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2021年02月21日23:08

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(46)

第162戦 11月25日発売号●【予想】日本プロレスが初の後楽園ホール大会を開催、馬場vsルイス・ヘルナンデス(66年日本プロレス後楽園ホール)【正解】馬場、ディック・ザ・ブルーザーと復活インターナショナル王座初防衛戦(65年11月27日日本プロレス蔵前国技館)【参考】2015年11月25日発売号はオールスター戦を前に3団体が集結、日本リーグ争覇戦蔵前大会(78年国際プロレス蔵前国技館)

【解説】日本プロレスは61年に渋谷区道玄坂にプロレスの殿堂「リキ・スポーツパレス」を設立、ハワイ・ホノルル・インターナショナルセンターをモデルに設計した建物は3,000人が収容出来るアリーナで、力道山死後も日本プロレスの常打ち会場としてファンに親しまれて来ました。

当時で15億円を投入して建てられたプロレスの常設会場であるリキパレスは完成を見たが、力道山はプロレスだけでなく、自身の野望も詰め込み、1階はボウリング場、2階は芸能人ご用達の高級レストランや喫茶店、裏には当時トルコ風呂と言われたサウナ「リキトルコ」(風俗店となるソープランドとは別)、3〜5階は吹き抜けの常設会場、4、5階は観光開発部門のリキエンタープライズ、6階は力道山の社長室とトレーニングルーム、7階はクリニックや美容室、8階はボディビルと力道山の事業の全てが集約されました。

力道山はこの頃から、プロレスで受けたダメージと過度の飲酒による自身の衰えを痛感しはじめており、いずれ引退しリキパレスを拠点として実業家へ転身することを考え始め、リキパレスのある渋谷を拠点に力道山王国を作り上げようとしていました。

力道山の付き人をしていた猪木の事業に対する執着心が限りなく強いのは、ブラジル時代の貧困な移民生活と力道山の事業家としての姿を直近で見ていたからです。

ところが63年12月15日、力道山が暴力団員に刺された傷が元で、腸閉塞の為に急死してしまいます。力道山の事業はほとんどが借入金で賄われており、ワンマン経営であった力道山が同時に走らせていた複数の事業は頓挫、リキパレスにも債権者による抵当権が設定され、債務不履行により物件を手放さなくてはならなくなりました。

リキパレスの所有者は力道山の個人会社リキエンタープライズであり、日本プロレスの所有ではありませんでしたが、日プロ取締役営業部長だった吉原功はリキパレスを日本プロレスリング興業株式で買い取るべきと主張、反対派の芳の里社長、遠藤幸吉らと対立し、結果は日プロがリキパレスを買取する話はなくなり、吉原は日プロを退職、在米フリーのヒロ・マツダと共に新会社国際プロレスの設立に向けて動き出します。

リキパレスは西山興業に売却され、跡地にはキャバレー「エンパイア」がオープン。常打ち会場がなくなった日プロはボクシング用の試合場として62年に建てられた水道橋の後楽園ホール(旧後楽園ジムアナジム)へ常打ち会場を変更。

記念すべきプロレス初興行開催は66年11月25日で、メインイベントでは馬場がルイス・ヘルナンデス(ジノの父親、72年2月1日、心臓発作の為日本で客死)と60分3本勝負で対戦、1本目は10分39秒に片エビ固め、2本目は3分44秒に背骨折りで2−0のストレート勝ちを収めています。

以来、今年21年で55年間、後楽園ホールは現在もプロレス、格闘技の聖地として多くの興行を開催していますが、ここ最近では新型コロナウイルス影響により水道橋一帯が活気がなく、新日本プロレスも集客方法には苦戦しています。

日本プロレスでは、力道山の死後封印していたインターナショナル王座を65年に復活させました。(ベルトはリニューアルされた)日本代表候補となったのは馬場でしたが、日プロでは馬場に誰もが納得するチャンピオンになってもらおうとハードルを課しました。

馬場はザ・デストロイヤー、アルバート・トーレス、ザ・スポイラー(ドン・ジャーデン)、ジ・アサシンズA(トーマス・リネストウ)らの世界の強豪と争覇戦を展開、これを撃破し見事、日本代表として、アメリカ代表である初来日の「生傷男」ディック・ザ・ブルーザーと王座決定戦を行うことになりました。このあたりのディテールは馬場が全日本プロレスを旗揚げしてからの世界ヘビー級(PWF)争奪10番勝負に受け継がれています。

王座決定戦は11月24日、大阪府立体育会館で行われ、1本目は17分59秒、2本目は5分31秒、馬場がいずれも反則勝ち。2−0とスコアの上ではストレート勝ちですが、屈辱の王座獲得となりました。

3日後の11月27日、舞台を東京に移して蔵前国技館での馬場の初防衛戦。1本目は7分50秒、馬場が片エビ固め、2本目は18分24秒にブルーザーが体固め、決勝の3本目は4分55秒、両者リングアウトとなり1−1で馬場が引き分けで辛うじて初防衛を果たしています。

※対戦成績は162戦32勝130敗、勝率198。
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