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2021年05月02日21:46

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ジャンボ鶴田怪物伝説(742)

86年「チャンピオン・カーニバル」終了後は5月2日、後楽園ホールの「激闘3大スペシャルマッチ」と5月10日、松戸市運動公園体育館での「4軍対抗チャンピオンズ・ナイト」のジャパンプロレス自主興行が行われています。

1年前はジャパン初の自主興行、1週間のミニシリーズ、「ビッグ・ラリアート・フェスティバル」を開催、全日本プロレスからスタン・ハンセン、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、カナディアン・ルイス(ベン・バサラブ)の4外国人をブッキングしてもらい、5月10日、後楽園ホールの開幕戦から、静岡産業館、大阪城ホール、広島県立体育館、仙台・宮城県スポーツセンター、札幌中島体育センターと大会場を回る強気の興行日程を組みました。

日本側もジャパンにはフルメンバーに加え、マサ齋藤(ウイスコンシン州の刑務所に収監中)がいましたし、全日本プロレスからも馬場を始めほぼフルメンバーが出場、国際血盟軍も出場し、全日本プロレスの通常シリーズと変わらない豪華編成でした。

しかし8月の「サマー・ドリーム・フェスティバル」、11月の「ニューウェーブ・イン・ジャパン」と開催するにつれ観客動員は落ちて来ました。シリーズを組んで地方を回るには興行の看板として長州力が主役ではまだまだ馬場、猪木には及ばないことと、やはり新興団体であるジャパンプロレスのブランド力不足があったと考えるのが妥当でしょう。

1週間のミニシリーズはニューウェーブ・イン・ジャパンを最後に打ち切られ、以後は後楽園ホールでの日本人のみの単発興行にシフトしていきました。84年4月に旗揚げしたUWFも、後楽園ホールは満員になるものの、地方興行では全然客が入らず、1年半で興行活動停止を余儀なくされましたが、やはり地方では全日本プロレス、新日本プロレスと互角にやっていくことは困難でした。

さて、ちょうど今から35年前の86年5月2日、後楽園ホールで行われたジャパンプロレス自主興行「激闘3大スペシャルマッチ」(日本テレビ収録、観衆3,400人超満員発表)。メインイベントは初の一騎討ちとなる鶴田とスーパー・ストロング・マシンのシングルマッチ。

試合はチョコマカと動き回るマシンを鶴田がドッシリと受けて立つような試合展開となり、両者の試合テンポは噛み合わず。鶴田がマシンを場外に投げ落とし、エプロンに上がって来たところをリング内から助走をつけたジャンボラリアット、崩れ落ちるマシンにエプロン越しのバックドロップ狙い、勝負あったかと思いきや、リング下にいたマシンのセコンド、ヒロ斉藤が鶴田の足を押さえてこれを阻止。

鶴田がH斉藤に気を取られてる間にマシンはマシンラリアットを鶴田にお見舞い、しかしレフェリーをも巻き込んでしまい、16分48秒にマシンの反則負けとなりました。マシンは新日本プロレス、ジャパンプロレスでは鶴田サイズの身体の大きな選手とはシングルではまず対戦したことがなく(ストロング・マシン軍団として坂口征二と6人タッグ、8人タッグで対戦あり、アンドレ・ザ・ジャイアントととも対戦しているがこれはまた別物)鶴田を完全に持て余してしまった感がありやりにくかったようでした。

セミファイナルは長州と高野俊二のシングルマッチ、こちらは短期決戦、4分38秒、高野俊の「人間バズーカ砲」ドロップキックをはたき落とすとリキラリアットからサソリ固め。高野俊はたまらずギブアップしています。

セミ前に組まれたキラー・カーン&谷津嘉章組と天龍&石川敬士組は30分時間切れ引き分け。

全日本対国際血盟軍、馬場&タイガーマスク&ロッキー羽田組とラッシャー木村&阿修羅・原&鶴見五郎組の6人タッグマッチは12分44秒、R木村が羽田をブルドッキング・ヘッドロックからの片エビ固めに決めて国際血盟軍の勝利。

4月6日の後楽園ホールで遺恨が勃発した小林邦昭と渕正信のシングルマッチが組まれ、小林が流血するという荒れた展開となり、11分15秒にノーコンテスト。大仁田厚の引退、タイガーマスクのヘビー級転向、ベテランマイティ井上は石川と組んでアジア・タッグ王座に君臨中とあって、渕にようやくチャンスが回って来た感じであり、「虎ハンター」として初代タイガーマスクに噛みついてブレイクした小林をターゲットとし始めました。

ジャパン対ハリケーンズ、仲野信市とH斉藤のシングルマッチは6分31秒、ジャーマン・スープレックスホールドでH斉藤の勝利。H斉藤こと斉藤弘幸はジョージ高野(再デビュー)、前田明(日明)、平田淳二、原薗喜由紀(引退)と同期の78年8月26日、長野県飯山市体育館でデビュー。この日は平田がデビュー。前日の25日には新潟県長岡市厚生会館(現アオーレ長岡)でG高野(再デビュー)、前田、原薗がデビューしています。

5人の中では年齢も一番若く、体格的にも小さくて勝ち星に恵まれませんでした。仲野は斉藤の次の新人であり、80年3月1日、大田区体育館でデビュー、デビュー戦の相手が斉藤で、斉藤はこれが初白星となった訳です。

斉藤がメキシコ、カナダ修行に出ている間、仲野は一度新日本プロレスを退団、佐川急便でセールスドライバーをしていましたがリングヘの未練は捨てきれず、84年1月に新日本ヘ最入団、同年3月に再デビューしています。

H斉藤がカナダからヒールサイドとして凱旋帰国した84年10月の「闘魂シリーズ」の前に仲野は長州らとジャパンプロレスに移籍してしまい、すれ違い。遠くて近い両者が再びジャパンのリングで相まみえることになりました。

ジャパン対全日本、アニマル浜口&寺西勇組vsマイティ井上&サムソン冬木という4人とも国際プロレス出身者によるタッグマッチはマニアを喜ばせる組み合わせでしたが11分47秒に両チームリングアウトの引き分け。

同じくジャパン対全日本、左足首の負傷で「チャンピオン・カーニバル」を途中欠場していた栗栖正伸が復帰、保永昇男と組んでグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビと対戦、12分55秒、大熊がジャンピング・ヘッドバットからの体固めで栗栖をフォール。栗栖は復帰戦黒星。 

全日本同士のハル薗田と百田義浩は9分54秒、薗田がエビ固めで義浩を丸め込み、第1試合の全日本対ジャパン若手対決は小川良成が佐々木健介を6分43秒、首固めでフォール勝ちを収めています。
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