようなメンバーを集めたものの、面白さでは前年とかなり差がついたように思います。前年度優勝者のアブドーラ・ザ・ブッチャーは変わらずでしたが、ザ・バラクーダのところにスーパー・デストロイヤ

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第7週、76年5月13日、川崎市体育館(観衆4000人満員、5月15日関東地区は午後11時45分より放送)公式戦も終わり、この日のメインイベントはハーリー・レイスvsアブドーラ・ザ・ブッチャーの時間無制限1本勝負。ブッチャーが凶器でレイスの額を割って流血させ

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第6週、第4回チャンピオン・カーニバル公式戦最終日、76年5月8日札幌中島スポーツセンター大会(観衆4000人、テレビ生中継)。2週連続の生中継でした。最終日を残して優勝の可能性があるのは1位17点、失点7のザ・バラクーダ。同点2位には16点、失点8の

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第5週、76年5月1日、シリーズ天王山は日大講堂大会。(観衆7500人、テレビ生中継)プロ野球が開幕すると放送時間帯が深夜に移行されてしまう為に生中継は減少を余儀なくされています。3月6日、一関市体育文化会館大会以来2か月ぶりの生中継となりました。

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76年4月24日は鳴門市体育館大会。ザ・バラクーダは公式戦で因縁のザ・デストロイヤーと対戦しました。両者は前75年1月4日、後楽園ホールで覆面世界一決定戦十番勝負第4戦で対戦していますが、この試合の1本目、この時点での日本プロレス界での「記録」が

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76年第4回チャンピオン・カーニバル、第3週は4月17日、八戸市体育館(観衆4500人超満員、当日ディレイ放送、関東地区は午後11時45分より)大会。メインイベントは外国人ヒール頂上対決、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsキング・イヤウケア。初来日はイヤウケア

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プロレスのリーグ戦で面白さ、スペクタクルを形成する大きな要素として〆埜紊虜埜紊泙覇匹瓩覆ねゾ,旅塋。番狂わせ、大物食い。3幕前には予想出来なかったダークホースの活躍。い泙気の選手が優勝。などがあります。これまでの日本プロレス界で見ら

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75年前半の全日本プロレスの首都圏でのビッグマッチのカードと観客動員は以下の通りでした。新春シリーズ、1月29日(水)東京体育館、馬場vsハーリー・レイスPWFヘビー級選手権試合、デストロイヤーvsカリプス・ハリケーンUSヘビー級選手権試合、覆面世界

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日本にも馴染みの深かったイタリア系トップ外国人レスラー、マリオ・ミラノさん(以下、敬称略)が亡くなられました。享年81歳。68年5月、日本プロレスに初来日、その後72年に国際プロレスに一度だけ来日した後は75年1月ににマスクマンのザ・バラクーダとして

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高千穂明久は本名・米良明久、48年9月8日、宮崎県延岡市出身。プロレスラーを志して力道山存命中に日本プロレスに入門志願も、「坊や、中学校を卒業したらおいで」と芳の里に言われました。中学校卒業後、力道山死後の64年に日本プロレスに入門、69年にはシ

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83年1月20日は北茨城市体育館大会(テレビ収録、観衆2500人)。メインイベントは鶴田、天龍組とタイガー・ジェット・シン、キラー・トーア・カマタ組が対戦しています。このシリーズはシン、上田馬之助、カマタ、鶴見五郎が一つのヒールユニットとなっており、

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83年1月7日は高松市民文化センターでのテレビ収録大会(観衆3000人)。例年この時期は高知県民体育館での興行が多い全日本プロレスですが、この時は新日本プロレスが強いテリトリーである高松で興行を開催しています。鶴田はメインイベントで初来日のヘラクレ

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83年の全日本のリングは穏やかなスタートとなりました。前82年は年頭から新日本プロレスより移籍のスタン・ハンセンが参戦、翌84年は新日本の内部分裂により後半には色々な事件が起きます。この年はテリー・ファンクの引退はありましたが、いわゆる「無風状態

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全日本プロレス83年新春ジャイアント・シリーズは恒例の1月2日、3日の後楽園ホール2連戦からスタート。キラー・トーア・カマタ、ジプシー・ジョー、ヘラクレス・ヘルナンデス、ロッキー・ジョーンズ、スティーブ・ボラスの外国人選手がシリーズ全戦参加。

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猪木とビンス(414)
2016年12月04日01:32

最強タッグ最終戦の翌日となる84年12月13日、後楽園ホールでジャパンプロレスの「創立1周年記念興行」が開催されました。創立1周年というのは前年12月末にジャパンプロレス社長の大塚直樹が新日本プロレスを退職して猪木から休眠会社となっていた新日本プロ

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猪木とビンス(413)
2016年12月03日10:33

全日本プロレスのリング内についに足を踏み入れた長州は84年12月12日、横浜文化体育館で行われた世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で試合を行っています。この日は6100人(超満員)発表の観客を動員。鶴田、天龍組vsスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組、

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猪木とビンス(412)
2016年12月02日20:08

一方、長州力以下のジャパンプロレス勢は84年12月8日、全日本プロレスの愛知県体育館大会に軍団で姿を現しています。この日は土曜日で午後5時30分からの通常枠(関東地区)で全日本プロレス中継の放送があった他(12月4日、福岡国際センター大会を放送)、午後

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猪木とビンス(411)
2016年12月01日22:42

第5回MSGタッグ・リーグ戦優勝決定戦が行われた同じ日の84年12月5日、UWFが旗揚げイヤー最終戦となる後楽園ホール大会を開催し3250人(超満員)発表の観客を動員しています。大量離脱により選手層が薄くなってしまった新日本プロレスはストロング・マシ

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