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2020年10月26日23:12

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ありがとう!横浜文化体育館(48)

96年1月、ビクター・キニョネスと浅野起洲代表の訣別によりプエルトリコルートから外国人選手が呼べなくなったIWAジャパンですが、カクタス・ジャック、タイガー・ジェット・シン、テリー・ゴディらの主要外国人選手は残留しました。(テリー・ファンクはビクターの仲介で同年4月にFMWヘ再移籍)

シンのパートナー、上田馬之助もIWAジャパンに参戦し、70〜80年代、新日本プロレス、全日本プロレスを恐怖のドン底にシン&上田組の凶悪コンビがIWAジャパンでも再結成されオールドファンを喜ばせました。

しかし同年3月15日未明に悲しい事件が起きました。東北サーキットから戻る途中、上田が乗っていたリング搬送用のトラックが東北自動車道岩槻付近で追突事故に遭い、運転していたリングスタッフは死亡。上田も首から下の感覚を失う半身不随となりレスラー生命を絶たれてしまいました。

93年1月8日に福井市鯖江での興行を終えて東京に戻っていたNOWのリング搬送用のトラックが衝突事故を起こし、運転していた直井敏光選手(享年26歳)が死亡する事故もあり、インディーズ団体の過酷な現場の状態が浮き彫りにされました。01年10月22日に起きたFMW、ハヤブサのリングアクシデントも前日が京都KBSホールでの大会、選手達はホテルに宿泊せず、そのままバス移動で後楽園ホールに向かっており、休養不足、睡眠不足があったことは否めませんでした。

話を元に戻すと、96年8月にはIWAジャパンは創立2周年記念興行として8月10日、横浜文化体育館、翌11日の後楽園ホールの2日間、米ハードコア団体ECWから選手を招聘して「DANGER&PLEASURE TOUR〜反逆分子〜IWA ECW 真FMW全面戦争」を開催しました。

初日の横浜文体ですが、観衆2,200人発表とハッキリ言えば不入りで、外国人選手のギャラのコストを考えたら赤字が予測されました。私は2日間共に生観戦しましたが、空席がかなり目立っていました。

メインイベントはゴディ&トミー・ドリーマー組とレイヴェン&スティービー・リチャーズ組。ドリーマーの女性マネージャーにはビューラ・マクギリティが付いています。試合は13分8秒、ゴディがパワーボムでリチャーズをエビ固めでフォールし地力の差を見せました。

セミファイナルの真FMWvsECW、ターザン後藤&ミスター雁之助組とペリー・サタン&ジョン・クローナス組のジ・イリミネーターズの一戦は雁之助が足の負傷で欠場となり、代わりのパートナーがいない(フライングキッド市原は身体のサイズが違いすぎる)真FMWはT後藤が1人でイリミネーターズを相手にする1対2ハンディキャップマッチに変更されました。

おそらく「1対2で負けた方が美味しい」というT後藤の計算でしょう。孤軍奮闘したT後藤でしたが8分53秒、クローナスに机の上に寝かされてのダイビング・ボディプレス・オンザ・テーブルからの体固めでフォール負けを喫しました。T後藤は「雁之助の怪我が治ったら、今度はタッグでやって必ず勝つ」とコメントしました。

IWAジャパンの平野勝美とECW、ババレイ・ダッドリー(ブラザー・レイ)のシングルマッチは3分37秒、ババレイボムからのエビ固めでババレイの完勝に終わりました。

IWAジャパン対真FMW、岡野隆史&山田圭介組とF市原&三宅稜組は13分25秒、ダイビング・ボディプレスからの体固めで山田が三宅からフォール勝ち。

横浜文体と後楽園は「DANGER&PLEASURE TOUR〜反逆分子」シリーズの中の特別興行ですが、シリーズを通して参戦しているのが90年代初期の全日本プロレスで活躍したアポカリプス&ディストラクションのザ・ブラック・ハーツ。この日はレザー・フェイス&板倉広組と対戦、9分17秒、ツープラトンのダイビング・ギロチンドロップからの体固めでアポカリプスが板倉を破りました。

