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日記一覧

76年3月28日、蔵前国技館では全日本プロレスと国際プロレスによる初の全面対抗戦が行われ、9800人(満員)の観客を動員。東側を全日本、西側が国際の応援席として両団体がチケットを売り捌き、双方の応援団も登場して熱気に包まれたムード。全日本は馬場とザ・

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馬場の「門戸開放」宣言は結果的に当初の目的である「生意気な猪木を黙らせる」ことには成功し、猪木はしばらくの間、対馬場に関する発言を封印しています。猪木はこの年からウィリエム・ルスカとの一戦を皮切りとした格闘技世界一決定戦路線を歩んでいくこと

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全日本プロレスオープン選手権の開幕戦が行われた75年12月6日、足立区体育館は国際プロレスのビッグ・ウインター・シリーズ最終戦、伊東市青果市場と日程が重なり、国際はマイティ井上を試合と入場セレモニーに参加させています。M井上は公式戦でミスター・

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バーン・ガニアのAWAから来る選手は国際プロレスには割高になっていてギャラの割には集客に繋がらないというジレンマがありました。カナダ・モントリオールで交通事故に遭い右足を切断、選手生命を断たれる重傷を負った大剛鉄之助はカルガリーのスチュ・ハ

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オープン選手権の開催に先駆けて、75年11月3日、国際プロレスの後楽園ホールで、国際と全日本プロレスの対抗戦が行われました。会場には馬場と百田敬子力道山未亡人も姿を現し観客に挨拶。吉原社長と握手をかわしています。この日行われた対抗戦はスネーク奄

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74年に国際プロレスを襲った経営存亡の危機に馬場が立ち上がり協力、同年9月からは関東ローカルながら東京12チャンネルのテレビ放送も始まり、ピンチを救われました。団体のエース、ストロング小林を事実上持って行かれた新日本プロレスとの関係は当然悪く、

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78年9月21日、品川プリンスホテルゴールドホールの試合前の控室に国際プロレスの吉原功社長が姿を表し、猪木、新間寿営業本部長を表敬訪問し、ファンやマスコミを驚かせました。吉原社長は自身のプロレス生活25周年記念イベントとして11月に「日本リーグ争覇

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三浦アナ「タイガー・ジェット・シンはまさに狂虎、狂った虎になりました!」桜井さん「これはねぇ、セコンドが総動員してシンを袋叩きにしてもいいですねぇ!」シンはレフェリーの猪木と対戦相手の上田馬之助に無差別攻撃、ダウンしている猪木の右肘をサーベ

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タイガー・ジェット・シンと上田馬之助のヒール対決はチョーク合戦を基調としたメリハリに欠ける展開となりました。桜井さん「この試合、耐久レースになりそうですねぇ!いかに相手のスタミナを消耗させて勝負に出るか…」猪木、上田に反則カウント、再び攻守

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上田はダウンしたシンに再びチョーク攻撃。シン、上田共に場外乱闘と凶器攻撃以外のリング上での動きはチョーク攻撃位しか出さず、単調な展開となりました。ヒールマッチの難しさがここにあります。三浦アナ「悪党対決は上田に声援が集中しております。上田が

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三浦アナ「今、レフェリーの猪木とサブレフェリーのミスター高橋、他の若手、セコンド陣が総出でタイガー・ジェット・シンのサーベルと上田馬之助の刀を取り上げました」猪木はシンと上田の間に割って入ります。桜井さん「しかしねぇ、今日のレフェリーは実力

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78年9月19日、大阪府立体育会館は今シリーズ仲間割れしたタイガー・ジェット・シンと上田馬之助が一騎討ちするとあって超満員9500人発表の観客を動員。実況は三浦智和アナ、解説は桜井さんです。三浦アナ「シン、上田の対決とあってプロレス人気の高い大阪府

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78年9月19日、大阪府立体育会館でタイガー・ジェット・シンとの世紀のヒールマッチを行うこととなった上田馬之助は、「シンがサーベルを持って来るなら俺は日本刀を持って来る」とアピール。上田は知人から「本物の」日本刀を調達してシン戦に臨むことを明ら

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78年9月12、13日の両日は地方のノーテレビ大会には珍しい熊本市体育館での平日2連戦。新日本プロレスからは普通にシリーズの日程表が出されただけで特に2連戦を行うとは大々的に発表もされておらず、プロモーター側からの要請か、もしくは営業側が誤って2

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78年9月8日、新潟県中新田(なかにいだ)町体育館からのテレビ生中継ではタイガー・ジェット・シンと上田馬之助がチームを解体して個別に登場。77年1月の合体以来、シンと上田がテレビマッチで個別にカードが組まれるのは双方がタイトル挑戦やスペシャルマッ

