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日記一覧

全日本女子プロレスは95年に入ると引退を示唆する発言をしていた北斗晶が北朝鮮遠征で知り合った新日本プロレスの佐々木健介と結婚し、引退はしていなかったもののセミリタイア状態となりました。95年3月26日、横浜アリーナで行われた「横浜美神王国」では豊

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女子プロレスと横浜文化体育館は全日本女子プロレスを初め、各団体が「大場所」と言われるビッグマッチを開催していますが、残念ながら初期の女子プロレスはゴング、プロレス誌などのプロレス熱戦譜に記録が掲載されず、スポーツ紙も結果を載せていたのはディ

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ウルティモ・ドラゴンが創立したルチャ・スクール闘龍門は96年にメキシコで設立されました。Uドラゴンについては本連載のユニバーサル編、SWS編、WAR編でも書いて来ましたが、WARに入団後、96年8月5日新日本プロレスのリング行われたでジュニア8

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「社会人プロレス」をコンセプトに93年8月21日、桐生市民体育館で旗揚げされた谷津嘉章のSPWF。SWS編、WAR編でも書きましたが、SWSは活動休止後、天龍派の「レボリューション」のメンバーを中心にしたWARとジョージ高野、高野俊二(拳磁)、ケ

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90年代は「泡沫インディーズ団体」が多数出現し、89年、平成元年初頭時点で存在していたのは新日本プロレス、全日本プロレス、新生UWF、全日本女子プロレス、ジャパン女子プロレスの5団体だけでしたが、これ以降団体が急増していきました。インディーズの

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96年1月、ビクター・キニョネスと浅野起洲代表の訣別によりプエルトリコルートから外国人選手が呼べなくなったIWAジャパンですが、カクタス・ジャック、タイガー・ジェット・シン、テリー・ゴディらの主要外国人選手は残留しました。(テリー・ファンクは

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W☆INGの外国人招聘窓口をしていたビクター・キニョネスは94年1月に代表の茨城清志と訣別しW☆INGから離脱。飲食業の傍ら、全日本プロレス始め各団体のプロモーターをしていた浅野起州(金六)と共に新団体「IWAジャパン」設立に動きました。IWA

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FMWから分裂し、コアなファン層を持っていたW☆INGは当時のFMW社長だった大迫和義、外国人ブッカーをしていた茨城清志、レフェリーの川並清嗣、リングアナの大宝拓治、外国人招聘窓口だったビクター・キニョネス、ヒールレスラーのトップだったミス

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96年5月26日、横浜文化体育館大会以降のWARは大幅な動きがありました。9月11日、UWFインターナショナルの神宮球場大会に天龍が参戦、高田延彦とシングル初対戦、腕ひしぎ逆十字固めでギブアップ負け。(同年12月13日、WAR両国国技館での再戦は天龍

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順調に見えたWARと新日本プロレスの提携でしたが、初の横浜文化体育館直後に亀裂が生じました。94年2月17日、新日本プロレス両国国技館大会で天龍と橋本真也の再戦が行われ、橋本がジャンピング式DDTで天龍をフォールし、前年6月17日、WAR日本武道

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SWSの後継団体として天龍率いる「レボリューション」のメンバーが中心になって設立されたのがWAR(レッスル・アンド・ロマンス)。他の参加メンバーはザ・グレート・カブキ、石川敬士、阿修羅・原、ウルティモ・ドラゴン、冬木弘道(サムソン)、北原光騎、

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90年10月18、19日の両日に亘って横浜アリーナで旗揚げ興行を行ったメガネスーパーが設立したSWS。今年20年は旗揚げから30年の節目の年となりました。プロレスが大好きだった田中八郎社長は前89年11月29日、新生UWFの東京ドーム大会「U-COSMOS」を冠スポ

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ユニバーサル・プロレスはMASAみちのく(ザ・グレート・サスケ)、モンキーマジック・ワキタ(スペル・デルフィン)、ブルドッグKT(外道)、クーリーSZ(邪道)等の若手はいましたが、基本的にグラン浜田、浅井嘉浩はメキシコを拠点に活躍しており、シリーズ

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U系派生団体は総合格闘技系を標榜する団体のみならず実は他にもあり、その源流が第1次UWFにある日本初のルチャ・リブレ団体「ユニバーサル・プロレスリング」です。第1次UWFの登記法人称号は「ユニバーサル・プロレスリング株式会社」、前田日明は第

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藤原組から派生したもう一つのU系団体「格闘探偵団バトラーツ」は96年4月13日、小田原市川東タウンセンター・マロニエホールで旗揚げ。石川雄規を代表に池田大輔、アレクサンダー大塚、田中みのる(稔)、臼田勝美、船木勝一(ショー・フナキ)、米山サトシ(モ

