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2020年09月17日23:24

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ありがとう!横浜文化体育館(9)

90年代に入ってからの新日本プロレスは坂口征二社長の政策から地方巡業を減らし、大都市のビッグマッチ中心の興行形態にシフトチェンジ。92年からは毎年1月4日に東京ドーム大会を開催していきます。

横浜における興行も、90年9月30日、猪木のデビュー30周年記念大会を88年に完成した新横浜の横浜アリーナで開催し大成功を収めたことで、翌91年からは毎年9月23日の秋分の日に横浜アリーナ大会を開催。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の「闘魂三銃士」を中心にライブイベント型のプロレス興行スタイルを確立。

昭和時代のプロモーターだった遠藤幸吉の高齢化もあり横浜文化体育館での興行も減少していきました。

92年2月、「ファイティングスピリット92」2月8日の札幌中島体育センター大会を最後に藤波辰爾が「考えるところがあって」とシリーズを欠場、負傷ではないところから大いにファン、関係者を心配させていますが気持ちの整理がついたか7月8日、横浜文体での「サマー・ストラグル92」特別興行「DRAGON THE REVIVAL」(テレビ収録、観衆5,200人超満員札止め発表)で5か月ぶりに復帰を果たしています。

藤波は韓国空手のリチャード・バーンと異種格闘技戦3分10ラウンドで対戦、5R43秒、膝十字固めでギブアップ勝ちを収めています。

セミファイナルでは馳浩vs佐々木健介のハセケン対決が組まれ、17分6秒、ドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で馳の勝利。ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ組とスコット・ノートン&マサ齋藤組の一戦は13分38秒、ビガロがM齋藤をダイビング・ヘッドバットからの体固めで降しベイダー&ビガロ組が豪快な勝利を挙げました。

92年1月の小林邦昭と空手の誠心会館、齋藤彰俊との抗争から誕生した越中詩郎、木村健悟、小林、青柳政司、彰俊の反体制ユニット、「反選手会同盟」は反体制かつ外様ながらも必死に本隊に挑む越中人気もあり、また崩壊したSWSの後継団体として天龍がこの年7月に旗揚げしたWARのリングに乗り込み抗争を展開して多くのファンの支持を得ました。

後藤達俊、小原道由も加入してユニット名を「平成維震軍」と改め、94年11月13日には東京ベイNKホールで旗揚げ興行を行いました。その後何回か後楽園ホールなどで単発興行を行った後、95年7月18日には短期シリーズ「侍バサラ・三国志」が札幌中島体育センターで開幕。

7月25日には横浜文体大会(テレビ収録、観衆4,000人発表)が開催されています。横浜文体大会には、新生UWF解散後、91年に高田延彦が代表を務めるUWFインターナショナルに参加したものの、Uインターを退団してフリーとなり新日本プロレスに挑戦状を叩きつけた山崎一夫が参戦。

山崎は若手時代に何度となく対戦した後藤達とのシングルマッチを行い6分16秒、腕ひしぎ逆十字固めでギブアップさせています。

メインイベントは平成維震軍対新日本隊、越中&木村健組と長州&佐々木健介組が対戦、19分19秒、木村健が長州を稲妻レッグ・ラリアットから体固めでフォールしています。これまで首固めで長州からフォールを奪ったことはありましたが、丸め込みではなく稲妻で完勝したのは初めてでした。

98年11月16日には、横浜文体でミスター高橋レフェリーの引退興行が行われています。(観衆3,700人発表)当日は「SGタッグ・リーグ戦」の開幕戦にあたり、メインイベントは長州&小島聡組と越中&木村健組の公式戦。14分56秒、越中がパワーボムからのエビ固めで小島を破っています。

セミファイナルは藤波&橋本組vs中西学&永田裕志組の公式戦で橋本が永田を垂直落下式DDTに決めてフォール勝ち。高橋レフェリーはメインを裁き、試合前には引退セレモニーも行われています。

この時高橋が引退後は「新日本プロレス警備保障(仮)」という会社を作り社長に就任、プロレスラー達の引退後のセカンドキャリア育成、という話は確かに出ておりそれが反故にされたことが01年に講談社から発売された暴露本「流血の魔術 最強の演技」の出版につながったのは高橋本人は否定していますが間違いないところでしょう。

05年からは、88年に藤波vs猪木戦のあった8月8日に真夏の最強戦士決定戦「G1クライマックス」が開催され始めました。8月8日当日でなかった年もありますが、毎年概ねこの日に開催されるようになりました。

小田原、相模原、平塚、藤沢、町田一帯のプロモーター、マイティーランド(株式会社創)への売り興行によるものでガン撲滅チャリティー興行として開催され、メインには神奈川県出身の真壁刀義、鈴木みのるの出場する公式戦がよく組まれておりました。

初回となった05年8月8日のG1は5,000人(超満員札止め)の観客を集めました。メインは全日本プロレスを離れ「無所属」となった川田利明が永田を破り、藤波は初対決の鈴木みのるに勝利。川田はこの年決勝トーナメントまで出て、藤田和之に敗れましたが、全日本プロレスの奥の深さを見せつけています。

新日本プロレス最後の横浜文体大会は19年8月8日のG1クライマックスで4,932人(超満員札止め)の観客を動員、メインは石井智宏と鷹木信悟の公式戦で、ゴツゴツしたぶつかり合いとなりましたが石井が勝利を収め、セミファイナルのジュース・ロビンソンvsジェイ・ホワイトはホワイトが勝っています。

コロナ禍で秋に延期されたG1は10月14日に新築された横浜市武道館で開催が決まっています。
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