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78年ゴールデン・ファイト・シリーズでは開幕戦の8月25日、長岡市厚生会館と翌26日、長野・飯山市民体育館で5人のヤングライオンがデビューを飾っています。ジョージ高野(再デビュー)、前田明(日明)、原薗喜由紀、平田淳二(淳嗣)、斎藤弘幸(ヒロ)の5名で、

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78年8月25日、長岡市厚生会館(現アオーレ長岡)でゴールデン・ファイト・シリーズが開幕。タイガー・ジェット・シン、ジンバ・カーン、ピート・ロバーツ、ジョニー・マンテル、ジョー・ロッシーの外国人選手が来日し、上田馬之助が外国人側から出場しています

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試合内容が凄惨過ぎて放送がお蔵入りとなったとされる78年7月24日、広島県立体育館で行われた猪木vsペドロ・モラレスのNWFヘビー級選手権試合ですが、当時のワールドプロレスリング放送リストから今一度検証していきたいと思います。ちなみに78年7月24日

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藤波はロサンゼルスからメキシコに渡り、78年8月13日にはメキシコシティのパラシオ・デ・ロス・デポルテスのUWAの定期戦に出場。メヒコの鉄人レイ・メンドーサの挑戦を受けてWWWFジュニア・ヘビー級王座の防衛戦を行っています。メンドーサはメキシコ

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藤波は78年サマー・ファイト・シリーズが終わると、単身アメリカ、メキシコに遠征し、WWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を積極的に行っています。以前にも書きましたが、藤波のシリーズオフの海外における活動は、WWWFの名称通り、ワールドワイドな活

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78年7月27日、日本武道館で行われたボブ・バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合は1-1から61分時間切れ引き分けに終わりましたが、試合内容は猪木のコンディション不良もあり凡戦に終わった感があります。84年にビデオパックニッポンから発売さ

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藤波と剛竜馬のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合は若さと躍動感に溢れた攻防で館内の応援合戦もあり、大きく盛り上りました。しかし、常に試合をコントロールしていたのは藤波の方で、両者の実力差がハッキリ出た一戦でした。メインイベントは猪木がボブ

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舟橋アナ「放送席三浦さん、今ヒロ・マツダさんにお話を伺ったのですが、マツダさんは『今の藤波の反撃は素晴らしい、さすがチャンピオンであると、これほどまでに自分が剛に教えた技がカットされるとは思わなかった』と思わず藤波を褒めてましたよ!」藤波は

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舟橋アナ「放送席三浦さん、今、ヒロ・マツダさんなんですか、剛にサイド、バックから攻めろと言っているようですね」正面から攻めたのでは、抜群に相手を捌くのが上手い藤波に中に入れてもらえずに完封されてしまいます。マツダは藤波と剛の力量の違いを見抜

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三浦アナ「両者の体格の比較ですが、藤波が187cm、剛が185cm。WWWFのジュニア・ヘビー級の契約体重のリミットが220パウンド(99.88kg)以下ですが、藤波が95kg、剛が93kg2人ともウェイトは全く問題ないですね。、コンディションは上々とのことです」桜井さ

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藤波はこの日から新調したショートガウンで入場、黒字に赤の襟、背中には龍が描かれ、金色で「飛龍」の文字の刺繍が施されています。ショートガウンというのは猪木のものより裾が短く、若さを強調しているように感じられます。三浦アナ「挑戦者、剛竜馬は本名

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78年6月9日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングに剛竜馬を伴って現れたヒロ・マツダは、「剛竜馬はマイク・ラーベルと契約した」とコメントしています。もちろんこれは表向きで、新日本プロレスと親密関係にあったロサンゼルスのプロモー

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78年7月27日、サマー・ファイト・シリーズ最終戦、日本武道館大会は観衆は8700人発表と満員マークはつかず。ボブ・バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合と藤波vs剛竜馬のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合の初のWWWF2階級タイトル戦の同

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猪木vsペドロ・モラレスのNWFヘビー級選手権試合はテレビ朝日が収録していたにも関わらずワールドプロレスリングの番組中に放送されませんでした。猪木のNWF(世界)ヘビー級タイトル戦の中で唯一放送されなかったのがこのモラレス戦で、00年代に発売され

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78年7月24日、広島県立体育館では新日本プロレス旗揚げ以来初の2大タイトルマッチが開催されました。本来であれば3月30日の蔵前国技館が初の2大タイトルマッチとなる予定でしたが(猪木vsマスクド・スーパースターNWFヘビー級選手権試合、藤波vsカネッ

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