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2020年10月22日21:15

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ありがとう!横浜文化体育館(44)

順調に見えたWARと新日本プロレスの提携でしたが、初の横浜文化体育館直後に亀裂が生じました。94年2月17日、新日本プロレス両国国技館大会で天龍と橋本真也の再戦が行われ、橋本がジャンピング式DDTで天龍をフォールし、前年6月17日、WAR日本武道館大会での敗戦の借りを返しましたが、その後の3月2日、WAR両国国技館大会で天龍&阿修羅・原組vsFMWの大仁田厚&ターザン後藤組というカードが実現し、18分13秒、T後藤にビール瓶で額を割られた天龍が大仁田のサンダーファイヤー・パワーボムの前にフォール負け。  

これは公表されていないですし、誰も記事にしていないので私の推測も多分に入りますが、猪木と新日本プロレスの「大仁田アレルギー」は相当なものがあり、猪木に勝った天龍がタッグとはいえ大仁田に3カウントを取られたことで、新日本プロレスは態度を硬化させて、天龍出場を発表していた3月16日の東京体育館と5月1日の福岡ドーム大会は天龍の頭部の負傷を理由に欠場を発表してしまいました。

4月4日、新日本の広島グリーンアリーナ(広島県立総合体育館)には天龍は出場、長州力と組んで武藤敬司&蝶野正洋組を破っていますが、これはダイサンエージェンシーというプロモーターへの売り興行であり、天龍出場でチケットを発売していたプロモーターに迷惑がかけられないから出場したと思われ、手打ち(団体の自主興行)である東京体育館と福岡ドームは新日本プロレスからキャンセルされたと考えるのが妥当でしょう。

かなり後になってから、天龍は「新日本から『要らねぇ!』って言われて何クソ、と思ったよ」と時期を明言してはいませんが、新日本プロレスからリリースされていた時期があったことを明かしており、それが94年謎の新日本負傷欠場のことかと思います。

新日本プロレスと一時切れた天龍は94年5月5日、FMW川崎球場大会で大仁田とノーロープ有刺鉄線電流爆破金網デスマッチで対戦し勝利。敗れた大仁田は1年後の引退を発表。5月7日横浜アリーナ〜11日札幌・月寒グリーンドームまで行われたWWFマニアツアーに参戦。

WAR3度目の横浜文化体育館大会は94年8月26日、「革命点火」第2戦(観衆3,500人発表)。メインイベントは冬木弘道&邪道&外道組の冬木軍の保持するWAR認定世界6人タッグ王座に元WWFヘビー級王者ボブ・バックランド&ウォーロード&アルティメット・プトスキー組が挑戦。

冬木は94年5月「理不尽大王」としてヒールターン、ユニバーサル→W☆INGと渡り歩き、この年WARに移籍した邪道、外道とヒールユニット冬木軍を結成。この年の6月30日、初代WAR認定世界6人タッグ王座決定トーナメントに優勝し初代王者トリオとなりました。

試合は16分51秒、バックランドがチキンウィング・フェイスロックで邪道をギブアップさせてバックランド&ウォーロード&プトスキー組が第2代王者チームとなっています。

セミファイナルはSWSから派生したもう一つの後継団体、NOWが活動休止となり、エースだったケンドー・ナガサキがWARマットに参戦。マスクマンの赤鬼(ドン・ムラコ)と組んで天龍&石川敬士組と対戦、14分47秒にナガサキが石川をイスの上へのドリルアホール・パイルドライバーから片エビ固めでフォールしています。

WAR&フリー混成軍と新格闘プロレスの4対4シングル全面対抗戦が行われています。第1試合の平井伸和(WAR)と板倉広(新格闘)は9分19秒、ハーフネルソン式スープレックスホールドで板倉が勝ち新格闘が先勝。第2試合栗栖正伸(フリー)と藤田豊成(闘龍、ドラゴン・ウィンガー、マグニチュード岸和田、新格闘)は4分35秒STFで栗栖が完勝しタイスコアに。

第3試合の折原昌夫(WAR)vs高山秀男(非道、新格闘)は4分47秒、パイルドライバーからの体固めで折原の勝利。第4試合の大将戦、助っ人として参戦していたアニマル浜口(フリー)と矢口一郎(壹琅、新格闘)は5分23秒、マフラーホールドで浜口がギブアップ勝ちし3勝1敗でWAR&フリー混成軍の勝利に終わりました。

ひょんなことから新日本プロレスとのパイプが復活、95年1月に週刊プロレスのベースボール・マガジン社が4月2日、東京ドームを押さえ、オールスター戦「夢の懸け橋」を開催することを発表。各団体に参加オファーを行いました。

状況からして対抗戦は難しく、各団体よりの提供試合を行うことになりました。ターザン山本と不仲と言われていた前田日明のリングス、鎖国体制を敷いていた馬場の全日本プロレスが出場したことで大会の成功は約束されたようなものでした。

WARはこの日夜から後楽園ホールを押さえていましたが、公称40万部を売上げ、プロレス界に多大な影響力を持っていた週プロのカリスマ編集長、ターザンは武井社長にギャラ上乗せするから後楽園ホールをキャンセルしろ、ドームに出なければWARをマイナーに追い込むと高圧的な折衝に出ました。

