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2020年10月27日22:17

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ありがとう!横浜文化体育館(49)

90年代は「泡沫インディーズ団体」が多数出現し、89年、平成元年初頭時点で存在していたのは新日本プロレス、全日本プロレス、新生UWF、全日本女子プロレス、ジャパン女子プロレスの5団体だけでしたが、これ以降団体が急増していきました。インディーズの先駆けとなったのは剛竜馬率いる「パイオニア戦志」で86年3月に人員過剰になった全日本プロレスを解雇されたアポロ菅原、高杉正彦の国際血盟軍のメンバーで89年4月30日、後楽園ホールで旗揚げ興行を行いました。

90年には剛がかつて所属していた新日本プロレスの藤波辰爾とのパイプから新日本ヘパイオニア軍団としての参戦がありましたが自然消滅、菅原は前89年にパイオニア戦志を離脱、新日本プロレスとの契約選手だった元横綱・双羽黒こと北尾光司のトレーナーとして一時新日本と所属契約を結んだこともあり青柳政司、松永光弘、齋藤彰俊ら誠心会館勢、金村ゆきひろらも参戦していましたが、90年末に解散。

剛は92年7月26日、香川県琴平市で「オリエンタル・プロレス」を旗揚げしています。板倉広、荒谷信孝、松崎和彦(駿馬)、矢口一郎(壹琅)平野勝美らのメンバーが参加、「出前プロレス」やその日行われたビデオ収録された試合映像をダビングして帰りに観客に販売する「ほっかほかビデオ」など新機軸を打ち出しましたが所属選手の他団体出場や海外遠征時時のギャラのピンハネなどの団体内のトラブルから創業者の剛は同年10月にオリプロを追放され1人になり剛軍団として再出発。

剛軍団は93年11月12日に一度だけ横浜文化体育館大会を開催したことがあります。IWA格闘志塾を開催、地元神奈川県在住の国際プロレスの先輩である鶴見五郎の主宰する鶴見ジムとの共催「WAR IN YOKOHAMA」で3,200人発表の観衆を動員しました。鶴見のIWA格闘志塾は横浜にあった屋台村ヨンドンで定期戦を開催していました。DDTの高木三四郎も屋台村出身です。

メインイベントは剛とオリプロ時代からの盟友、ジェシー・バー組が保持するCWUSAインターナショナル・タッグ王座にブルーザー・ブライアン&レッド・オクトーバー組が挑戦。25分20秒、剛が腹固めでオクトーバーをギブアップさせて王座防衛に成功しています。

第1試合〜セミファイナルまでは6チーム参加によるワンナイト・タッグトーナメント、第1試合菅原&高杉組と川畑輝鎮&松崎組は8分57秒、高杉が国際プロレス時代の大木金太郎の得意技だったX固めで松崎からギブアップ勝ち。

第2試合は88年には全日本プロレスでアジア・タッグ王者チームに輝いたこともある高野俊二(拳磁、PWC)&仲野信市(SPWF)組が出場、荒谷&三宅稜組と対戦、10分52秒、仲野が三宅をノーザンライト・スープレックスホールド(北斗原爆固め)で降しメジャー団体経験者チームが実力の違いを見せました。第3試合、谷津嘉章(SPWF)&鶴見五郎組の元SWS道場・激チームと島田宏(SPWF)&元国際プロレスで普段は福島・会津若松でちゃんこ料理店をやっているベテラン、米村天心(フリー)組の対戦。谷津が限定試合出場となっていた米村を5分9秒、ラリアットからの体固めでフォールしました。

これにより、菅原&高杉組、高野俊&仲野組、谷津&鶴見組の3チームが決勝に残り、3チームが巴戦(先に2勝したチームの勝ち)による優勝決定戦を行いました。

巴戦第1試合、菅原&高杉組と高野俊&仲野組は4分38秒、首固めで菅原が仲野を丸め込んで1勝。高野俊&仲野組は1敗。巴戦第2試合、谷津&鶴見組vs菅原&高杉組はワキ固め狙いに来た菅原をエビ固めで強引に押さえ込んで1分1秒、エビ固めでフォール勝ち。谷津&鶴見組が1勝。菅原&高杉組は1勝1敗。巴戦第3試合、谷津&鶴見組vs高野俊&仲野組、全員が全日本プロレスからSWSに移籍した4人の顔合わせとなり、前の試合で腕を痛めていた仲野が3分9秒、鶴見の腕固めでレフェリーストップ負けを喫し、2勝をあげた谷津&鶴見組が優勝を果たしています。高野俊&仲野組は巴戦は2敗に終わりました。

剛軍団はその後は剛の地元である神奈川県厚木市を中心に興行活動を展開、94年8月1日、後楽園ホール大会の試合後に剛が自身のことを「プロレスバカ」と表しましたが、「バカ」の部分だけがクローズアップされてしまい、かえってそれが受けて週刊プロレスのプッシュやテレビ朝日系プロレス・格闘技バラエティー番組「リングの魂」でも採り上げられブレイク。剛の掛け声である「ショアッ!」の認知度はどんどん上昇していきました。

週プロからはビデオ増刊号が発売されたほか、95年4月2日、ベースボール・マガジン社主催「夢の懸け橋」では剛軍団として「団体扱」で出場。60,000人の大観衆の前で試合をし、宇宙魔神シルバーXを破っています。だが人気ここがピークでした。 

剛軍団は96年には冴夢来(サムライ)プロジェクト、冴夢来プロレスと改称、タイガー・ジェット・シンが参戦。スポンサーとして藤拓地所が付いての冠興行もありましたが次第にマット界から遠ざかり、03年には老女性の鞄を強奪したとして窃盗容疑で逮捕され、また同時期には男性同性愛者向けアダルトビデオに出演していたことも発覚、09年8月30日、にDDTの別ブランドとなっていたユニオンプロレス後楽園ホール大会の試合に出場しましたが、あまりに落ちた筋肉に観客は衝撃を受けました。

09年10月、剛は自転車に乗っていた時に自動車と接触事故を起こし負傷、骨折していた腕からウイルスが入り10月18日、敗血症の為に53歳という若さで死去。治療を受けたくとも病院に行く治療費もなかったと言われており、波乱万丈の生涯を閉じました。
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