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2021年02月16日22:13

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(41)

第157戦 10月21日発売号●【予想】ゴールデンタイム復帰記念、至高のダブル世界戦、NWA、AWA両世界ヘビー級選手権試合、リック・フレアーvsリック・マーテル(85年全日本プロレス両国国技館)【正解】全日本プロレスが順風満帆の旗揚げ2連戦(72年10月21日全日本プロレス町田市体育館&22日日大講堂)【参考】2015年10月21日発売号は全日本プロレス旗揚げ前夜祭、馬場&サンダー杉山組vsブルーノ・サンマルチノ&テリー・ファンク(72年全日本プロレス町田市体育館)

【解説】日本テレビ「全日本プロレス中継」は72年10月7日の放送開始以来、毎週土曜日午後8時より60分枠で放送されて来ましたが、裏番組に怪物番組と言われたTBS「8時だヨ!全員集合」が30%超の視聴率を常時誇っており、また75年4月にはフジテレビが「視聴率男」と言われた萩本欽一の「欽ちゃんのドンとやってみよう!」を午後7時30分からの90分枠で放送開始され「2強」の闘いとなり、またプロ野球シーズンの4〜9月までは読売巨人軍の試合放送により、放送が深夜枠(関東地区は午後11時45分から)になってしまうこともしばしばありました。

79年3月31日放送の三条市福祉厚生体育館からの生中継を最後に毎週土曜日午後8時枠から撤退を余儀なくされ、翌週4月7日放送の秋田県立体育館から毎週土曜日午後5時30分から(関東地区)に変更。番組についていた横浜ゴム、大塚グループ、黄桜酒造、日鐵サッシ、ニッカウィスキーなどのスポンサーも撤退し、「全国31局ネット」が売りだったネットワークも減少しています。(井関農機は番組のスポンサーからは降りたが鶴田を自社のCMに起用し、継続的にスポンサードを行った)

放映権料の収入減と興行成績の不振から経営危機が伝えられた全日本プロレスでしたが、日本テレビから出向してきた元日テレ運動部長、松根光雄らが役員に送り込まれ、松根氏は82年1月1日付で全日本プロレスの社長に就任、建直しが図られました。松根氏代表就任前には日テレからの資金援助により、新日本プロレスよりスタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シンを獲得。

83年2月に凱旋帰国した「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキ(高千穂明久)がブームを起こし、83年2月26日には午後7時30分からの「土曜トップスペシャル」の90分枠で前日の2月25日、愛知県体育館大会(鶴田vsトミー・リッチのUNヘビー級選手権試合、カブキvsシン、大仁田厚vsドスカラスのNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権試合)と2月11日、ミズーリ州セントルイス・チェッカードームでのハーリー・レイスvs馬場のPWFヘビー級選手権試合、リック・フレアーvsブルーザー・ブロディのNWA世界ヘビー級選手権試合の二元中継を放送。通常の午後5時30分からのレギュラー放送も休まず放送されました。

この後、83年は8月31日、蔵前国技館でのテリー・ファンク引退試合(9月3日放送)、12月10日、愛知県体育館での世界最強タッグ決定リーグ戦を4年8か月ぶりに生中継。84年は2月23日、蔵前国技館でのニック・ボックウィンクルvs鶴田のAWA世界、インターナショナル両ヘビー級選手権試合他(2月25日放送)、3月24日、蔵前国技館でのハンセンvs馬場PWF王座戦、鶴田vsニックAWA世界王座戦他を生中継。12月8日、愛知県体育館からの世界最強タッグ決定リーグ戦を生中継で放送。

そして長州力以下ジャパンプロレス勢が参戦 85年には3月9日、新装なった両国国技館でのプロレスこけら落としとなった初来日のアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズが鶴田&天龍組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦した試合を生中継。この日は夕方からのレギュラー枠でウォリアーズの来日第1戦となった前日の3月8日、船橋市民体育館からのvsキラー・カーン&アニマル浜口組戦を放送し、特番につなぐという日テレの素晴らしい連携を見せています。

6月22日には前日の6月21日、日本武道館で行われた日本人選手のみのワンナイト興行、「スペシャル・ウォーズIN武道館」を録画放送。全日本プロレスには別途、特番の放映権料が入り、また一定の視聴率をあげたこともあって8月28日、赤坂プリンスホテルにて馬場、鶴田、天龍、タイガーマスク、長州、谷津嘉章、小林邦昭が出席し記者会見が行われ、10月(19日)から全日本プロレス中継が毎週土曜日午後7時からのゴールデンタイムに6年半ぶりに復帰することが発表されました。やはり、日テレ運動部長だった松根社長のテレビマンとしての意地でしょう。

ゴールデンタイム移行記念として全日本プロレスの旗揚げ13周年記念日(正確には前夜祭)である10月21日の両国国技館で史上初となるNWA世界ヘビー級王者フレアーとAWA世界ヘビー級王者リック・マーテルのダブル・タイトルマッチが実現、アメリカでも実現しなかった世界最高峰の対戦を日本のファンは見ることが出来ました。

試合は34分3秒、両者リングアウトによる引き分けに終わりましたが、NWAのジム・クロケット、AWAのバーン・ガニアと交渉し試合を組んだ馬場のプロモーターとしての力量と援助した日本テレビの資金力の潤沢さを印象づけた出来事でした。

馬場が日本プロレスから独立を表明、日本テレビの支援を受けて新団体の旗揚げに向けて準備を開始し、保持していたインターナショナル王座を返上した経緯については本連載(29)7月29日発売号、(34)9月2日発売号をご参照頂けると幸甚です。