横浜文体大会は不入りでしたが、翌8月11日、後楽園ホール大会は2,000人超満員発表、約2.5倍のキャパとなる横浜文体と後楽園ホールの発表観客数がほぼ同じというのも何とも言い難い話ですが、ECWと言えばアメリカでもカルト的なコアなファンが多く、本拠地のペンシルバニア州フィラデルフィアのECWアリーナも後楽園ホールより狭い会場であり、興行自体が後楽園ホール向けであったと思います。

後楽園ホールではトリプルタイトルマッチが行われ、T後藤がババレイを破りIWA世界ヘビー級王座を防衛、レイヴェンvsドリーマーの直輸入対決、ECW世界ヘビー級選手権試合はレイヴェンが勝利し王座防衛。イリミネーターズは岡野&山田組を降してECWインターナショナル・タッグ王座を防衛しました。

観客の熱狂ぶりは横浜文体の比ではなく、最初から後楽園ホール2連戦でやればいい興行でした。

「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキ(高千穂明久)は全日本プロレス→SWS→WARと転戦し、94年から平成維震軍の助っ人として新日本プロレスに参戦、この背景には提携関係にあった新日本プロレスとWARによるスーパー・ストロング・マシンとのレンタルトレードがありますが、マシンはレンタル参戦期間が終わると94年10月の「SGタッグ・リーグ戦」から新日本プロレスに素顔の平田淳嗣として復帰を果たし、橋本真也と組んでIWGPタッグ王座を保持するなど本隊のバイプレーヤーとして安定した実力者ぶりを発揮しました。

しかし、カブキは新日本プロレスとの契約切れの後はWARには戻らず、石川孝志(敬士)の東京プロレス参戦を経て97年にはIWAジャパンに移籍します。

カブキは翌98年に引退を表明、48年9月8日宮崎県延岡市出身のカブキは満50歳となる自身の誕生日の1日前に引退することを表明、9月7日、後楽園ホールでの引退が決まりました。8月8日、新日本プロレスの大阪ドーム大会に参戦したカブキは「息子」グレート・ムタと組んで、かつての平成維震軍の同志だった後藤達俊&小原道由組を破っています。

IWAジャパンの9月シリーズはカブキ引退ツアーとして行われ、9月4日には横浜文体大会(観衆2,615人発表)が開催されました。

カブキはメインイベントに出場し、みちのくプロレス所属だったグラン浜田と組んでFMWから戻って来たテリー・ファンク&ザ・グレート・サスケ組と対戦。19分20秒、カブキが毒霧からの体固めでサスケをフォールしています。

セミファイナルはIWA世界ヘビー級選手権試合、王者ダグ・ギルバート(W☆INGにスプラッター系モンスターのフレディ・クルーガーとして参戦していた)にLフェイスが挑戦。7分56秒、王者Dギルバートがみちのくドライバー兇らの体固めで勝ち王座を防衛。

この日、9月7日、後楽園ホールでのカブキの引退試合の対戦相手を決めるトーナメント決勝が行われ、IWAジャパンの社長となっていた山田が奥村茂雄(OKUMURA)を11分53秒、首固めで破り、カブキの引退試合対戦相手となる権利を手中に収めました。

9月7日、後楽園ホールでの引退試合はカブキは全3試合を行って引退していますが、その後も新日本プロレスを始めインディーズ団体、力道山未亡人の田中敬子さんが発起人となった昭和プロレスなど度々試合をしていました。また飯田橋で居酒屋「かぶきうぃず ふぁみりい」を開店し、自身の暴露トークを聞きたさに常連が集まり店は順調な経営ぶりを見せました。

17年12月22日、プロレスリングノアの後楽園ホール大会で69歳で「完全引退」をしています。引退から「完全引退」まで20年近い歳月が流れており、大仁田厚に限らず、プロレスラーは引退、復帰を繰り返すモノだと実感させられます。

IWAジャパンは00年に一旦は活動休止したものの、01年に再開、古(いにしえ)の全日本プロレス路線でスティーブ・ウィリアムス、テッド・デビアス、バリー・ウィンダム、マイク・ロトンド達を招聘してファンの期待に応え、またハルミヤコ女史率いるUMA軍団との抗争など話題を提供しましたが14年に活動再休止。しかし浅野オーナーは解散を明言しておらず、どこかのタイミングで単発興行などで復活する可能性はなきにしもあらず…です。
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