mixiユーザー(id:21258650)

日記一覧

後半戦(4月13日京都府立体育館〜26日大宮スケートセンター)参加組の紹介です。ブルーザー・ブロディは先のエキサイト・シリーズから2シリーズ連続参戦。前回はニック・ボックウィンクルvs鶴田のAWA世界、インターナショナル両ヘビー級王座ダブルタイトル

続きを読む

カナダの荒熊ジョー・ルダック(4月6日北九州市西日本総合展示場〜26日大宮スケートセンターまで特別参加、ジョー・レダック表記の文献もあり)は全日本プロレスには「ブッキングされて呼ばれる」のは初めて。初来日は71年4月の日本プロレス第13回ワールド・

続きを読む

前半戦特別参加のバグジー・マグローは81年5月のスーパー・パワー・シリーズ以来2年9か月ぶりの来日。マグローは72年3月の日本プロレス第14回ワールド・リーグ戦にマイティ・ブルータスのリングネームで初来日。74年3月にはTBSテレビ放送打切り後の国

続きを読む

84年グランド・チャンピオン・カーニバルPART技臆坦姐饋佑両匆陲任后シリーズフル参戦となるPWFヘビー級王者スタン・ハンセンは前83年11月の世界最強タッグ決定リーグ戦以来3か月ぶりの来日。前回の来日ではブルーザー・ブロディとの超獣コンビ(ミ

続きを読む

全日本プロレスが所管していたタイトルは、84年3月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART騎幕前の時点でPWFヘビー級(馬場)、インターナショナル・ヘビー級(鶴田)、インターナショナル・タッグ(馬場、鶴田組)、UNヘビー級(天龍)、アジア・タッ

続きを読む

そもそも、大木金太郎の保持していたインターナショナル王座をNWAが「返上しろ」と「勧告」する筋合いは全くありません。力道山が保持していた58年8月27日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでルー・テーズを降して奪取したインターナショナル

続きを読む

大木金太郎は馬場に好条件を呈示され、新日本プロレスから全日本プロレスにあっさり移籍を決めています。当時副業として行っていた水産品加工卸売が多忙になり資金が必要だったこともあったかと思います。75年9月22日、馬場は大韓プロレス協会の権五台会長の

続きを読む

一方、73年11月の創立1周年記念ジャイアント・シリーズを最後に全日本プロレスから離れ、韓国に帰っていた金一こと大木金太郎は母国で水産品加工卸売の事業を開始。そんな大木に新日本プロレスの新間寿営業本部長が声をかけ、大木は新日本プロレスのリングに

続きを読む

インターナショナル・タッグ王座を獲得した馬場、鶴田組の「師弟コンビ」はドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組のザ・ファンクス(2回)、ジン・キニスキー&キラー・コワルスキー組、ブルーノ・サンマルチノ&コワルスキー組、ボボ・ブラジル&ハ

続きを読む

ジャパン・プロレスリングユニオン(以下ユニオン、90年代に旗揚げし後にDDTの傘下団体となったユニオンプロレスとは別)という組織がありました。ユニオンは日本プロレスの興行を買っていたプロモーター達が日本プロレスの興行活動停止に伴い「買う興行がな

続きを読む

インターナショナル・タッグ王座は、日本プロレス最後のシリーズとなったアイアン・クロー・シリーズの73年4月18日、焼津市体育館でフリッツ・フォン・エリック、キラー・カール・クラップの「爪コンビ」が大木金太郎、上田馬之助組を2−1で破り王座獲得。

続きを読む

全日本プロレス84年グランド・チャンピオン・カーニバルPART機後半戦の見どころは新設されたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦。4月13日、京都府立体育館から4月25日、横浜文化体育館まで、馬場、ドリー・ファンク・ジュニア組、鶴田、天龍組、スタン

続きを読む

全日本プロレス84年春の祭典「グランド・チャンピオン・カーニバルPART機廚錬碍23日、木更津市倉形スポーツ会館で開幕。 この年も前83年同様、73〜82年の10年間継続した公式戦による優勝争い形式は行われず、7月のPART靴泙韮瓦月に亘り、タイト

続きを読む

馬場、鶴田、天龍の北米サーキット第6弾(ツアー最終日)は84年3月15日、ユタ州ソルトレイクシティ・ソルトパレス(テレビ収録、観衆8,000人発表)大会。メインイベントは鶴田の持つAWA世界ヘビー級王座にザ・ハイフライヤーズの片割れである"ジャンピング"

