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2020年10月25日22:05

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ありがとう!横浜文化体育館(47)

W☆INGの外国人招聘窓口をしていたビクター・キニョネスは94年1月に代表の茨城清志と訣別しW☆INGから離脱。飲食業の傍ら、全日本プロレス始め各団体のプロモーターをしていた浅野起州(金六)と共に新団体「IWAジャパン」設立に動きました。IWAジャパンの社長には浅野が就任し、ビクターは外国人ブッカーとして「IWAプエルトリコ」を設立しW☆INGに送っていた外国人選手をそのままスライドさせてIWAに参戦しました。

また、全日本プロレスが日本テレビの「全日本プロレス中継」をこの年の4月から放送時間帯が毎週土曜日の深夜から30分枠に縮小された影響からか、放映権料の減収の影響で外国人レスラーの予算が縮小され、スタン・ハンセン、スティーブ・ウイリアムス、ジョニー・エースら固定されたメンバーしか呼ばなくなった為に、全日本プロレスをリリースされた外国人を招聘、ファンを喜ばせました。

94年5月21日、横須賀市臨海公園特設リングでプレ旗揚げ戦、2日後の5月23日には後楽園ホールで旗揚げ戦を開催しています。

日本側エースは、オリエンタルプロレス→ユニオンプロレス→IWA流山と転戦して来た荒谷信孝。当時26歳、大相撲出身で身長、体重も申し分なく、ムーサルトプレスを使う器用な一面も見せ、浅野社長の期待も大きかったです。FMW、W☆INGが行っていたデスマッチ路線も踏襲。こちらは中牧昭二、小野浩志の「血みどろブラザーズ」が継承。メキシカンのルチャドールもW☆INGに引き続き招聘されました。

W☆ING所属だった日本人選手のうち、松永光弘、保坂秀樹、非道(WARに相撲軍団「刃=やいば」として参戦後)はFMWに、茂木正淑はSPWFに、邪道、外道はWAR冬木軍に移籍しましたが、金村ゆきひろとジ・ウィンガーの岡野隆史はIWAジャパンに参戦。

IWAジャパンでは旗揚げ後早速、自前のベルトであるIWA世界ヘビー級、同世界タッグ王座を新設、先行して世界ヘビー級の王座決定トーナメントを7月に開催。7月14日、後楽園ホールでの王座決定トーナメントで荒谷のムーサルト・プレスに敗れた金村は、荒谷の共闘呼びかけに対し、「自分はW☆INGにこだわりたい」とこれを拒絶。その後もシリーズには参戦していたものの、同年9月にはFMWヘ移籍、松永、保坂達と「W☆ING同盟」を結成、FMWの会場には「W☆INGフリークス」と呼ばれたコアなファンが足を運び、活況を呈していきました。

ちなみに初代IWA世界ヘビー級王座決定トーナメント決勝は7月20日、和歌山県岩出町総合体育館で行われ、ディック・スレーターが荒谷を破り優勝。初代王者となっています。

IWAジャパン初の横浜文化体育館大会は旗揚げ半年後の94年11月17日、「TEXAS BRONCO NEW COMING!」(観衆4,795人満員発表)でした。

メインイベントでは新設されたIWA世界タッグ王座決定リーグ戦優勝決定戦が行われ、荒谷のパートナーを務めたのはスレーターで、ヘッドハンターズA&B組と対戦、16分12秒、ヘッドハンターAが荒谷をダイビング・ギロチンドロップからの体固めで破り優勝。初代王者チームとなりました。

エース荒谷はシングル、タッグ共に決勝まで進んでおきながらいずれもベルトを手中に収めることが出来ず、その不甲斐なさがファンから揶揄されることになります。

シリーズのタイトル名通り「テキサスブロンコ」テリー・ファンクが参戦、テキサス・ケージマッチでレザー・フェイス(2代目、W☆INGに来日した初代のコーポラル・マイク・カーシュナーとは別人、中身はリッキー・パターソン)と対戦、11分10秒、首固めでテリーがフォール勝ちを収めました。

バーブドワイヤー(有刺鉄線)・チェーンデスマッチで血みどろブラザーズ同士の中牧と小野が対戦、10分51秒、テーブルの上へのDDTからの片エビ固めで中牧のフォール勝ち。

ユニバーサルのリングでも結成されたエル・テハノ&シルバー・キング組のロス・カウボーイズvsミゲル・ペレス・ジュニア&スペル・アストロ組は16分10秒、テハノが小柄なアストロをパワーボムからのエビ固めで撃破。

IWAジャパンで謎のマスクマン、アクエリアスとしてデビューした田尻義博(TAJIRI)はアギラ・ネグラに片エビ固めで敗戦、後にTAJIRI夫人となる新谷(あらや)朋江はIWAジャパン女子部のレスラーでした。

エースと目された荒谷でしたが期待には応えられずIWAジャパンを離脱し天龍のWARヘ移籍。

95年にはヒールサイド外国人のエースとして91年3〜4月の全日本プロレス「チャンピオン・カーニバル」に一度だけ来日したカクタス・ジャックが来日しダイナミックなクレイジーバンプと画鋲デスマッチで大ブレイク。

CS放送「GAORA」のプロレス番組「格闘チャンプ・フォーラム」出演でのユーモアに富んだリアクションで人気を得ました。

95年4月、FMW川崎球場での大仁田厚引退試合直前になりターザン後藤、ミスター雁之助、フライングキッド市原がFMWを離脱、3人は5月1日、IWAジャパンの後楽園ホール大会に乱入、中牧らをボコボコにして宣戦布告。「真FMW」を名乗りレギュラー参戦を果たしました。

同年8月20日にはカクタス、テリー・ファンク、タイガー・ジェット・シン、テリー・ゴディ、NWA世界ヘビー級王者ダン・スバーンらを招いて川崎球場大会を開催。この辺りまでがIWAジャパンのピークだったと思います。

同年9月29日には横浜文体大会「DARKEST HOUR〜新たな幕開け」開幕戦(観衆3,150人発表)が行われています。

メインイベントはT後藤の保持するIWA世界ヘビー級王座にLフェイスが挑戦。10分19秒、イスの上へのゴーストバスター(垂直落下式ブレーンバスター)からの体固めでT後藤が王座防衛。

セミファイナルはIWA世界タッグ選手権試合、カクタス&トレイシー・スマザース組にヘッドハンターズA&B組が挑戦。16分51秒、カクタスがダブルアーム式DDTでヘッドハンターBを破りカクタス&スマザース組がベルトを死守しました。

中牧&IWAジャパン生え抜きの山田圭介(ブラックバファロー)組vs雁之助&菊澤光信(えべっさん、菊タロー)組の一戦は14分58秒に山田が菊澤を逆エビ固めでギブアップさせました。菊澤は真FMWへの加入を直訴。

全日本、ジャパン提携時代に対戦したテリー・ゴディと栗栖正伸がシングルで対戦、7分12秒、パワーボムからのエビ固めでゴディの完勝に終わりました。ゴディは90年代前半の全日本プロレスでハンセン、Sウイリアムス、ダニー・スパイビーと並んで外国人4強と呼ばれ、馬場にもその才能を買われていましたが、ドラッグとアルコールの併用による副作用で何度か昏倒するなど体調不良で全日本プロレスをリリースされIWAジャパンに流れました。

インディーズでは成功していたIWAでしたが、96年1月にビクターと浅野社長が決裂、ビクターは配下の外国人選手と共に古巣FMWヘUターンしてしまいました。
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