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2021年02月23日06:01

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(47)

第163戦 12月2日発売号●【予想】世界オープン・タッグ選手権が開幕、馬場&鶴田組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組他(77年全日本プロレス後楽園ホール)【正解】NWA世界ヘビー級選手権試合、ドリー・ファンク・ジュニアvs猪木(69年日本プロレス大阪府立体育会館)【参考】2015年12月2日発売号は正解に同じ、ドリーvs猪木戦(正解に同じ)

【解説】「史上空前」と言われたオープン選手権から2年、馬場は77年暮にタッグの祭典「世界オープン・タッグ選手権」を開催することを早々と夏には発表。オープン選手権は急遽決まったところから、12月11日、日本武道館での力道山13回忌追善興行以外は地方の小中会場が中心でした。また、参加選手が20人と多く、途中棄権の選手もいて、公式戦の消化試合数で選手間にバラつきがあったりして運営面は必ずしも十分とは言えませんでした。

馬場は「参加選手が多いと言うならくませてしまえばいいだろう」と自信のコメント。参加チームはドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、馬場&鶴田組、「地上最悪コンビ」アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組、ヨーロッパ代表、ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマン組、「韓国師弟コンビ」大木金太郎&キム・ドク組、国際プロレス代表、ラッシャー木村&グレート草津組、ザ・デストロイヤー&テキサス・レッド組、全日本&国際混成チーム、マイティ井上&高千穂明久組、「ハンサムフレッシュコンビ」天龍源一郎&ロッキー羽田組の9チーム。

開幕戦の12月2日、後楽園ホールでは3つの公式戦が組まれ、ロビンソン&ホフマン組vsM井上&高千穂組は17分28秒、ロビンソンがワンハンド・バックブリーカーから高千穂を体固め。ファンクスvs天龍&羽田組は17分55秒、ドリーが羽田をスピニング・トーホールドで破りました。

メインイベントの馬場&鶴田組vsブッチャー&シーク組の公式戦は11分36秒、ブッチャーが馬場をジャンピング・エルボードロップからの体固めに決めてブッチャー&シーク組の勝利。

試合終了後もなお馬場、鶴田に襲いかかる地上最悪コンビ、救援に入ったのがテリーでした。しかしテリーがブッチャー、シークに捕まり、凶器攻撃で血だるまにされ、ロープで首を絞められで返り討ちに。この凄惨なシーンがテレビでアップで移され、テレビを見ていたファンに強烈なインパクトを与えました。そこへドリーが駆けつけてテリーを救出。このテリーの「やられっぷり」でオープン・タッグ選手権の成功は約束されたようなものでした。

69年2月11日、フロリダ州タンパで当時28歳だったドリー・ファンク・ジュニアがジン・キニスキー(当時40歳)をスピニング・トーホールドでギブアップさせ、NWA世界ヘビー級王座を獲得。20代の若き世界王者の誕生でアメリカマット界は世代交代の波が訪れました。

王者ドリーは同年11月に日本プロレスに初来日、12月2日、大阪府立体育会館で先ず猪木が、翌3日には東京体育館で馬場が連続挑戦することになりました。「もし大阪で猪木が勝ったらどうなるのか?」という質問に芳の里日本プロレス社長は「馬場が猪木に挑戦することになるだろう」と回答しています。

大阪での猪木戦、猪木は試合前に右手薬指を骨折するというアクシデントに見舞われて手負いの状態。ドリー側には父ドリー・ファンク・シニア、ハーリー・レイスがセコンドについており、猪木にチョッカイを出していきます。

しかし、ドリーvs猪木戦は技と技の素晴らしい攻防を見せて60分ノーフォールの時間切れ引き分けに終わりました。26歳、「若獅子」と呼ばれていた黄色いタイツ時代の猪木の名勝負として51年経った今もファンの間で語り継がれている試合であります。

さすがに2回廻しにも慣れて来ましたが、この日は他に、力道山vsザ・デストロイヤーインターナショナル選手権試合、最後の日本テレビ収録試合(63年日本プロレス東京体育館)、アブドーラ・ザ・ブッチャー全日本プロレスに初参戦(72年全日本プロレス足立区体育館)、馬場、ジャック・ブリスコ破り日本人初のNWA世界ヘビー級王座獲得(74年全日本プロレス鹿児島県立体育館)、グレート草津&マイティ井上組、金網デスマッチでザ・コンバットを破りIWA世界タッグ王座奪回(75年国際プロレス横浜文化体育館)、猪木、イワン・コロフに大逆転勝利でNWFヘビー級王座防衛(76年新日本プロレス大阪府立体育会館)、鶴田、試練の十番勝負第7戦でクリス・テーラーを破る(76年全日本プロレス川崎市体育館)

80年代に入っても、夢の対決、アンドレ・ザ・ジャイアントvsタイガー・ジェット・シン(80年新日本プロレス大田区体育館)、大仁田厚、M井上のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座に挑戦し敗れ引退を表明(84年全日本プロレス後楽園ホール)などネタには困らないはずですが、あくまで流さんの私小説的なコラムなのでその辺は御本人の考え方次第、それをどう予想していくかもこちらの考え方次第ということになります。

※対戦成績は163戦32勝131敗、勝率196。
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