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2020年09月24日21:26

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ありがとう!横浜文化体育館(16)

長州力がジャパンプロレスを離れ、全日本プロレスに残ったのは谷津嘉章、寺西勇、永源遙、栗栖正伸、仲野信市の5選手となりました。長州らが抜けてからの最初の全日本プロレス横浜文化体育館大会は「チャンピオン・カーニバル」最終戦の4月24日(テレビ収録、観衆4,100人発表)に行われています。私はこの興行は生観戦しました。

この日はダブル・メインイベントでダブルメイン第2試合は長州の離脱により剥奪扱いとなったPWFヘビー級王座決定戦、元王者スタン・ハンセン輪島大士の一戦でした。

空位となったPWFヘビー級王座はまず4月17日、鹿児島県立体育館でハンセンと輪島が王座決定戦で対戦し両者リングアウト。4月23日、新潟市体育館ではハンセンとドリー・ファンク・ジュニアが対戦しまたも両者リングアウト。この日の横浜文体大会では、当初はハンセンとドリーの2連戦が発表されていましたが、新潟大会終了後にドリーが輪島に王座決定戦の権利を譲ると発言。

輪島が再び王座決定戦への出場のチャンスを得ましたが12分38秒、ハンセンが首固めで勝利し第12代王者に返り咲きを果たしています。

ダブル・メインイベント第1試合は鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座に新たにジャパン軍団の総帥となった谷津嘉章が挑戦。これまでは鶴田、天龍、長州、谷津の中でシングルの実績では一枚落ちると言われた谷津ですが、ジャパンのエースとして負ける訳にはいかない闘いでした。

谷津は刑務所服役後、新日本プロレスに戻ったマサ齋藤の得意技だった監獄固めを使って鶴田を追込みましたが、両者流血の死闘の末、23分、ノーコンテストに終わりました。

次の「スーパー・パワー・シリーズ」5月16日、小山ゆうえんちスケートセンター大会終了後、天龍が「ジャンボの背中は見飽きた。輪島のお守りは疲れた」と全日本プロレス活性化の為に決起し、国際血盟軍でくすぶっていた阿修羅・原に声をかけ、サムソン冬木、付人だった小川良成とともに反体制派ユニット、天龍同盟を結成、8月には凱旋帰国した川田利明が加わりました。

ジャパンプロレスは10月25日付で解散、5選手は全日本プロレスの所属となり谷津は鶴田と「五輪コンビ」を結成することになります。

また、新日本プロレスに戻った長州らの見返りとして、新日本プロレスに移籍したブルーザー・ブロディ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジミー・スヌーカが全日本プロレスに復帰。

そんな状況で迎えた88年初の横浜文体大会は、「エキサイト・シリーズ」3月9日(テレビ収録、観衆4,750人満員発表)に行われましたが、この日は歴史的な興行となりました。

メインイベントで行われたUNヘビー級王者、天龍とPWFヘビー級王者、ハンセンとのダブル・タイトルマッチで14分40秒、天龍が首固めで勝ち二冠王者になりました。これまでのダブル・タイトルマッチはベルト移動せずの不文律を打ち破り、鶴田のインターナショナル・ヘビー級も含めた三冠統一への道が開かれることになります。

セミファイナルは84年8月26日、田園コロシアムでデビューし、86年3月にヘビー級に転向したタイガーマスクの「猛虎七番勝負」最終戦が行われました。最後の相手となったのは鶴田。14分38秒、バックドロップからの体固めで鶴田がタイガーマスクを寄せ付けずに完勝。

猛虎七番勝負は●谷津、○フランク・ランカスター、●リック・フレアー、○原、●天龍、○テッド・デビアス、●鶴田と3勝4敗の負け越しでした。

石川敬士&マイティ井上組の保持するアジア・タッグ王座に天龍同盟の冬木&川田組、「フットルース」が挑戦、17分41秒、川田がM井上を回転エビ固めでフォールしタイトル移動。世代交代とともに天龍同盟に3つ目のベルトをもたらしました。

新日本プロレスを放送するテレビ朝日「ワールドプロレスリング」が88年4月16日からゴールデンタイムを外れ、毎週土曜日午後4時からになりましたが、日本テレビの「全日本プロレス中継」も4月3日放送分(3月27日、日本武道館から鶴田vsブロディのインターナショナル・ヘビー級戦、天龍vsハンセンのUN、PWFダブルタイトル戦を放送)から毎週日曜日午後10時30分からに放送時間帯が変更され、同じくゴールデンタイムから外されました。

88年7月17日にはプエルトリコでブロディがレスラー仲間のホセ・ゴンザレスにナイフで下腹部を数回に亘って刺され、出血多量で死亡するという衝撃的な事件が起きています。

88年最後の横浜文体大会は10月28日の「ジャイアント・シリーズ」最終戦(テレビ収録、観衆5,400人超満員発表)。

前年「全日本活性化の為に」天龍革命を起こし反体制派に回った天龍は怪物鶴田をターゲットとし、「鶴龍対決」が87年8月31日(天龍のリングアウト勝ち)、10月6日(天龍の反則勝ち)といずれも日本武道館で2回行われました。

それから1年を経て3度目の鶴龍対決が横浜文体で実現、天龍の膝蹴りがアクシデントで鶴田の急所に当たり、鶴田はコーナーでダウン。天龍はコーナーの鶴田にパンチ、キックを浴びせ、静止に入ったレフェリーを振り切って攻撃した為、34分5秒、天龍の反則負けに終わっています。最後のフィニッシュは不満が残りましたが内容は文句ない好試合でした。

84年11月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で馬場の「ミステリアス・パートナー」としてUWFから全日本に移ったラッシャー木村は12月8日、愛知県体育館での馬場&R木村組vs鶴田&天龍組で馬場を裏切り仲間割れ、ヒールターンして以後は国際血盟軍の首領として馬場と対峙していましたが、この年の8月29日、日本武道館大会で馬場とのシングルマッチに敗れ、ベビーターン。

2日前の10月26日、後楽園ホール大会で馬場に「タッグを組んで欲しい」と要請。この日馬場との「義兄弟タッグ」が実現。ザ・グレート・カブキ&石川敬士組と対戦し7分44秒、馬場の16文キックとR木村のラッシング・ラリアットの合体技「16文ラリアット」でR木村が石川を片エビ固めでフォールしています。

昭和全日本の横浜文体大会はこの興行が最後となり王道マットも平成の時代へと突入していきます。
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