タイガー・ジェット・シンにNWA北米ヘビー級王座を奪われた坂口でしたが、次期79年闘魂シリーズにもシンが後半戦に特別参加することは決まっていたものの、シンにリターンマッチを挑むことはなく、何故か前半戦に特別参加したパット・パターソンの持つWW
プロレス夢のオールスター戦が終わってから2日後の79年8月28日、松阪市総合体育館でブラディ・ファイト・シリーズが開幕。8月31日、宮崎・南九州学院短大体育館では坂口、長州組が1年8か月ぶり来日したジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド
79年サマー・ファイト・シリーズが終わると猪木、坂口、藤波の3人はアメリカ、カナダへ遠征を行いました。8月10日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでは猪木がタイガー・ジェット・シンと7分3秒両者リングアウトの引き分けでNWFヘビー級王
79年4月27日、横浜文化体育館で開幕した第2回MSGシリーズには前半戦に元NWA世界ヘビー級王者のジャック・ブリスコが特別参加し話題を集めました。71年12月に猪木が日本プロレスを追放・除名処分されてからはNWA系の大物外国人選手との対戦はなかっ
79年1月26日、岡山武道館でジョニー・パワーズのNWF北米ヘビー級王座に挑戦した坂口は20分1秒、コーナーポストからのフライング・ニードロップからの体固めで破り王座獲得。北米タッグ王座と併せて「北米2冠王」となりました。この時、坂口の入場テーマ
日本で猪木にNWF世界ヘビー級のベルトを奪われてアメリカに帰国したジョニー・パワーズは翌74年1月31日にオハイオ州クリーブランドでアーニー・ラッドに敗れ北米ヘビー級王座からも転落。その後はNWFに転戦して来たオックス・ベーカーがラッドを破り王
71年11月17日ニューヨーク州バファローでNWF北米ヘビー級と初代NWF世界ヘビー級の2冠王者となったジョニー・パワーズは、3日後の11月20日にオハイオ州クリーブランドでワルドー・フォン・エリックに敗れNWF世界王座から早くも転落。北米ヘビー級王
79年に入ると、坂口にシングルのベルトを巻かせようという動きが起きています。前年78年は藤波人気が爆発し、売り出しも一段落、ジュニア・ヘビー級の概念も日本で定着しており、次は坂口の番となった訳です。そこで目を着けたのがここでも出て来る「ベルト商
78年6月23日、大宮スケートセンターで開幕したサマー・ファイト・シリーズにはストロング小林も凱旋帰国3シリーズぶり坂口との北米タッグ王者チームが揃い踏みです。7月24日、広島県立体育館ではピーター・メイビア、ヘイスタック・カルホーン組に1本目反
78年1月6日、川崎市体育館で開幕した新春黄金シリーズはタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組(上田は1月13日岡山武道館から参加)、ジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドス、後カラーは変わりますが2人合わせて600kgのベニーと
77年6月24日、大宮スケートセンターで開幕したアジア・チャンピオン・シリーズにはアジア・ヘビー級、北米タッグ二冠王者のタイガー・ジェット・シン、北米タッグ王者の上田馬之助が参加しています。1月の新春黄金シリーズはスポット参戦だった上田はこのシ
77年6月9日、バージニア州ノーフォーク・コンベンションセンターで行われたタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組に坂口、ストロング小林組が挑戦した北米タッグ選手権試合はシン、上田の再三の反則攻撃に業を煮やした坂口がレフェリーの静止を振り切って
77年4月22日、大阪府立体育会館で開幕したゴールデン・ファイト・シリーズで左腕負傷により欠場していたストロング小林が復帰。開幕戦のリング上では先シリーズに凱旋帰国した吉田光雄のリングネームが「長州力」と発表されました。当時は横文字のリングネー