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日記一覧

猪木とビンス(387)
2016年10月30日17:10

84年9月13日、宇部市俵田翁記念体育館でのメインイベントはでは猪木、坂口、木村健吾組vs長州、アニマル浜口、谷津嘉章組という好カードが組まれ、11分11秒、長州が木村健をリキラリアットから体固めで維新軍の勝利。試合後長州は取材記者に対して「もう、正

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猪木とビンス(386)
2016年10月29日11:02

猪木vsストロング・マシン戦が行われていた同じ84年9月7日には後楽園ホールでUWFが興行を開催し(観衆2800人満員)、新日本プロレス時代ならまず組まれることもなかったであろうシングルマッチ、スーパー・タイガーと藤原喜明が「実力No1決定戦」第1ラ

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猪木とビンス(385)
2016年10月28日21:01

WWF代表でタイタン・スポーツ社長ビンス・マクマホンが84年ブラディ・ファイト・シリーズに参加予定でキャンセルしてきたハルク・ホーガンを伴って来日しました。9月6日、猪木、ビンス、ホーガンが出席して記者会見が行われ、新日本プロレスとWWFが正

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猪木とビンス(384)
2016年10月27日12:11

84年8月31日は神奈川県南足柄市総合体育館大会(テレビ生中継)。この日はダブルメインイベントとなりました。ダブルメイン第1試合は前日の大宮大会より復帰した猪木が木村健吾とタッグを組み、ロジャー・スミス、デューク・マイヤース組と対戦。試合前に開幕

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猪木とビンス(383)
2016年10月26日00:37

結果論になりますが、カール・ゴッチは新日本プロレスから派生したU系団体に旗揚げ時のコンセプトとしての部分での「象徴」として必要とされただけのように思います。UWF、藤原組、パンクラスはいずれも最初の頃だけゴッチのブランドを利用して「本物志向

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猪木とビンス(382)
2016年10月25日07:24

76年12月にCBSソニーから発売された2枚組LPレコード、(カセットテープ)「燃える闘魂」は高田延彦(伸彦)がファン時代に正座して聞いた、と言われる実況音源入りドキュメンタリーアルバムですが、ここでも猪木とカール・ゴッチの師弟愛を感じさせています

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猪木とビンス(381)
2016年10月23日14:36

76年に入ると格闘技世界一決定戦路線がスタート。1月7日、東京・日比谷の帝国ホテルで記者会見が行われ、柔道のミュンヘン五輪重量級、無差別級金メダリスト、ウィリエム・ルスカがプロ格闘家に転向して猪木に挑戦を表明。2月6日、新日本プロレス初進出と

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猪木とビンス(380)
2016年10月22日23:01

カール・ゴッチの説得に応じNWF世界ヘビー級王座は返上したものの、改めて挑戦を拒否していたタイガー・ジェット・シンと王座決定戦を行うことを承諾した猪木でしたが、75年3月13日、広島県立体育館で行われた試合ではシンの秘密兵器ブレーンバスターから

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猪木とビンス(379)
2016年10月20日22:42

73年に入るとノーテレビで苦境に立っていた猪木の新日本プロレスと猪木に次いで馬場も退団し日本テレビが放送打ち切り、坂口、大木金太郎が繰り上げエースとなりNETの1局放送になった結果、観客とテレビ視聴率の減少に歯止めがかからなくなった日本プロレ

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猪木とビンス(378)
2016年10月18日19:31

猪木とカール・ゴッチの師弟関係はフィクションも多少入るものの、プロレスファンに長年イメージ付けられて来た「常識」の一つだったと言っていいでしょう。69年、日本プロレスが若手のコーチとしてゴッチを招聘、そこへ練習好きとして知られているメインイベ

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猪木とビンス(377)
2016年10月17日19:05

ストロング小林は腰痛欠場に入る少し前の81年10月8日、蔵前国技館で行われた新日本プロレスと国際プロレスの全面対抗戦(国際は団体崩壊しており、実質的には名前だけの対抗戦)のメインイベント、猪木vsラッシャー木村戦において猪木が反則負けし、対抗戦が継

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猪木とビンス(376)
2016年10月16日14:26

84年8月25日、新日本プロレスの坂口副社長は全日本プロレスとの業務提携を行った新日本プロレス興行(以下、新日本興行)の大塚直樹社長に対し、9月一杯で取引解消する旨の絶縁宣言をしました。新日本興行には新日本プロレスの興行はもう売らないということで

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猪木とビンス(375)
2016年10月15日11:56

「キン肉マン」はゆでたまご作の漫画で79年より週刊少年ジャンプで連載開始され、83年からは日本テレビ系列でアニメ番組として放送されました。ヒーローものに加えて作者が大のプロレス、格闘技ファンであったことからプロレスカラーも強い作品で登場キャラク

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猪木とビンス(374)
2016年10月11日19:50

84年ブラディ・ファイト・シリーズ前半戦特別参加のボブ・バックランドは前83年12月26日、ニューヨークMSGでアイアン・シークのキャメルクラッチにTKO負けを喫し、WWFヘビー級王座から転落してからは初めての来日。82年8月5日、蔵前国技館にワンマ

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猪木とビンス(373)
2016年10月10日11:02

84年ブラディ・ファイト・シリーズは8月24日、後楽園ホールで開幕。ロジャー・スミス、デューク・マイヤース、トニー・セントクレアー、スコット・フェリス、ジェリー・モローの外国人選手がシリーズ全戦参加。シリーズ序盤戦(8月24日後楽園ホール〜9月3日

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猪木とビンス(372)
2016年10月09日16:34

パキスタン遠征第2戦は84年8月8日、ラホール市のカダフィ・スタジアムに35000人(満員)の観客を集めて行われました。初戦はオールシングルマッチでしたがこの日はタッグマッチが組まれ、メインイベントは猪木、藤波組がビリー・クラッシャー、バッドニュー

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猪木とビンス(371)
2016年10月08日23:40

84年サマー・ファイト・シリーズが終わると猪木以下新日本プロレス勢はパキスタン遠征を行いました。猪木のパキスタン遠征はこれが3度目。初回は76年12月、地元最強と言われたボル・ブラザーズ(ボロという表記もあり)のアクラム・ペールワンと12月12日、カラ

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猪木とビンス(370)
2016年10月03日22:10

84年8月2日、サマー・ファイト・シリーズ最終戦はこの年の大相撲秋場所を最後に老朽化の為取り壊しが決定している蔵前国技館で行われ、12000人(超満員)発表の観客を動員しています。メインイベントは猪木vsデビッド・シュルツから変更された猪木と長州のこ

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猪木とビンス(369)
2016年10月01日19:34

84年7月28日は松戸市運動公園体育館大会(テレビ収録)。最終戦の8月2日蔵前国技館の後に放送される分でした。メインイベントは猪木、藤波組の師弟タッグがデビッド・シュルツ、バッドニュース・アレン組と対戦。猪木が7分41秒にシュルツを逆さ押さえ込みで

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