既にメガネスーパーの資金援助も旗揚げ後1年で打ち切られ、天龍と身内だけの個人商店だったWARからすれば、後楽園ホールをキャンセルし東京ドームに出た方が金銭的にはメリット大でしたが、SWSの時に「天龍は金で動いた」と散々誌面を通してネガティブキャンペーンを張られた天龍は「(ドームには)出ない」と宣言。

新日本プロレスは夢の懸け橋に橋本vs蝶野戦を提供試合とすることを決めていましたが、ターザンに対して不快感を持つ現場監督の長州が天龍に協力、リング上では敵対しながらも、長州シンパであった越中詩郎率いる平成維震軍のメンバーと4月2日WAR後楽園ホールのリングに助っ人参戦。さらにその1週間前の3月26日、WARの両国国技館にも長州達が参戦することになりました。

その見返りとして95年5月3日、新日本福岡ドーム大会に天龍が1年ぶりに新日本のリングに出場、長州と組んで猪木&北尾光司組と対戦、猪木が長州を魔性のスリーパーからの体固めで破っています。

さらに1年後の96年、新日本プロレスは週プロに対して88年以来2度目の取材拒否を通告。「地方で手を抜く新日本プロレス」と書いた記事の揚げ足を取った格好でしたが実際は生意気なターザンを潰す為に長州、永島勝司ラインで仕組まれ、倍賞鉄夫取締役、吉川健一部長の連名でベースボールマガジン社池田郁夫社長宛に書面が送られました。

新日本プロレスだけでなく、新日本と協力関係にあったWAR、UWFインターナショナル、レッスル夢ファクトリーも右へ倣えで取材拒否。天龍が出場し、藤波辰爾をシングルマッチで破った96年4月29日の新日本東京ドーム大会は週プロは取材パスは出ず、担当記者がチケットを購入して客席で取材しながら書いた写真なしの試合レポートだけの増刊号を出して話題を集めましたが、その後の誌面で業界最大手の新日本プロレスの記事が掲載されなかったのは大きく、発行部数を大きく落とし、ターザンは週プロ編集長を辞任、ベースボール・マガジン社からも退職しています。

WAR4度目の横浜文化体育館大会は前回から1年9か月後の96年5月26日、「THE−R−ONEDAY SPECIAL」と題したワンナイト興行(観衆4,200人発表)として行わていますが、メンバーは前回とは全く変わっています。石川敬士は94年に退団し東京プロレスを設立、同年、原は体力の限界を理由に10月29日、後楽園ホールで引退。ザ・グレート・カブキは平成維震軍をリリースされた後はWARに戻らずIWAジャパンヘ参戦。

また、逆にIWAジャパンのエースだった荒谷信孝が入団、相撲軍団の初代嵐は石川の東京プロレスヘ移り、全日本プロレス、SWSで天龍と一緒だった高木功が2代目嵐としてWARマットに参戦しています。

メインイベントは冬木弘道&邪道&外道組が保持するWAR認定世界6人タッグ王座にUインターの「ゴールデン・カップス」安生洋二&高山善廣&山本健一組が挑戦。

96年1月4日の新日本東京ドームで冬木と安生が対戦、冬木が勝ってから両者の間に遺恨が勃発したもので20分4秒、安生が変形足4の字固め「グランドクロス200」で外道からギブアップを奪い、ゴールデンカップスがベルト獲得。

セミファイナルはIJタッグ選手権試合、ランス・ストーム&安良岡裕二組にウルティモ・ドラゴン&望月成晃(武輝道場)組が挑戦。18分46秒、安良岡が望月を羅殺からの片エビ固めで破りストーム&安良岡組がタイトル防衛。

天龍はセミ前に登場、Uインターの中野辰雄(翼燿)とシングルで対戦、4分58秒、逆片エビ固めでギブアップ勝ちを収め、格の違いを見せつけています。

WARとレッスル夢ファクトリーの4対4全面対抗戦が組まれ、対抗戦第1試合は大刀光(WAR)と茂木正淑(夢ファク)は8分33秒、茂木がスクールボーイ(エビ固め)で破り夢ファクが先勝。第2試合、荒谷(WAR)と三浦博文(極悪海坊主、夢ファク)は9分33秒、荒谷がムーサルトプレスからの体固めで勝ちタイスコアに。

第3試合、嵐(高木功、WAR)と『神風』(夢ファク)の対戦は10分29秒、ダイビング・ボディプレスからの体固めで嵐の勝利。第4試合の大将戦、北原(WAR)vs仲野信市(夢ファク)は10分32秒、チキンウィング・フェイスロックで北原が仲野からギブアップを奪って3勝1敗でWAR軍の勝利に終わりました。

社会人プロレスSPWFが前身である夢ファクは大相撲出身者の多いWAR軍にガタイでまず負けており、夢ファク唯一のメジャー団体経験者である仲野は88年に北原がスーパー・タイガージムから全日本プロレス入りした時はジュニアのトップにいましたが、新日本プロレス勢とガンガン渡り合っていた北原には試合数の差で敵わなかったと思います。
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