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2020年10月21日21:32

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ありがとう!横浜文化体育館(43)

SWSの後継団体として天龍率いる「レボリューション」のメンバーが中心になって設立されたのがWAR(レッスル・アンド・ロマンス)。他の参加メンバーはザ・グレート・カブキ、石川敬士、阿修羅・原、ウルティモ・ドラゴン、冬木弘道(サムソン)、北原光騎、折原昌夫、平井伸和、安良岡裕二など。

代表取締役には天龍の義弟(まき代夫人の弟)にあたり、都内で不動産業を営んでいた武井正智が就任、旗揚げ興行は92年7月14、15日の後楽園ホール2連戦が開催されています。

9月15日には旗揚げ2か月で横浜アリーナに進出し(リック・フレアーvs天龍のWWF世界ヘビー級戦、ジ・アンダーテイカーvsキング・ハク等が実現)ましたが、これはSWSが押さえていたものでした。SWSでの失敗から後に引けなくなったWARは新日本プロレスとの対抗戦に団体存続を賭けて活路を見出します。

越中詩郎、木村健悟、青柳政司の反選手会同盟(メンバーの小林邦昭は病気療養中で欠場)が横浜アリーナに参戦、10月23日、後楽園ホール大会ではテレビ朝日のワールドプロレスリングの会場実況が入り、天龍が解説のマサ齋藤に突っかかり遺恨はさらに激化。WAR勢は反選手会同盟のみならず、新日本本隊へも宣戦布告しました。

11月23日、新日本プロレスの両国国技館大会2連戦2日目に天龍が出場、この時既に翌93年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会のメインイベントで長州力と天龍が全日本プロレス時代の86年9月3日、大阪城ホール以来6年4か月ぶりにシングル対決をすることが発表されてましたが、来場していた猪木が「この試合の勝者に挑戦する」と表明し、大きな話題となりました。

また、前日の11月22日の両国国技館ではUドラゴンがエル・サムライを破りIWGPジュニア・ヘビー級王座を獲得、新日本プロレスの入門テストを身体が小さいことを理由に落とされ、山本小鉄の口利きでメキシコでデビューしたことをリング上から激白しました。(93年1月4日新日本東京ドームで獣神サンダー・ライガーに敗れて王座転落)

92年の新日本プロレス年度最終戦、12月14日、大阪府立体育会館のメインイベントでは越中vs天龍という全日本プロレス出身者同士が務める異例事態となり、天龍がパワーボムで越中を破っています。

93年の天龍は1月4日、新日本の東京ドームで長州を破り、4月6日、新日本両国国技館では長州との再戦に敗れましたが、6月17日WAR日本武道館で橋本真也、9月12日幕張メッセイベントホールで蝶野正洋、9月23日新日本横浜アリーナで馳浩をそれぞれシングルマッチで撃破する快進撃を見せたものの、9月26日新日本大阪城ホールで藤波辰爾のグラウンド・コブラツイストの前にフォール負けを喫しました。

しかし12月15日WAR両国国技館での自身の格闘技生活30周年記念大会(大相撲入門が63年2月になり、93年で大相撲、プロレス併せ30周年)で藤波にパワーボムでフォール勝ちしリベンジに成功。

WAR初の横浜文化体育館大会は93年3月3日、「革命デスティニー〜天命〜」開幕戦として行われ、4,900人(満員)の観客を動員。メインイベントは天龍&石川組と新日本プロレス長州&木戸修組が対戦。木戸のワキ固めを天龍が踏ん張って堪えるなかなか危険な場面もありましたが、14分44秒、天龍が木戸をパワーボムからのエビ固めで破り、WAR軍の勝利。 

セミファイナルもWAR対新日本、冬木vs橋本のシングル初対決、10分30秒、橋本が延髄斬りからの体固めで勝利し力の差を見せつけましたが、後の冬木薫夫人を巡っての両者の人間関係を考えると興味深いものがあります。

セミ前はWAR同士の一戦、ジ・アースクェイク・ジョン・テンタ&原組vsカブキ&キング・ハク組の一戦、14分42秒、カブキの毒霧がハクに誤噴射され、そこを原が首固めに丸め込んでテンタ&原組に軍配が上がっています。

WAR対新日本反選手会同盟、北原&折原組と越中&小林邦昭組は13分40秒、小林が折原をフィッシャーマン・スープレックスホールド(網打ち式原爆固め)でフォール勝ちし反選手会同盟の完勝。

新日本のEサムライがWAR来日外国人のリオ・ロード・オブ・ジャングルとタッグを組みUドラゴン&平井組と対戦、19分56秒、サムライが平井を後方高角度回転エビ固め(リバースのウラカン・ラナ)で破っています。

猪木との対戦は翌94年1月4日、新日本東京ドームで実現し、15分56秒、パワーボムからのエビ固めで勝利。「馬場、猪木からフォールを奪った唯一の日本人レスラー」(89年11月29日、全日本プロレス札幌中島体育センター、世界最強タッグ決定リーグ戦公式戦、馬場&ラッシャー木村組vs天龍&スタン・ハンセン組、20分58秒、天龍がパワーボムからのエビ固めで馬場を破る)として歴史に名を残す大偉業をやってのけました。

WAR2度目の横浜文化体育館大会は猪木vs天龍戦から10日後の94年1月14日、「スーパー・レボリューション94」最終戦として開催されました。(観衆4,500人満員発表)。

メインイベントでは天龍が前93年より反選手会同盟から改名した平成維震軍のリーダー、越中とシングルマッチで対戦、10分28秒、ラリアットからのエビ固めで完勝。

セミファイナルは冬木とジ・アースクェイク・ジョン・テンタの変則ボディスラムマッチ、冬木とテンタとでは60kg近い体重差があったことから、冬木はテンタを3回ボディスラムで投げれば、フォールしなくても勝ちとなるルールでした。しかし、冬木はテンタを投げられず12分2秒、ヒッププレスからの体固めでテンタが圧勝しました。

セミ前に組まれたのは原と平成維震軍の助っ人として新日本にレンタル参戦中のカブキのシングルマッチ。12分2秒、ヒットマン・ラリアットからの片エビ固めで原が勝利をもぎ取りました。

SWSに入団した元大相撲十両だった維新力は内臓疾患(膵臓炎)の為、91年12月12日、SWS東京ドーム大会で藤原喜明と引退試合を行い敗戦、引退していますが、翌92年、SWSから派生した後継団体のNOWで復帰、NOWを退団した後WAR入りしていました。ちなみに兄の飯橋一敏は国際プロレスのリングアナウンサーを務め、国際プロレス崩壊後は全日本プロレス、プロレスリング・ノアでフロント業務に携わっています。

維新力は1月5日、シリーズ開幕戦の大阪府立体育会館でUドラゴンを破り、UWA世界ミドル級王座を獲得。この日前王座のUドラゴンを迎え撃っての初防衛戦、18分16秒、ウラカン・ラナで維新力が2連勝し王座初防衛に成功。観戦に来ていた新日本のライガーが控室で維新力を祝福しています。

北原と相撲軍団・嵐(初代、大黒坊弁慶こと小谷一実)の3分5ラウンドマッチは4R42秒、キックの連打で北原のKO勝ち。

WARvs平成維震軍、折原と後藤達俊シングルマッチは12分48秒、バックドロップからの体固めで後藤達が勝ち、力の差を見せつけました。平井&安良岡組vs青柳&齋藤彰俊組の誠心会館師弟コンビのタッグマッチは14分42秒、彰俊が安良岡を左ハイキックからの片エビ固めで降しました。

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