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日記一覧

84年エキサイト・シリーズ、2月16日は長崎国際体育館(テレビ収録、観衆4,200人満員発表)。メインイベントは鶴田とブルーザー・ブロディがノンタイトルでの一騎打ち。このシリーズ、ニック・ボックウィンクルとのAWA世界、インターナショナル両ヘビー級選

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84年エキサイト・シリーズ開幕戦は2月10日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,500人満員発表)で行われました。インターネットのない時代でしたから、観客はデビット・フォン・エリックの若すぎる死のニュースを会場に着いて初めて知らされたか、東スポを購入

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ジェリー・モローは元国際プロレスの稲妻二郎としてもお馴染み。80年4月に国際からカナダに逆遠征、現地で知り合った女性と結婚し、生活の拠点を移しました。81年8月、国際プロレス崩壊の報はカナダで聞かされ、男泣きに泣いたそうです。83年7月、モローと

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安定のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者チャボ・ゲレロは前83年8月のスーパー・パワー・シリーズ以来半年ぶりの来日。  前回の来日では凱旋帰国した渕正信(凱旋帰国当初はリングネームを渕正伸にしていた)の挑戦を受けました。83年8月19

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84年「エキサイト・シリーズ」は2月10日、後楽園ホールで開幕。デビット・フォン・エリックの来日した翌日、開幕戦当日の急死という悲しい出来事はありましたが、ブルーザー・ブロディ、アレックス・スミルノフ、チャボ・ゲレロ、スーパー・デストロイヤー1

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新UNヘビー級王者となったデビット・フォン・エリックは84年エキサイト・シリーズに参加する為に2月9日に来日。宿舎である高輪東武ホテルで行われた記者会見では6日前の2月3日、テキサス州ダラス・スポーツアトリア厶でマイケル・ヘイズを破って獲得し

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鶴田はテッド・デビアスにダラスで勝った後にUNヘビー級王座を返上しますが、ベルトを日本に帰ってからタイトルを管理しているPWFのロード・ブレアース会長に返したのではなく、ダラスのプロモーターであるフリッツ・フォン・エリックに返しているという

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UNヘビー級王座を獲得した鶴田はビル・ロビンソン、キング・イヤウケアを相手に防衛した後、77年3月5日、秋田市立体育館でロビンソンに敗れ王座転落。 3月11日、日大講堂でのリターンマッチは1−1から60分時間切れ引き分けでベルトは海外へ流失するも

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超大物ジョニー・バレンタインにリングアウトながらもスコアの上では2−1で勝ち念願のUN王者となった高千穂明久でしたが、NETは73年3月30日を持って日本プロレスの中継を打ち切り。奇しくも最後の日本プロレスリング中継は高千穂がバレンタインを破っ

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猪木、馬場が抜け観客の減少、テレビ視聴率の低下に歯止めがかからない日本プロレスと、馬場の全日本プロレスより7か月半先の72年3月6日、大田区体育館で旗揚げ興行を開催していたものの、テレビ放送がつかず不入りが続いていた猪木の新日本プロレス。窮状

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猪木の後を受けて「三冠王」になった坂口はUN王座をハーリー・レイス、キング・クロー、ベポ・モンゴル(ニコリ・ボルコフ)と防衛し、72年9月6日、田園コロシアムで初来日の「アラビアの怪人」ザ・シークに敗れ王座転落。しかし翌9月7日、大阪府立体育会

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猪木UNベルト返上の後を受けて72年1月15、16日の2日間にわたり、カナダ・バンクーバー・オーデトリアムにおいて、UN王座決定トーナメントが行われた、ということになっています。トーナメント参加選手は初代王者説があるデール・ルイス、ルーク・グラハ

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猪木のUN王座を獲得した試合(71年3月26日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム)にはNWA会長であったサム・マソニックが来場し猪木を祝福。このあたりの権威付けの「絵作り」は日本プロレスがマソニックに大枚をはたいたかと思われます。3月29

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84年1月27日、ジョージア州アトランタにおいて、UNヘビー級王者、テッド・デビアスが全日本プロレスの新春ジャイアント・シリーズから帰国したばかりのマイケル・ヘイズに15分7秒、体固めで敗れて王座転落。新王者となったヘイズは2月3日、テキサス州ダ

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全日本プロレス84年新春ジャイアント・シリーズ最終戦は1月22日、東村山市民スポーツセンター(テレビ収録、観衆2,800人満員発表)。メインイベントでは鶴田とザ・グレート・カブキがタッグを結成、テリー・ゴディとマイケル・ヘイズのザ・ファビュラス・フリ