続きを読む

馬場、鶴田、天龍北米サーキット第5弾は84年3月11日、ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティアリーナ大会(テレビ収録、観衆6,500人発表)。メインイベントは鶴田のAWA世界ヘビー級王座に日本ではUNヘビー級王座を賭けて何回も60分フルタ

続きを読む

84年3月8日には、新団体UWF(ユニバーサル・プロレスリング株式会社)の団体設立と事務所開きが行われ、4月11日、大宮スケートセンターで旗揚げ戦が行われることが発表されました。UWFは前83年8月、新日本プロレスで起きた新日本プロレスの興行収入を

続きを読む

セントルイスでの興行に参加したメンバーを見て気付かれた方もいるかと思いますが、AWAのサーキットメンバーが数多く出ていました。ビンス・マクマホン率いるWWFの全米マーケット侵攻開始に伴い、NWAとAWAが手を組んでこれを迎撃したというのが「

続きを読む

北米サーキット中の馬場、鶴田、天龍の全日本プロレス勢は84年3月10日には一旦AWAから離れて、NWAの総本山、ミズーリ州セントルイス・キール・オーデトリアム大会(観衆10,400人超満員)に登場。メインイベントはリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王

続きを読む

馬場、鶴田、天龍北米サーキット、3月5日は鶴田が単独でミネソタ州ミネアポリスのチャンネル29テレビスタジオにおいて次回ハウスショー(3月11日ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティアリーナ)に向けてのTVテーピングを行いました。鶴田は

続きを読む

新AWA世界ヘビー級王者鶴田の北米サーキット第2戦は84年3月4日、イリノイ州シカゴ・ローズモント・ホライズン(テレビ収録、観衆19,500人)大会。鶴田を迎え打ったバーン・ガニアの1人目の刺客はベテランのブラックジャック・ランザ。鶴田とランザは78年

続きを読む

84年エキサイト・シリーズが終了すると新AWA世界ヘビー級王者となった鶴田の北米サーキットがスタートしました。このツアーには馬場も鶴田のマネージャー格として同行、UNヘビー級王座を獲得した天龍も同行、日本テレビの中継班も入りました。日本テレビ

続きを読む

全日本プロレス84年エキサイト・シリーズ終盤戦でもいくつかの注目カードが行われていますが、AWA世界ヘビー級王者となった鶴田の北米サーキットの模様を日本テレビが収録、全日本プロレス中継の中で放送することが決まった為シリーズ間の「撮りだめ」の大

続きを読む

84年全日本プロレスエキサイト・シリーズ、2月26日、大阪府立体育会館大会その他の試合はどうだったでしょうか?セミファイナルではNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者チャボ・ゲレロに3日前の蔵前国技館で足4の字固めの前にギブアップはし

続きを読む

鶴田がAWA世界ヘビー級王者として初の北米サーキットを行うことは快挙でした。鶴田は日本人として初のAWA世界ヘビー級王者に輝きました。70年1月、国際プロレスにAWAの帝王バーン・ガニアが初来日してから14年、国内の日本人選手ではストロング小林

続きを読む

84年2月26日、大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆7,800人満員発表)のメインイベントでは新AWA世界ヘビー級王者となった鶴田のAWA世界、インターナショナルの二冠に今度はニック・ボックウィンクルが挑戦。前回の蔵前国技館では2連戦とあって鶴田のA

続きを読む

鶴田がついに世界のベルトをその腰に巻いた84年2月23日、蔵前国技館ではダブル・メインイベント第1試合で王者デビット・フォン・エリックの急死により空位となったUNヘビー級王座決定戦が天龍とリッキー・スティムボートとの間で行われました。リッキーは

続きを読む

84年2月23日、蔵前国技館(テレビ収録、観衆12,500人超満員発表)は急遽、2月10日に急死したデビット・フォン・エリック追悼興行として行われました。 メインイベントはAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルvsインターナショナル・ヘビー級王者鶴

続きを読む

九州地方をサーキットしている全日本プロレスは84年2月21日は鹿児島県指宿市民体育館(テレビ収録、観衆3,000人発表)。メインイベントでは鶴田、天龍組がスーパー・デストロイヤー1&2号と対戦。14分36秒、鶴田が1号を場外へ落としている間に鶴龍が2号に

続きを読む