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2020年02月26日23:12

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(48)

第114戦 12月11日発売号●【予想】アブドーラ・ザ・ブッチャー引き抜きヘ梶原一騎動く!梶原、ユセフ・トルコ、全日本の会場に現る。(80年全日本プロレス蔵前国技館)【正解】テリー・ファンク、ジャック・ブリスコ破りNWA世界ヘビー級王座獲得、史上初の兄弟世界王者に。(75年フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンター)【参考】2013年12月11日発売号は全日本、国際、日本連合軍vs新日本、興行戦争。(75年全日本プロレス、国際プロレス、日本プロレス合同、力道山13回忌追善興行日本武道館〈馬場&ザ・デストロイヤー組vsドリー・ファンク・ジュニア&鶴田、大木金太郎vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合、ヒロ・マツダvsマイティ井上他〉、新日本プロレス蔵前国技館〈NWF世界ヘビー級選手権試合、猪木vsビル・ロビンソン〉)

【解説】81年には5月にアブドーラ・ザ・ブッチャーが全日本プロレスから新日本プロレスヘ移籍したことをきっかけに両団体による仁義なき引き抜き抗争、興行戦争が繰り広げられることになりますが、その前段となる動きが80年12月11日、全日本プロレスの蔵前国技館で起きています。

この日は「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦、優勝の可能性が残されていたのは9点のドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、8点の馬場&鶴田組、同じく8点のブッチャー&キラー・トーア・カマタ組。この年は前年ブッチャーとザ・シークが仲間割れした為、77年の「世界オープン・タッグ選手権」から3年連続続いたファンクス、馬場&鶴田組、ブッチャー&シーク組の三つ巴のパワーバランスが崩れました。

セミファイナルの公式戦、ブッチャー&カマタ組vsシーク&グレート・メフィスト組。入場してくるブッチャー&カマタ組の背後に劇画作家の梶原一騎と元日本プロレス、新日本プロレスレフェリーのユセフ・トルコの姿が。全日本プロレスとは明らかに縁が薄いと思われる2人の登場は違和感がアリアリでした。

パートナーを変えて対決したブッチャーとシーク、カマタはそこそこいい仕事をしましたが、初来日のメフィストは最強タッグに出られるレベルになく、シークと同じアラビアン・ギミックというだけでエントリーされた感があり人選ミスと言え、最終戦を残して全敗。

試合はブッチャーがメフィストを山嵐(アルゼンチン・バックブリーカーの要領で担ぎ上げてから後方に倒れるバックフリップ)に決めてフォールするかと思いきや、シークがカットに入って場外乱闘となり7分45秒、両チームリングアウトの無得点試合となりました。

試合後もブッチャーの後ろでウロチョロしている梶原とトルコ。日本テレビの画面にも何回も映りました。

次のメインイベント、最終公式戦のファンクスvs馬場&鶴田組は時間切れ寸前の43分50秒、鶴田がテリーにリングアウト勝ちを収め10点となり馬場&鶴田組が2年ぶり2度目の優勝を果たしています。

梶原はこの年の2月27日、新日本プロレス蔵前国技館で行われた猪木vsウィリー・ウィリアムスの格闘技世界一決定戦で特別立会人を務め、トルコはこの一戦でレフェリーをしています。梶原とブッチャーはこの年に収録された梶原一騎プロデュースの東映映画「吠えろ!鉄拳」(真田広之主演)で急接近しました。

当時の新日本プロレス営業本部長である新間寿はブッチャーの移籍を「梶原からの売り込みだった」と語っていますが、梶原が新日本プロレスの依頼で動いたことも考えられます。真相は藪の中…。

テリー・ファンクは75年12月10日(現地時間)フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターでジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、28分、首固めでブリスコを破り第51代王者となりました。

実兄のドリー・ファンク・ジュニアは69年2月10日、フロリダ州タンパでジン・キニスキーを破り第46代NWA世界ヘビー級王座を獲得。73年5月24日、カンザス州カンザスシティ・メモリアルホールでハーリー・レイスに敗れるまで4年3か月に亘る長期政権を築いていますが、史上初の兄弟揃ってのNWA世界ヘビー級王者が誕生した訳です。 

テリーは翌76年6月に王者として全日本プロレスに来日、6月11日、蔵前国技館で鶴田の挑戦を2-1で退け防衛に成功していますが、王者としての来日はこれ一度きりで、77年2月6日、カナダ・トロント・メープルリーフ・ガーデンでレイスに敗れ王座転落、以後返り咲くことはありませんでした。

本連載(24)6月19日発売号での79年パキスタンでの猪木vsタイガー・ジェット・シン戦と同じ日本時間扱いであり、テリーが王座奪取したというニュースは12月11日、日本武道館で行われた「力道山13回忌追善興行」の中で百田義浩リングアナウンサーから来場した観客にアナウンスされ、大会に出ていた兄ドリーが喜びの表情を浮かべていた、と当時のスポーツ紙、雑誌に書かれていましたが、確かに日本時間は11日に違いないですが、やはり海外の試合は現地時間を基準とするのが原理原則だと思います。

10日の出来事として採り上げるならまだわかりますがやはり殿堂入りライターであれば自分の都合のいいように拡大解釈していては駄目でしょう。読者と真剣勝負をして欲しいと2週連続思いました。

※対戦成績は114戦23勝91敗。
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