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全日本プロレス84年新春ジャイアント・シリーズ後半戦、1月18日は古川市総合体育館(テレビ収録、観衆2,400人発表)。メインイベントでは鶴田とテリー・ゴディが初のシングル一騎討ち(ノンタイトル60分1本勝負)。鶴田がゴディを鮮やかなバックドロップで投げ

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全日本プロレス84年新春ジャイアント・シリーズ1月10日、室蘭市体育館セミファイナルに、この日より参戦のテリー・ゴディ&マイケル・ヘイズのザ・ファビュラス・フリーバーズが特別参加。ゴディは2度目の来日、初来日から遡るこ1年半前、82年2月28日、ジ

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全日本プロレス84年新春ジャイアント・シリーズ、1月6日は高松市民文化センター大会(テレビ収録、観衆2,900人発表)。メインイベントでは馬場とザ・グレート・カブキの「東洋の巨人&東洋の神秘」タッグが3日の後楽園ホールに続いて再び登場。スティーブ・

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全日本プロレス84年新春ジャイアント・シリーズ開幕第2戦は1月3日の後楽園ホール昼興行(テレビ収録、観衆3,400人超満員発表)。メインイベントでは2日連続の賞金100万円争奪ヘビー級バトルロイヤルが行われ、決勝には何とリスマルクとマジック・ドラゴンの

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初来日のアカプルコの青い翼、リスマルクはEMLL(現CMLL)からの参戦。当時の全日本プロレスはジュニア・ヘビー級の人材がまだ不足しており、このタイミングでの単独での来日は意外なイメージを受けましたが、テクニコ(善玉)のマスクマンとして期待が大

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84年の全日本プロレスは恒例の1月2、3日、後楽園ホールの「新春ジャイアント・シリーズ」開幕2連戦の昼興行でスタート。ちなみに前日の元日には新日本プロレスが新春黄金シリーズの開幕戦を同じ後楽園ホールで開催しており、3年連続の元日興行となりまし

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桜井さんはワールドプロレスリングの解説者として13年間活躍され、正式に番組内で卒業宣言をしないまま、番組からフェードアウトしていきました。桜井さんのワールドプロレスリング解説者としての役割は、初期の新日本プロレスに来ていた二流三流の外国人レス

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古舘アナ「ああ、しかしながらアンドレが入る。しかし本当にアンドレの動きが悪いですね」小鉄「そうですね、本当に動きが鈍いです。今日は」上田もアンドレのカットを押さえにリング内に入るがアンドレにリング下に投げ落とされてしまいます。  小鉄「しか

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古舘アナ「さあ、流血のワカマツに対して、額を殴っていきますアントニオ猪木、血染めのナックルパートであります。さあ、鬼神のような表情になりました。不動明王アントニオ猪木、額を真っ赤に血で染めて、やはり、その流血しているワカマツに対して、思い切

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5分経過。ここで猪木とワカマツが初コンタクト。ワカマツは猪木をロープを使ってのチョーク攻撃、ロープの反動を利して猪木を倒すとボディスラム1発。オクラホマ・スタンピート気味に投げてアンドレにすぐにタッチ。古舘アナ「猪木も、その辺は余裕を持って

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小鉄「そうですね、普段もっと動きいいですよね」 古舘アナ「せんだっての前田との闘い(86年4月29日、津市体育館)で再三、キック攻撃を浴びた…ボディスラムですっ!」猪木、アンドレの突進してくる勢いを利用して、ボディスラムでアンドレを投げ捨てました

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古舘アナ「さあ、ショーグン・ワカマツがアンドレと合体した訳であります。マネージャーという職を捨てて、この、一旦リングに上がってレスラーとして登場するという、悪の石井社長(おそらく、石井光三オフィスの石井光三社長のことかと思われる)という異名を

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古舘アナ「さあ、ワカマツが、悪の茶摘み娘という異名を持ちました、このもんぺスタイル、絣(かすり)スタイルの、伝統的な、いわゆるトラディショナルなスタイルのコスチュームを脱ぎ捨てました。まだ頭には帽子を被っております。おーっと!目尻のあたりにメ

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古舘アナ「さあ、マネージャーのワカマツがアジテーションを展開する。レフェリー問題でかなりゴネております。ワカマツとアンドレ・ザ・ジャイアントがレフェリー問題でゴネております。これを眺めておりますアンドレ・ザ・ジャイアント、これも作戦のうちで

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