72年9月9日、赤坂プリンスホテルにおいて記者会見を行った馬場は新団体「全日本プロレス」の設立を発表。商号は「全日本プロ・レスリング株式会社」。資本金は4,000万円、代表取締役は馬場正平、本店所在地は東京都港区六本木7−3−12インターナショナル・ビル。旗揚げ戦の日程も発表され、10月21日、町田市体育館で旗揚げ前夜祭を行い、翌22日、日大講堂で旗揚げ戦を行うこととなりました。

翌10日に日本テレビの原章プロデューサーと共に外国人ブッキングルートの確保に再渡米した馬場は、テキサス州アマリロのドリー・ファンク・シニアにブッカーを依頼、全面的な協力を取り付けることに成功しました。馬場はテキサス州で大物プロモーターだったフリッツ・フォン・エリック(ジャック・アドキッセン)にも協力を依頼しましたが意外にもエリックは保留。ロサンゼルスで日本プロレスのブッカーをしていたミスター・モトは日プロヘの義理からこれを謝絶、ペンシルバニア州ピッツバーグで僚友ブルーノ・サンマルチノの協力を取付けました。

9月18日に一旦帰国した馬場は日本陣営のメンバーを発表、日本プロレスからはアマリロに遠征していた大熊元司、マシオ駒。他に轡田友継(サムソン・クツワダ)、佐藤昭夫(昭雄)、日本プロレスでデビューしながら引退していた藤井誠之。さらに国際プロレスからサンダー杉山が円満移籍、旗揚げシリーズに参加する外国人メンバーを発表、サンマルチノ、テリー・ファンク、フレッド・ブラッシー、ドン・デヌーチ、ジェリー・コザック、ダッチ・サベージ、後半戦にはドリー・ファンク・シニアが特別参加。

馬場は9月19日に旗揚げ戦前に放送する日本テレビ「全日本プロレス中継」の収録の為に日テレ放送クルーと3度目の渡米。9月20日、ハワイ・ホノルル・インターナショナルセンター(後のニール・ブレイズデルセンター)で日本プロレスに初来日したばかりのザ・シークと対戦、11分40秒に両者リングアウト(10月7日放送)。馬場はミシガン州デトロイトのプロモーターであるシークにも外国人ブッキングの交渉を行い、了承を取付けました。

9月22日にはアマリロのTVスタジオで全身赤コスチュームのマスクマン、ザ・プロフェッショナルと対戦し1−1から反則勝ち。(10月14日放送)プロフェッショナルの正体はハーリー・レイスで、次期NWA世界ヘビー級王者の有力候補だったレイスは当時まだ日本プロレスが存在し、芳の里社長と遠藤幸吉取締役がNWAのメンバーだった為、オポジションの代表である馬場と素顔では闘えず、上半身裸だと特徴のある腕の刺青でバレることから全身を隠していたものです。

東部地区に移動した馬場は9月25日、ピッツバーグでフランク・ホルツを10分45秒、16文キックからの片エビ固めで破り、9月30日にはニューヨーク・センチュリー・シェアスタジアムでのペドロ・モラレスvsサンマルチノのベビーフェイス同士の世紀の一戦(WWWFヘビー級選手権試合)を観戦しています。(72分にカーフューストップ、ニューヨーク市条例により午後11時以降の興行は禁止、による引き分け)

帰国した馬場は10月16日に東京ヒルトンホテル(キャピトル東急ホテル)記者会見を行い、力道山家(百田家)が全日本プロレスに全面強力、力道山ゆかりのインターナショナル王座ベルトの寄贈を受け、新たに世界ヘビー級王座として復活させると発表、また力道山長男の義浩がリングアナウンサー、次男光雄がレスラーとして全日本プロレスに入団することを発表。(光雄は70年に日本プロレスに入りデビューしていますが、退団していた。)

10月20日、東京ヒルトンホテルで招待客約500人を集めての全日本プロレス発足記念パーティーが開催され、席上、馬場は力道山家から贈られたインターナショナル王座のベルト争奪戦を世界の強豪と10試合闘い、相応の成績を収めた暁には、ベルトを巻くことを発表しています。

10月21日、町田市体育館での旗揚げ前夜祭は生中継。メインイベントではサンマルチノ&テリー組が馬場&杉山組を2−1で破り、セミファイナルは大熊がブラッシーに1−1から反則勝ち。

10月22日、日大講堂での「旗揚げジャイアント・シリーズ」開幕戦では馬場はサンマルチノと世界ヘビー級王座争奪第1戦を行い、1−1から両者カウントアウトの引き分けとなりました。

流さんにとっては全日本プロレス旗揚げについてはよほど書きやすいネタであるのは確か。2014年10月22日発売号では旗揚げ戦の日大講堂大会、2015年10月21日発売号では旗揚げ前夜祭の町田大会、2018年10月17日発売号では旗揚げまでの1週間として16日の記者会見から22日の旗揚げ戦までを書いており、今回で5回目。

他にも、10月21日は昭和の全日本プロレスだけでも、フレアーvsマーテル以外ではノーテレビの地方大会で行われたアジア2大選手試合、アジア・ヘビー級王座決定戦、大木金太郎vsワルドー・フォン・エリック、同タッグ選手権試合、ジェリー&テッドのオーツ兄弟vs高千穂&クツワダ組(76年福島市体育館)、インターナショナル・タッグ選手権試合、馬場&鶴田組vsケン・パテラ&ボボ・ブラジル組(77年横浜文化体育館)、テリー、来日記者会見で3年後の引退を発表(80年)、インターナショナル・ヘビー級選手権試合、ハンセンvs鶴田、PWFヘビー級選手権試合、長州vsテリー(86年両国国技館)など、違う材料はまだまだあります。全日本プロレス旗揚げも繰り返し書く必要はあるのかも知れませんが、視野をもう少し広げて欲しいと思います。

※対戦成績は157戦31勝126敗、勝率197。
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