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2020年10月19日05:26

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ありがとう!横浜文化体育館(40)

U系派生団体は総合格闘技系を標榜する団体のみならず実は他にもあり、その源流が第1次UWFにある日本初のルチャ・リブレ団体「ユニバーサル・プロレスリング」です。

第1次UWFの登記法人称号は「ユニバーサル・プロレスリング株式会社」、前田日明は第1次Uを「ユニバーサル」と呼び、新生UWF以降とは明らかに区分して考えていますが、ファンの間でも第1次Uをユニバーサルと呼び、ユニバーサル・プロレスを「ユニバ」と呼んで分けている人も多いです。

84年4月に第1次Uが旗揚げした時に団体の実質的運営をしていた新間寿は「私はプロレス界に万里の頂上を築く」、「私は既に数十人のレスラーを確保した」というキャッチコピーを掲げ、ポスターに新日本プロレス、WWFの契約選手の顔写真を掲載して話題を集めましたが、新間に真っ先に協力したのはメキシコのUWAで、4月11日、大宮スケートセンターで開幕した「オープニング・シリーズ」にはペーロ・アグアヨ、エル・シグノ&エル・テハノ&ネグロ・ナバーロのロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ、マノ・ネグラを送り込んでいます。またメキシコに送ってくれた恩人として新間を慕うグラン浜田も新日本プロレスから移籍しています。

5月に新間が退陣して新体制となり、浜田は第1次Uから撤退、新間はオープニング・シリーズにアメリカから外国人選手をブッキングしてくれた馬場に対する見返りとして全日本プロレスとUWAを業務提携として仲介、浜田は全日本プロレスへフリー参戦、アグアヨ、ブラソ・デ・オロ&ブラソ・デ・プラタのロス・ブラソス、ベビー・フェイス、フィッシュマンなどUWAのスペル・エストレージャ達が全日本に来日しましたが、長州力以下ジャパンプロレス勢の参戦で過剰人員となり、85年で自然消滅。

新間は巨額詐欺事件で世間から注目を浴びることになるジャパンライフに務めながら、プロレス界への復帰を画策、86年に旗揚げしたジャパン女子プロレスにも関わり、浜田がジャパン女子のコーチに就任、浜田の娘(メキシコ人の妻の連れ子)であるソチ浜田がデビューしています。

全日本プロレスを85年1月に引退した大仁田厚は88年にジャパン女子のリングで復帰、12月3日、後楽園ホールで浜田と試合をしていますが、新間は「世界格闘技連合」を設立、ブレーンにはかつての部下で元ジャパンプロレス代表の大塚直樹、ジャパン女子代表の持丸常吉が名を連ね、大仁田は世界格闘技連合として同年12月22日、新生Uの大阪府立体育会館に来場。

神新二社長の「チケット持ってますか?」はよく知られていますが、大仁田は新間の考えたアングルで新生Uの会場に乱入した訳です。新間達世界格闘技連合はジャパン女子プロレスの男女混合団体を目指しましたが、ジャパン女子を応援するファンの拒否反応は凄まじく、頓挫。新間は大仁田のFMWを支援するべく画策するも、FMWがデスマッチ路線に行った為に撤退しました。

FMW旗揚げ前の89年7月2日、大仁田vs青柳政司をメインとした「格闘技の祭典」のメンバーを見るとそれが事実だったことは確認出来ます。

その後もプロレス界への復帰を目指していた新間は息子の新間寿恒を代表とした日本初のルチャ・リブレ団体「ユニバーサル・プロレス」を90年3月1日、後楽園ホールで旗揚げ。日本側メンバーとしては浜田の他、浅井嘉浩が参加しています。

ユニバーサル初の横浜文化体育館大会は旗揚げ2年目の91年9月5日、「ファンタスティカ・セプテンブレ91」開幕戦(観衆2,000人発表)。

メインイベントはG浜田&ブラック・パワー組とEシグノ&モンキーマジック・ワキタ(スペル・デルフィン)組。12分48秒、シグノがBパワージャーマン・スープレックスホールドで降し、シグノ&ワキタ組の勝利。

セミファイナルの6人タッグマッチ時間無制限3本勝負はネグロ・カサス&ライ・リチャード&ブカネロ組がケンドー&浅井&パンテーラ響箸鬘押檻韻之眷砲靴討い泙后

全日本女子プロレスを退団し、ユニバーサル所属となった前田薫(KAORU)は全女でハニー・ウィングスを結成していた高橋美華と対戦、19分50秒、高橋がジャガー式スープレックスホールドで前田を破りました。

8人タッグマッチ、ロス・トルトゥギュース・カラテカス機供掘弦vsロボ・ルビオ&ブラック・テリー&ホセ・ルイス・フェリシアーノ&エル・シュー・ゲレーロ組は2−1でカラテカスが勝利。

第1試合ではMASAみちのく(ザ・グレート・サスケ)と厳鉄(SATO、ディック東郷)が対戦し厳鉄がMASAを破りました。
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