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パンクラスの旗揚げからのエースであり団体の象徴だった船木誠勝ですが、00年5月26日、東京ドームで行われた「コロシアム2000」でヒクソン・グレイシーと対戦、(15分無制限ラウンド)1R11分46秒、チョークスリーパーで失神し敗戦。試合前に「負けたら引退」

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船木誠勝に判定勝ちしキングオブ・パンクラシストとなったガイ・メッツアーは98年9月14日、日本武道館で柳澤龍志、同年12月19日、東京ベイNKホールで近藤有己を相手に防衛しますが、いずれもガードの堅いディフェンシブな試合ぶりで相手に攻め込む隙きを与

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パンクラス96年初の横浜文化体育館大会は1月28日「TRUTH」ツアー(観衆5,900人超満員発表)。新生UWFの成功体験からか大会場開催に拘ったU系団体でしたが、パンクラスは年1回の日本武道館大会開催はあったものの、横浜文体大会でコンスタントにビッグマッ

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U系第4番目の団体として藤原組から派生したパンクラスは93年9月21日、千葉・浦安市の東京ベイNKホールで旗揚げ。船木誠勝、鈴木みのる、冨宅飛駆(祐輔)高橋義生、柳澤龍志、稲垣勝臣ら藤原組からの退団メンバーで結成されました。藤原組のトップ外国人で

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リングス99年2月21日、横浜アリーナで前田日明がアレキサンダー・カレリンと引退試合を行い、裏アキレス腱固めでロストポイント1を奪いましたがカレリンの底しれぬ体力に圧倒されてロストポイント2を取られて判定負け、20年半のプロレス、格闘技生活にピリ

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リングス横浜文化体育館大会第2弾は初回から1年4か月後の94年8月20日、「RINGS IN YOKOHAMA」(観衆4,587人満員発表)。93年のバトル・ディメンション・トーナメントから復帰した前田日明がメインイベントに出場、前92年10月には藤原組東京ドーム大会に来日

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U系団体で2番目に旗揚げ興行を行った高田延彦のUWFインターナショナル(91年5月10日、後楽園ホール)は団体活動期間中(91年5月〜96年12月)は一度も横浜文化体育館での興行開催はありません。大規模会場のビッグイベント開催に拘り、横浜では横浜アリーナ

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UWFは第1次(84年4月〜85年9月)、新生(88年5月〜90年12月)いずれも横浜文化体育館での興行開催はありません。第1次では満員にするのは難しく、新生では大会場での開催にこだわった為、横浜と言えば横浜アリーナでの興行を最優先させていたからでしょう

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大仁田厚を退陣に追いやったことで99年に急展開で推し進められていったFMWのエンターテインメント路線は次々と新機軸を出していきました。6月には冬木弘道コミッショナーの強権発動でハヤブサがマスクとリングネームを剥奪され、ハヤブサは素顔のH(エイ

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冬木弘道が主導権を取ったFMWはデスマッチ路線を排除し自らがボスを務めるヒールユニット「チーム・ノーリスペクト」(邪道、外道、金村ゆきひろ、ミスター雁之助、中川浩二、非道)とハヤブサ、田中将斗、黒田哲広ら正規軍との抗争を中心にリング上は展開さ

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96年2月にはFMWと袂を分かち、W☆ING、IWAジャパンでブッカーをしていたビクター・キニョネスがヘッドハンターズら配下の選手を引き連れてFMWにカムバック。ビクターのルートからテリー・ファンクが参戦。5月5日の川崎球場大会で、長らく女子

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31年前の本日、89年10月6日名古屋・露橋スポーツセンターで旗揚げした大仁田厚率いる日本初の本格的インディーズ団体FMWは「何が飛び出すかわからない」奇想天外な発送で従来のプロレス興行の概念を覆しました。FMWは「フロンティア・マーシャルアーツ

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18年は10月21日にも「旗揚げ記念シリーズ」最終戦(観衆1,999人発表)が行われ、年2回の開催となりました。メインイベントは三冠ヘビー級王者、ゼウスに宮原健斗が挑戦。34分の激闘の末、宮原がシャットダウン・スープレックスホールドでゼウスからフォールを

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14年6月には秋山準が白石伸生オーナーより全日本プロレスと運営法人の全日本プロレス・システムズから事業譲渡を受け、新たに新法人「オールジャパン・プロレスリング株式会社」を設立、全日本プロレスは別法人へと移行しました。オールジャパン・プロレスリ

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東日本大震災が起きた11年は全日本プロレスの横浜文化体育館の興行は開催がありませんでしたが、この年、10月23日、両国国技館で行われた「東日本大震災チャリティー興行」において、ノアから来襲した外敵・秋山準が諏訪魔を破って三冠ヘビー級王座を獲得。秋

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