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2021年02月23日19:09

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(48)

第164戦 12月9日発売号●【予想】坂口征二、猪木欠場の代打でドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に国内初挑戦(71年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】新・隅田川決戦、格闘技世界一決定戦、猪木vsウィリエム・ルスカ(76年新日本プロレス蔵前国技館)&インターナショナル・タッグ選手権試合、大木金太郎&キム・ドク組vs馬場&鶴田組、ビル・ロビンソンvsアブドーラ・ザ・ブッチャー他(76年全日本プロレス日大講堂)【参考】2015年12月9日発売号は正解に同じ、新・隅田川決戦(正解に同じ)

【解説】71年暮れに起きた「会社乗っ取りを企てたクーデター犯」として猪木が日本プロレスを除名・追放処分となる件、本連載では何度となく書いていますので詳細は省略いたしますが、12月7日、札幌中島スポーツセンターで猪木は馬場と組んでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組と対戦して敗れ、インターナショナル・タッグ王座から転落、8日には尿管結石を理由に代々木上原の小林外科病院に入院してしまい、以後の試合を欠場。

9日大阪で猪木はドリーとNWA世界、UNのダブルタイトルマッチを行う予定でしたが、欠場に付き、代打として坂口征二がドリーに国内初挑戦。坂口はアメリカ修行中の70年10月15日、テキサス州アマリロ・スポーツアリーナでドリーに初挑戦、計3回挑戦しているとのことでしたが、日本では初の挑戦で且つメインイベントに馬場を差し置いてシングルマッチで出場するのも初めてでした。

1本目は17分17秒に坂口がアトミックドロップから体固め、2本目は4分21秒にドリーがダブルアーム・スープレックスから体固め。決勝の3本目は2分15秒、ドリーがバックドロップからの体固めを決めて2−1でドリーが王座防衛に成功、坂口は善戦しましたがドリーの引き出しの多さの前に無念の涙をのみました。 

坂口は猪木に代わる日プロナンバー2として猪木が巻いていたアジア・タッグ、UN、インターナショナル・タッグの3本のベルトを漸次巻いていくことになりますが、73年3月には猪木の作った新日本プロレスに合流し1年ちょっとで無冠となってしまいました。

「隅田川決戦」と言えば68年1月3日、TBS主導で再スタートを切った国際プロレスが日大講堂でルー・テーズvsグレート草津のTWWA世界ヘビー級選手権試合をメインに興行を開催するにあたり、日本プロレスが同日、蔵前国技館で馬場vsクラッシャー・リソワスキー戦をメインに興行をぶつけたというのがあまりに有名ですが、厳密に言えば日プロは午後1時30分試合開始、国際は午後5時30分試合開始で時間差があり、ハシゴ観戦は十分可能でした。

日プロ、日本テレビの思惑は蔵前大会を当日の午後5時30分より特番でディレイ放送し、国際プロレスを観に行こうとする観客の出足を止めることが真の狙いでした。国際は午後7時からの生中継であり、テレビでも両方観戦することは可能でした。結果は日プロの蔵前が観衆12,000人(超満員)発表、テレビ視聴率36.3%、国際の日大講堂は観衆6,300人発表、テレビ視聴率32.3%と言う数字に。観客動員は老舗日プロの圧勝でしたが、テレビでは国際が大健闘をしたと言えます。

それから約9年後の76年12月9日、新日本プロレスの蔵前国技館大会と全日本プロレスの日大講堂大会が、同日同時刻開催の興行として完全にバッティング。日プロと国際の時は両団体に力の差があり、時間帯も別でしたのでパワーバランスが互角と言えるライバル団体のガチンコの興行戦争となりました。

新日本プロレスの蔵前国技館は猪木とウィリエム・ルスカ戦の再戦一本で勝負。2月6日、日本武道館の初戦では猪木のバックドロップ3連発の前にTKO負けしたルスカでしたが、5月にロサンゼルス地区でプロレス修行に入り、8月の新日本プロレスブラジル遠征シリーズに参加、バーリ・トゥードのイワン・ゴメスと壮絶な喧嘩マッチを展開してリングアウト勝ち。しかしリオデジャネイロの体育協会から「スポーツを逸脱した喧嘩」と出場停止処分を受けてしまいました。

10月に来日して猪木ヘの再戦をアピール、この日の再戦となりました。猪木の師匠であるカール・ゴッチがルスカに付きコーチにあたりましたが、柔道家スタイルではなく、上半身裸、赤のショートタイツにリングシューズというプロレススタイルで猪木と対戦。プロレスを覚えたばかりのルスカに勝ち目はなく、21分27秒に猪木がナックルパンチでルスカの額を割って攻撃を続け、レフェリーストップ勝ち。プロレスをやらせたらルスカは猪木の敵ではありませんでした。観衆は10,500人(満員)発表。

全日本プロレスの日大講堂は大木金太郎&キム・ドク組の持つインターナショナル・タッグ王座に馬場&鶴田組が挑むリターンマッチ、10月28日、蔵前国技館では1−1から馬場&鶴田組が反則負けとなりPWFルールによりベルト移動。大木&ドク組が新王者チームになっていました。

1本目は11分38秒に大木がドクのフライング・ニードロップのアシストを受けてからのヘッドバットで鶴田を体固め。2本目は3分18秒、鶴田がドクにリングアウト勝ち。決勝の3本目は2分38秒、馬場とのダブル・ブレーンバスターから鶴田がドクを体固め。2−1で馬場&鶴田組が42日ぶりに王座奪回を果たしています。

セミファイナルではビル・ロビンソンとアブドーラ・ザ・ブッチャーのスペシャルマッチ60分1本勝負が行われ、7分40秒、両者リングアウトの引き分け。

また、大相撲幕内から全日本プロレス入りした天龍源一郎のリング上での断髪式が行なわれています。他にもディック・マードックvsキラー・カール・コックス(マスクマンのザ・スピリットとして参戦したが、12月7日、福岡九電記念体育館での馬場とのPWFヘビー級選手権試合で馬場にマスクを剥がされ、素顔となる)のアメリカンプロレスの真髄を感じさせる死闘(20分36秒、ノーコンテスト)など豪華ラインナップで勝負し、超満員12,000人発表の観客を動員。

私は蔵前に行きましたが、空席が目立ったのは事実、プロレスラーに転身したルスカと猪木とでは勝敗がある程度は見えていました。中学校の同級生が日大講堂に行きましたが、日大講堂は立錐の余地もない程の超満員だったそうです。馬場の物量攻勢が猪木の一枚看板を上回った興行戦争でした。

2015年は流さんは「全日本の勝ち」と書かれていますが、この時は翌日のデイリースポーツ紙の記事を引用、デイリーでは全日本の観客は10,000人と書かれています。流さんはそれをそのまま掲載してしまっており、デイリーは試合よりも「興行収益」についての記事がメインで、興行戦争は互角と書かれています。こちらは前回のコラムとの照合、検証が必要であったと思います。

※対戦成績は164戦32勝132敗、勝率195。
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