mixiユーザー(id:21258650)

2020年05月29日23:11

172 view

ジャンボ鶴田怪物伝説(622)

また、この日のメインイベント、長州力vs谷津嘉章戦のメインイベント終了後、突如として8月1日、両国国技館まで新日本プロレスのリングに上がっていたスーパー・ストロング・マシンがリングに上がり、長州に対戦表明をしています。

マシンは84年8月24日、新日本プロレスの「ブラディ・ファイト・シリーズ」開幕戦の後楽園ホール大会に、上半身にアメフトのプロテクターを着けてその上から白いTシャツを着用。スキー帽で顔をスッポリ被ったマスク姿で「謎のマスクマン」として、マネージャーのショーグン・KYワカマツと共にリングに現れ、猪木ヘ対戦表明。

8月31日、南足柄市総合体育館大会に再び姿を現し「ストロング・マシン」を名乗りました。9月7日、福岡スポーツセンターで猪木とのシングルマッチで「デビュー」を果たし、猪木の卍固めに捕らえられてもはや逃げ道なしと思われたところ、ワカマツが乱入してノーコンテスト。この日2人目のマシンが登場して「増殖」と話題を集めました。

ストロング・マシン1&2号は、9月13日、宇部市俵田翁記念体育館大会から試合に出場、中堅、若手とのタッグマッチで連勝を重ねましたが、シリーズ最終戦の9月20日、大阪府立体育会館を最後に長州以下維新軍を含む全13人が新日本プロレスを退団してジャパンプロレスの前身である新日本プロレス興行に移籍。マシンはジャパン勢とは1シリーズの半分以下も一緒になっていません。

10月の「闘魂シリーズ」からマシン軍団はシリーズフル参戦となり、選手層が大幅に薄くなった新日本のリングの主軸となり毎週のようにテレビマッチに出場。11月の「第5回MSGタッグ・リーグ戦」にもエントリー。

85年1月の「新春黄金シリーズ」からはマシン軍団は4人に増殖。しかし、マシン軍団は2号(力抜山)がノータッチ・トペ・スイシーダを初期に乱発したせいで膝を痛めて動きが鈍くなり、3号はヤス・フジイ、4号がヒロ佐々木と三流以下であり、猪木、藤波、木村健吾ら新日本のトップどころと対戦する時に試合を作らねばならないのは1号しかおらず、マシン軍団が増殖し、試合カードが上の方で組まれるにつれて1号のストレスは増すばかり。

ワカマツもフレッド・ブラッシーやグレート・マレンコとは違い、元々強かったレスラーが年を取ってマネージャーに転向した訳ではなく国際プロレスの最下位レスラー。イザという時に役に立つ訳ではありません。

そんなマシン1号の転機となったのが4月18日の両国国技館での藤波戦。マスクの中身はストロングスタイル嗜好の実力者。藤波と技と力で勝負したいとばかりワカマツの介入を拒否。

しかしマシン1号のピンチと見るや、ワカマツがエプロンに現れて藤波にパウダー攻撃。これを藤波がかわし、パウダーはマシン1号を直撃。すかさず藤波が久しぶりのドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)でマシン1号からフォール勝ち。試合後、マシン1号とワカマツは仲間割れとなりました。

次の「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」でマシン1号はワカマツと離れて行動していくことを宣言。5月13日、大分県立総合体育館から「スーパー・ストロング・マシン」に改名。ですが5月17日、熊本県立総合体育館大会のテレビ生中継で、藤波に「お前、平田だろ!」と正体暴きをされてしまいました。

マシンはこのシリーズ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランド、ペドロ・モラレスと言った世界の強豪とシングルマッチで対戦するまたとない機会に恵まれましたが、マシンを「裏切り者」としてアンドレのマネージャーについたワカマツに試合を壊されてばかりで藤波の「お前、平田だろ!」発言と合わせてマシンのストレスは強くなる一方…。

直近のシリーズ「バーニングスピリット・イン・サマー」ではワカマツが先シリーズ休みだったマシン2&3号を引き連れて裏切り者マシンに制裁を加えるというマッチメークが6月28日、品川プリンスホテル・アイスアリーナ、7月5日、富士急ハイランド大ホール、12日、後楽園ホールと毎週テレビマッチで組まれました。

7月19日、札幌中島体育センターでマシンは待望の藤波のWWFインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦しますが、マシン軍団とワカマツの乱入により試合をぶち壊されてノーコンテストとなり涙を飲みました。 

最終戦となった8月1日、新日本プロレス2度目の開催となる両国国技館ではマシン3号とのシングルマッチが組まれ、僅か1分28秒、エビ固め(スクールボーイ)で丸め込んで勝利も、マシンが「これ以上、新日本プロレスにいても自分を活かす場所なし」と判断したのはやむを得ないと思います。もちろん、新日本プロレスと関係が悪化していたジャパンプロレスの会場に来場しリングに上がったということは新日本プロレスからの離脱を意味します。

ジャパンプロレス85年8月5日、大阪城ホール大会その他の試合の結果です。

セミファイナルではキラー・カーンとジャイアント・キマラの大型同士のシングルマッチが組まれました。試合はスケールの大きなぶつかり合いとなりましたが、Kカーンのダイビング・ダブルニードロップをキマラがかわし、リング下から椅子を持ってKカーンを攻撃し9分37秒にKカーンの反則勝ち。

セミ前に組まれたのは天龍&石川敬士組vsジ・アラスカンズA&B組。第3戦の8月4日、大和市車体工業体育館でKカーン&アニマル浜口組と対戦しKカーンのダイビング・ダブルニードロップの前にAがあっさりフォール負けをし期待外れに終わったアラスカンズはこの日も5分42秒、石川のサソリ固めにAがギブアップ負け。「第2のロード・ウォリアーズ」とは程遠いチームでした。

小林邦昭の持つNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座に新倉史裕が挑戦した同門同士のタイトルマッチは11分54秒、小林がツームストン・パイルドライバーからのフィッシャーマン・スープレックスホールド(網打ち式原爆固め)で完勝。4度目の防衛を果たしています。

新倉は保永昇男に比べると力量は落ちました。これで小林は8月31日、全日本プロレスの両国国技館で復帰するタイガーマスクの挑戦を受けることになりました。

ジャパン対全日本、浜口&寺西勇組と渕正伸&ハル薗田組は13分47秒、浜口が薗田をブロックバスター(サモアン・スープレックス)からの体固めで破り、ジャパン軍団の勝利。

大熊元司とキング・コブラのシングルマッチは7分56秒、大熊がジャンピング・ヘッドバットからの体固めで若いKコブラを一蹴。栗栖正伸とビッグ・ブラック・モンスターのシングルマッチは僅か1分56秒、栗栖が逆エビ固めでギブアップ勝ち。このシリーズの参加外国人はキマラを除いてはハズレでした。

ジャパン対全日本、保永vsターザン後藤は11分14秒、逆さ押さえ込みで保永が巧みに丸め込んで勝利。ジャパン同士の第1試合、仲野信市と笹崎伸司は8分52秒、逆エビ固めで先輩の仲野が勝っています。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年05月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記